「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

中央大学法学部の傾向と対策

中央大法学部(傾向と対策:過去問研究編)

「中央大の法学部」の日本史は、その問題形式が大きく分けて3つある。

①リード文を利用した穴埋め問題で記述式。

②~に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

この形式の問題が、一番差がつくところである。しっかりした対策がのぞまれる。

③100字の論述問題が必ず出題される。2015年「元寇は,西国諸国における幕府の支配強化をもたらした。その内容を,100字以内(句読点を含む)で説明しなさい。」

 

中央大の法学部は、私立大の法学部では難関として知られる。早慶の法学部や難関国立大の併願者も多く受験生のレベルは高い。②の正誤判定問題は、受験生にとってはいやな問題で正答率を上げるのに苦労するが、正文誤文判定の克服がカギとなる早稲田志望者ならある程度解いてしまう。③も私大専願者は苦手とする論述問題だが、早慶や国立二次との併願者にとってはくみしやすい問題レベルなので「書けない」と大きな差がつきます。

以上の内容を、自分で「実感」することが大切です。大学受験における合格戦略の中で

一番吉田が重要だととらえれいるのが「相手を知る」ことです。「相手を知って」もっとも効率的な「中央大の法学部」対策を立てることです。そのための第一歩として、以下に2105年の問題を掲載しました。まずは、じっくり問題を読んでみることを強く推奨(日本史が得意な人は解いてみよう)します。

 

【1】

次の文章を読み,下記の設問に答えなさい。問1,問6,問8,問10は記述解答用紙に答えなさい。問2~問5,問7,問9はマーク解答用紙にマークしなさい。

 

平安末期,勢威を誇る平清盛は,後白河法皇を幽閉し,国家機構のほとんどを掌握した。平氏政権への不満は各層で高まり,源氏の勢力が兵をおこすと大きな争乱となり,平氏は滅亡した。

平氏滅亡後,源頼朝は,後白河法皇に要求し,守護・地頭の任命権,兵粮米の徴収権,国衙の役人のうち,国司やその派遣にかかる目代の指揮下で実務を担当していた 1 に対する命令権を認めさせた。また,頼朝は,鎌倉幕府の職制も整備した。

頼朝の死後,幕府内で実権を握ったのは,伊豆の 1 出身の北条氏であった。一方,朝廷では後鳥羽上皇を中心に朝廷の勢力を挽回する動きが強められた。源実朝の死を受けた将軍職の後継問題等をめぐって朝廷・幕府の関係が不安定になると,後鳥羽上皇は,幕府打倒の兵をおこした。しかし,東国武士の大多数は北条氏のもとに結集して戦いにのぞみ,幕府が勝利した。この承久の乱後,幕府は,朝廷側の人びとを厳しく罰し,京都に新たに六波羅探題をおいて朝廷を監視し,西国諸国の御家人の統轄にあたらせた。これによって,西国における幕府の支配権が飛躍的に強化された。さらに,幕府は,大田文を作成させて軍役を課する際の台帳とし,また, 2 の皇子を将軍にむかえて幕府を権威づけた。

13世紀後半,わが国は元寇という未曽有の国難に見舞われるが,この危機も,幕府が西国一帯に勢力をいっそう強める契機となった。北条氏の権力はさらに拡大し,家督をつぐ得宗の勢力が強大となった。このころ,御家人たちは,貨幣経済の進展等により深刻な経済的苦境にあった。これに得宗専制への反感が加わり,幕府の支配は危機を深めていった。

後醍醐天皇が即位したのは,14世紀はじめころのこのような時期であった。このころ,皇室では, 2 の没後に成立した持明院統および大覚寺統が対立していた。幕府による両統迭立の提案を受けて即位したのが後醍醐天皇である。後醍醐天皇は,幕府への反発が高まっている状況をみて,倒幕の計画を進めた。倒幕の機運はひろがり,新興武士らが挙兵し,有力御家人の足利高氏(のちの尊氏)が幕府に反旗をひるがえすにいたり,鎌倉幕府は滅亡した。

後醍醐天皇が始めた建武の新政では,記録所などの諸機関が配置され,天皇の側近が登用された。新政策は,武士の慣習を無視していたため,大きな不満を引き起こした。離反した足利尊氏は,持明院統の天皇を立て,室町幕府を開いた。一方,後醍醐天皇も正統の皇位にあることを主張したため,南北朝の動乱が始まった。長期化する内乱の中で,幕府は半済令を出した。

半世紀以上も続いた動乱も,14世紀後半に足利義満が3代将軍になるころにはしだいにおさまった。幕府は,京都の市中警察権も握り,各種職務は,この時代にほぼ整った幕府職制の中で分掌させた。

15世紀初頭ころまでの4代足利義持の時代は,将軍と有力守護の勢力均衡が保たれていたが,やがてこれも崩壊し,嘉吉の乱により将軍の権威が失墜したところへ有力守護家の相続争いが加わり,大きな争乱が生じた。長引く争乱の中で守護大名は勢力を失い,15世紀末には本格的な戦国争乱の時代に突入した。

約1世紀にわたる戦国争乱は,16世紀後半になるとようやく終息にむかった。領国支配を確立した戦国大名のなかで,織田信長は,武力による全国統一を実行に移そうとしたが,業なかばにして倒れた。遺業を継いだのは,羽柴秀吉であった。秀吉は,朝廷から関白に任じられた。秀吉は,天皇をむかえた場で諸大名に忠誠を誓わせるなど,巧みに伝統的権威を利用した。

 

問1 文中の空欄 1 に入るもっとも適切な語句,および文中の空欄 2 に入る上皇の名を,漢字で答えなさい。

 

問2 下線部①および⑧で述べられている幕府の職制に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 政所は,鎌倉幕府・室町幕府を通じて,一般政務や財政事務をつかさどった。しかし,室町幕府においては,直轄領を管理した直轄軍が侍所の管理下にあったので,直轄領からの年貢・公事は,侍所におさめられた。

b 鎌倉時代の政所の長官職は,その前身であった公文所の長官に就任した大江広元の子孫が世襲した。同様に,室町幕府の政所の長官職には,主として,伊勢氏の一族が任命された。

c 侍所・政所・問注所は,将軍職に伴う職務の遂行機関であるので,源頼朝・足利尊氏が征夷大将軍に任じられた後に設置された。

d 鎌倉幕府の問注所は裁判事務を担当した。その後,北条時頼が設置した評定衆が,合議で裁判を行うようになった。室町幕府も評定衆を置いた。

 

問3 下線部②に関連する次の説明文のうち,誤っているものを1つ選び,その記号をマークしなさい。

a 源実朝の死後,北条義時は,後鳥羽上皇の皇子を将軍に迎えようとしたがゆるされず,摂関家出身で源頼朝の遠縁にあたる九条頼経を迎え,将軍にした。摂関家出身の将軍は2代続いた。

b 後鳥羽上皇は,自分に関係する荘園の地頭職の停止を幕府に要求していた。

c 後鳥羽上皇は,白河上皇のときに設置された北面の武士に加えて新たに西面の武士をおき,軍事力の整備につとめていた。

d 承久の乱後,幕府は,後鳥羽上皇を含め3上皇を配流したが,乱に直接関与しなかった仲恭天皇の位は奪わなかった。

e 後鳥羽上皇は『新古今和歌集』の編纂を命じ,源実朝は『金槐和歌集』を残した。

 

問4 下線部③に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 北条泰時・時房は,承久の乱後も京都にとどまり,京都の警備・朝廷の監視にあたった。

b 六波羅探題は,鎌倉時代を通じて,尾張から九州までにいたる西国の御家人の統轄や訴訟の処理にあたった。

c 六波羅探題は,執権・連署につぐ重要な地位として,北条氏の有力者が任命された。

 

問5 下線部④の大田文に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 承久の乱の2年の後に大田文の作成を命じたのは,時の執権北条泰時である。

b 幕府は,国衙に大田文の作成を命じた。

c 大田文には,荘園・国衙領の面積,荘園領主・地頭などの領有関係が記されていた。

 

問6 下線部⑤に述べられているように,元寇は,西国諸国における幕府の支配強化をもたらした。その内容を,100字以内(句読点を含む)で説明しなさい。

 

問7 下線部⑥の半済令に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 半済令とは,守護に,任国の荘園・公領の年貢の半分を,兵粮米として徴収する権利を与えるものであった。守護はこの権利を,家臣団への統制力を強化するのに用いた。

b 観応の擾乱がはじまったその年に,初めての半済令が出された。

c 初めの半済令は,戦乱における軍事費が調達できるよう,主戦場であった3国についてのみ,1年に限り行われたものであった。

 

問8 下線部⑦で述べられている京都の市中警察権は,室町幕府によって奪われるまでは,朝廷のある役職が管轄していた。その役職を創設したとされる天皇の名を漢字で答えなさい。

 

問9 下線部⑨の関白に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 関白は,摂政とともに令外の官である。

b 後醍醐天皇は,建武の新政において,幕府・院政とともに関白をも否定して,天皇への権限集中をはかった。

c 羽柴秀吉は,武家勢力の者としてはじめて関白になった。臣下ではじめて関白の任を務めたのは,藤原良房である。

d 大政奉還後の王政復古の大号令において,摂政・関白の職が廃止された。

 

問10 文章中に現れる武家勢力の人物のうち,存命中に朝廷から太政大臣に任命された者を3人選び,その氏名を漢字で答えなさい。

 

【2】

次の文章を読み,下記の設問に答えなさい。問1は記述解答用紙に答えなさい。問2~問8はマーク解答用紙にマークしなさい。

 

江戸時代になると貨幣制度がしだいに整えられ,やがて中国からの輸入銭は使われなくなった。幕府は金座などで金貨・銀貨・銭貨のいわゆる三貨をつくり,全国に流通させた。もっとも,江戸をはじめ東日本では主に金貨が決済に使われ,大坂をはじめ西日本では主に銀貨が使われた。また,銭貨は少額の取引に用いられた。三貨のほかに藩が発行する紙幣(藩札)もあった。貨幣制度の整備は,取引の円滑化,商品流通の安定・拡大につながり,江戸時代に経済が発展する基盤のひとつとなった。

金貨・銭貨は 1 貨幣であったのに対し, 2 とよばれる大きめの銀貨も豆板銀とよばれる小型・補助用の銀貨も秤量貨幣であった。のちに金貨の単位で額面が表示される銀貨も発行されるようになったが,秤量貨幣が廃止されたわけではなかった。銭貨である 3 の発行は将軍家光の時代に始まった。これは当初1枚1文として発行されたが,のちに四文銭もつくられた。

三貨それぞれの単位は異なっていたから,幕府は1609年に三貨の交換比率を公定し,1700年にそれを改定する法令をだした。しかし,実際にはそのときどきの相場にもとづいて両替がおこなわれていた。国内の金遣い経済圏と銀遣い経済圏との流通を円滑にするうえで両替商がはたした役割は大きかった。

有力な両替商は両替ばかりでなく,融資をおこなったり,遠隔地間の送金を手形で処理する 4 業務を営んでいた。また,諸藩では 5 を大坂などに設けて自領の年貢米や特産品を販売していたが,両替商のなかには 6 に任命され,その販売代金の出納にあたるものもいた。

江戸時代には貨幣の改鋳がしばしばおこなわれた。貨幣の改鋳の際に品位を落とすことが多かった。これによる差益は 7 とよばれたが,この差益により幕府は多額の収益を得ることができた。 8 は,その著書『夢の代』で貨幣改鋳の弊害を指摘している。もっとも,貨幣改鋳には,財政補填ばかりではなく,通貨量を増加させて経済を活性化するという目的があったのではないかともみられている。

 

問1 文中の空欄 1 ~ 8 に入るもっとも適切な語・氏名を漢字で答えなさい。

 

問2 下線部①に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 室町時代になっても洪武銭などの宋銭が使われていた。

b 室町時代に輸入銭を模倣した粗悪な私鋳銭が国内でつくられた。

c 織田信長は銭貨の流通を統制する撰銭令をだした。

 

問3 下線部②に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 後藤祐乗が江戸に招かれ小判をつくったのが金座の始まりとされている。

b 天正大判は江戸幕府発行の金貨である。

c 三貨のうち銭貨を鋳造したのは銅座である。

 

問4 下線部③に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 江戸幕府は経済政策に影響するため藩札の発行を許可したことはなかった。

b 福井藩のように藩札を発行しなかった藩もあった。

c 江戸時代には藩札以外に,私札とよばれる紙幣も流通していた。

 

問5 田沼期に発行が開始された下線部④のような銀貨には「以南鐐 A 片換小判一両」とあるが,この空欄 A に入る漢数字として適切なものを次のなかから選び,その記号をマークしなさい。

a 弐                        b 四                        c 八                         d 拾六

 

問6 下線部⑤の1700年の法令では金1両は銀何匁にあたるとされたか。適切なものを次のなかから選び,その記号をマークしなさい。

a 40匁                    b 50匁                   c 60匁                    d 80匁

 

問7 下線部⑥に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 大岡忠相は有力な両替商を選び江戸町会所の運営にあたらせた。

b 藩の公金ばかりでなく江戸幕府の公金をあつかう両替商もいた。

c 三井は呉服店のほか両替店も営んでいた。

 

問8 下線部⑦に関連する説明文として正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 将軍綱吉は慶長小判より金含有量の少ない小判を発行した。

b 将軍吉宗は正徳小判より金含有量の少ない小判を発行した。

c 将軍家斉は江戸時代でもっとも金含有量の少ない小判を発行した。

 

 

【3】

次のA~Eは,松下孝昭『軍隊を誘致せよ』(2013年)の抜粋である(一部改変)。これを読んで,設問に答えなさい。問1,問3は記述解答用紙に答えなさい。問2,問4,問5はマーク解答用紙にマークしなさい。

 

(著作権処理の都合によりA~E省略)

《出典》 松下孝昭 『軍隊を誘致せよ』 2013年

 

問1 空欄 1 ~ 15 に入るもっとも適切な語を漢字で答えなさい。なお,空欄 3 , 4 , 12 , 13 には地名が,空欄 8 には人名が入る。

 

問2 Aの文中,空欄 あ ~ お に入らないものを次の中からひとつ選んで,その記号をマークしなさい。

a 仙台              b 名古屋           c 大阪               d 広島              e 福岡

 

問3 下線部①「鎮守府」に関連し,平安時代の「鎮守府」に関して述べている次の文について,以下の問いに答えなさい。

 

802年, A が蝦夷の阿弖流為を服属させ,鎮守府を多賀城から B へ移した。

 

(1) 空欄に入るもっとも適切な語・人名を漢字で答えなさい。

 

(2) 下線部の読みをひらがなで記しなさい。

 

問4 下線部②「横須賀」に関連する次の文のうち,正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 徳川幕府はフランスから顧問団を招き,横須賀に製鉄所を建設した。

b 横須賀では,砂川闘争と呼ばれる基地反対運動が起きた。

c 横須賀には,現在,在日米海軍基地が置かれている。

 

問5 下線部③「1920年代の軍縮」に関する国内外の事情を説明する次の文のうち,正しいものにはイ,誤っているものにはロをマークしなさい。

 

a 当時イギリス・フランス・イタリアは,アメリカに対する戦債を返済する必要があった。

b 加藤高明内閣の陸相宇垣一成は,4個師団を廃止し,兵器を近代化した。

c 田中義一内閣は,幣原外交の基軸である中国内政不干渉と対英米協調を否定した。

 

 

 

【解答1】

問1        1 在庁官人                    2 後嵯峨上皇

問2        a ロ           b ロ           c ロ            d ロ

問3 d

問4        a イ           b イ           c イ

問5        a ロ           b イ           c イ

問6 ※添削します。 ぜひ、準会員登録(無料)してください。

問7        a イ           b ロ           c イ

問8 嵯峨天皇

問9        a イ           b イ           c ロ            d イ

問10 平清盛,足利義満,羽柴秀吉

 

【解答2】

問1        1 計数                 2 丁銀                 3 寛永通宝          4 為替

5 蔵屋敷              6 掛屋                 7 出目                 8 山片蟠桃

問2        a ロ           b イ           c ロ

問3        a ロ           b ロ           c ロ

問4        a ロ           b ロ           c イ

問5 c                                                       問6 c

問7        a ロ           b イ           c イ

問8  a イ                b イ       c ロ

【解答3】

問1        1 徴兵令              2 鎮台                 3 佐世保              4 遼東

5 韓国併合           6 壬午軍乱           7 甲申事変          8 山県有朋

9 戒厳令              10 西南戦争         11 秩父事件        12 足尾

13 別子               14 米騒動            15 警察予備隊

問2 e

問3

(1)       A 坂上田村麻呂             B 胆沢城

(2) あてるい

問4        a イ           b ロ           c イ

問5        a イ           b イ           c ロ

 

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