「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

上智大(TEAP利用日程)の「傾向と対策」

上智大学の「傾向と対策」(TEAP利用日程の日本史 2月3日)

TEAP利用日程の日本史は、論述問題が課せられるが、その出題形式・設問が他大ではなかなか見られない独特な設問(問いかけ)となっているため、一般の受験生にとっては非常に対策が立てづらいものとなっている。しかし、近年はその独特の出題形式なりに「定型化」が見えては来ている。これが見えてくると効率的な対策が可能だ。問題作成者が書いた例題文(テーマ)をベースとしつつ、そこに様々な資料(史料文・図版・グラフなど)が盛り込まれている。各設問も、該当する下線部だけ読んでいても正答が得られないように工夫された問題が多いので、全体としてはかなりの長文をちゃんと読み込まなければならない。上智の論述問題は、日本史(教科書レベル)の基礎知識や理解を前提として、これらの資料を読み込んだ上で解答文を作成することが肝要となる。

それでは、「百聞は一見に如かず」である。
2019年の問題を以下に掲載したので実際に解いて「上智のTEAP利用」日本史を体感してみよう!
「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」だ。

2019年 TEAP利用日程

次の例題文をよく読んで,関連する以下の問いに答えなさい。
〔例題文〕
2009年2月,当時のアメリカ合衆国オバマ政権が,新たな「核態勢見直し」策定に向けて議会に設置した諮問機関「米国の戦略態勢に関する議会委員会」が,在米日本大使館関係者に意見聴取を行った際,日本側は,アメリカが事前協議なしに核兵器を削減することに強い懸念を示し,核戦力の維持・増強を求めていたという。また2017年7月,122ヵ国・地域の賛成多数により採択された核兵器禁止条約には,「アプローチが異なる」と参加しなかった。かかる「政治」と関連する措置か,外務省は翌8月,ジュネーブ軍縮会議において毎年恒例となっていた,日本の高校生大使によるスピーチの実施を見送っている。
日本は周知のとおり,第二次世界大戦末期における広島・長崎の体験から,戦後に「非核三原則」を標榜し,平和国家を目指して歩みを進めてきた。外務省のホームページには,「日本は(a)唯一の戦争被爆国として,『核兵器のない世界』の実現に向け,国際社会による核軍縮・不拡散の議論を主導してきています。日本は,すべての核兵器保有国に対し,軍備の透明性の向上を図りつつ核軍縮措置をとることを呼びかけ,具体的な行動を起こしています」と掲げられている。しかし,このような日本の「国是」も,結局は,(b)アメリカと強固に結びついた安全保障戦略における,空疎な建前に過ぎないのだろうか。(c)北朝鮮・韓国・中国との関係をめぐり,東アジアの非核化が大きな外交テーマになっている現在,日本という国そのもののありようが問われている。
2016年度,広島県の呉を舞台にひとりの女性の戦争経験を描いたアニメーション映画,『この世界の片隅に』(片渕須直監督,MAPPA制作)が,人びとの共感を呼んで大ヒットとなった。タイトルの意味は,劇中で主人公の北條すずが夫周作に対していう言葉,「ありがとう,この世界の片隅に,うちをみつけてくれて」に由来する。これまで,決して自分を中心に置いてものを考えることがなかった私を,あなたがみつけて,正面から向き合ってくれた。苛酷な時代と社会のなかで,自分らしく生きることのできる場を,一緒に作ってくれた。感動的な場面だが,実はこのタイトルには,さらに深い意味が込められている。原作者のこうの史代氏は言明していないが,1965年に刊行された,戦後の広島を考えるうえで極めて大切な書物『この世界の片隅で』が,そもそもの起源なのではないかと推測されるのである。
この書物は,被爆者の体験から戦後の20年間を明らかにしようとしたルポルタージュで,通常は見落とされてしまう在日朝鮮人,被差別部落民,沖縄在住者など,被爆者のなかのマイノリティに注目した先駆的な意味を持つ。編者は,山代巴(1912~2004)という女性。広島県出身の作家・社会運動家であり,女子美術専門学校中退後の1932年,共産党に入党してプロレタリア活動を開始した。5年後,同じ党員であった福島県出身の山代吉宗と結婚するも,(d)治安維持法の下,夫婦とも数度にわたり検挙され,ついに獄中で夫を喪うことになる。戦後釈放されてからは広島に戻り,農民組合運動に加わるなかで作家活動を始め,同地の都市や農村に生きた,名もない人びとの生涯を掘り起こす文学を紡いだ。山代の所属した新日本文学会広島支部は,「にんげんをかえせ」で有名な( ア )をリーダーに,「( イ )」の政治によって国家権力が強化されるなか,原爆症と貧困に苦しみながら沈黙を強いられていた被爆者の声を掬い取るべく,彼ら自身による手記や詩集の刊行に奔走した。その努力は,1953年刊の『原爆に生きて 原爆被害者の手記』に結実するが,同年には( ア )が持病の手術中に死去,山代の盟友として活動を共にしていた川手健も,新日本文学会本部・共産党本部との対立に疲弊し,1960年に自ら命を絶ってしまう。山代をはじめ,川手の遺志を受け継ごうとする人びとは,被爆20年後の現実を検証するため<広島研究会>を起ち上げ,被害者の吹きだまりとされたスラム,被差別部落などに住み込み,聞き取りや観察を通じて克明な報告書を作り上げた。それが,『この世界の片隅で』なのである。本書のなかでは,戦後復興と軌を一にした部落差別の復活,ABCC(原爆傷害調査委員会)が原爆との関係を隠蔽した小頭症,放射線による晩発性障害,精神養子となった原爆孤児たちのその後,幼少時に原爆に遇った子供たちの成長,本州島の平和運動が沖縄を無視してきたことへの反省,『原爆に生きて』に手記を寄せた母子のその後などが扱われており,以降の反核運動やライフ・ヒストリー研究に決定的な影響を与えた。
山代巴が共産党に入党した頃,アナーキズムを介して女性史研究を志し,平塚らいてうと無産婦人芸術連盟を結成し活動を開始したのが,高群逸枝(1894~1964)である。高群は1918年,自己への深い問いかけのなかで四国遍路に身を投じ,新聞連載の形で『娘巡礼記』を発表した。そのなかに,彼女の問題意識を想像させる次のような記事がある。

……原稿を書いているところに一人のお遍路さんが来た。/ 顔も手足も紫色に腫上って居る。人びとはクスクス笑った。何というこの惨ましい光景,顔をそむけずにはいられない。/ (e)業病悪疾というのはあんな人たちの事であろう。ああ一言何とか言ってあげたい。/「おまはんは国は何処ぞい」/「業病も因果だろうかいのう」/ 人びとはよく話しかけることが出来る。羨ましいことだ。私には何故優しい一言を掛ける勇気すら出ないのだろう。悶々としているまに機会はすぎた。とぼとぼ去りゆく人の悲しき姿よ。/ 私は一人庭に下りた。小さな箱庭が作ってあった。漫([ママ])珠沙華が咲いていたり,秋は一切に満ちている。吐息して深く考えた。/ (f)世に哀しき人寂しき人の優しい清い伴侶となる事が私の生涯の使命ではないか。……
〔岩波文庫版,214~215頁。「……」は省略,「/」は改行〕

高群がここで「業病悪疾」と呼び,彼らに慰めの一言もかけられない自らの無力さを嘆いているのは,(g)ハンセン病の巡礼者たちに対してである。「業病」とは仏教に発する言葉で,前近代には不治の病の代名詞でもあったが,内実は「(前世の)悪い行いの結果として背負うことになった病」という意味で,罹患を自己責任に矮小化する暴力性を持っていた。また当時,四国遍路は,行き場を失ったハンセン病者たちが,乞食しつつ死ぬまで巡礼を続ける場として知られていた。長野浩典氏によれば,彼らは春に伊予へ北上,夏には今治辺りへ入り,秋には阿波へ南下して,冬には土佐に留まった。瀬戸内海側は雨が少ないため夏でも過ごしやすく,経済的に裕福な家があり「接待」も多かったらしい〔長野浩典『放浪・廻遊民と日本の近代』弦書房,2016年〕。一方,冬場はこれも行われないため,温暖な土佐湾の海岸付近で生活をしていたという。関根隆司氏の研究によれば,1876~1945年の新聞記事・公告に現れる愛媛県遍路死者を統計すると,745名の行路死者のうち何らかの慢性的疾患を持つ者が253人,うちハンセン病が87人で1位となっている〔関根隆司「近代の四国遍路と『癩』・病者-愛媛県における統計的研究-」『アジア地域文化研究』11,2015年〕。彼らが越冬した土佐では,遺体の処理に手を焼いた末,ハンセン病巡礼者を厳しく取り締まる措置に出た。高群が遍路に身を投じた前後には,一時四国に吹き荒れて多くの行路死者を出した遍路排斥運動は,ある程度は鎮静化していた。しかしその一方,1907年に定められた「癩(らい)予防ニ関スル件」に基づき,最終的な隔離政策へ向けた警察のハンセン病者狩りが,次第に厳しさを増していたことも確かである。末尾にみえる高群の決意には,われわれの想像する以上に深刻な思いが込められていたと考えられる。
1940年,無らい県運動を標榜する熊本県は,ハンセン病者たちのアジール(避難所)となっていた本妙寺に踏み込み,病者たちを隔離療養施設へ強制収容した。九州療養所所長の宮崎松記は,「皇紀二千六百年を期して熊本市よりらいを根絶す」とのメモを残し,また,「民族の優秀性を世界に向って誇示せねばならぬわが同胞の中にいまなお癩がある事は大なる恥辱である」〔『九州日日新聞』昭和15年11月13日付「宮崎松記談話」〕とも語っており,この動きに天皇制イデオロギーや(h)優生思想が密接に関係していたことがうかがえる。
なお,この熊本県出身で,高群逸枝を熱烈に敬愛した作家に,先頃亡くなった石牟礼道子(1927~2018)がいる。石牟礼は,よく知られているとおり,故郷の海を侵した( ウ )をめぐる社会運動に深く関わり,同病とともに生きることを余儀なくされた人びとへの聞き取りを通して,1969年,主著となる『苦海浄土』を著した。石牟礼の作品には,瞽女(ごぜ)や傀儡(くぐつ),「かんじん」といった漂泊の芸能者,「神経さん」と呼ばれる精神の病に罹った人など,社会の片隅に抑圧された人びとが登場する。( ウ )と響きあう歴史的情況として島原の乱を題材とした『春の城(初刊時「アニマの鳥」)』,熊本の民衆に深く語り継がれる西南の役を扱った『西南役伝説』などを上梓したのも,「ふみつけにされる人たち」への共感と,彼らを生み出す時代・社会への怒りが強かったためだろう。
石牟礼道子が,九州のうちを旅しながら探し求めたものに,歴史のなかで蹂躙され忘れ去られた廃集落,「亡所(ぼうしょ)」がある。近世初期には,広域権力の成立によって生じた種々の軋轢のなかで,一揆の勃発と鎮圧が繰り返され,各地に虚実入り交じる「亡所」伝説が生じた。その物語りに説得力があったのは,当時の人びとが,明日の生存もままならない,同じ時代感覚のなかで生活をしていたためだろう。振り返ってみると,この文章中に触れた山代巴も,高群逸枝も,(i)目の前の現実に埋もれつつある「亡所」を決して見逃さなかった人たちである。いま,私たちの眼前にはいかなる「亡所」が生まれようとしており,いかなる人びとが苦しみ,助けを求めているのか。大きなものも小さなものもあるだろうが,たとえ些細な,微かなことがらであっても,見逃さない感性を培ってゆきたい。その点において,三人の女性たちには,学ぶべきことが本当に多くあるはずである。

問1 下線部(a)について。外務省が「唯一の戦争被爆国」と書いているのは,一般に浸透している「唯一の被爆国」という表現に問題があるからである。何がどう問題なのか。100字程度で説明しなさい。
正解を表示する添削します。ヒント=「戦争被爆」ではない「被爆」の事例を想起すれば解答のイメージがわいてくる。1954年の事件を想起!

問2 下線部(b)について。以下は,日米の安全保障に関する条約を列挙したものである。時系列的に正しく並べられているのはどれか。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 日米相互協力及び安全保障条約→日米行政協定→日米安全保障条約→日米地位協定
② 日米安全保障条約→日米行政協定→日米相互協力及び安全保障条約→日米地位協定
③ 日米安全保障条約→日米地位協定→日米相互協力及び安全保障条約→日米行政協定
④ 日米行政協定→日米相互協力及び安全保障条約→日米地位協定→日米安全保障条約
正解を表示する② 1951年⇒1952年⇒1960年⇒1960年

問3 下線部(c)について,以下の問いに答えなさい。

(1) 2018年4月の板門店宣言においては,休戦状態にあったとある戦争の終結を目指し,従来の休戦協定を平和協定とすることが盛り込まれた。その戦争について,正しく説明しているものはどれか。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 「独立万歳」を叫んだ朝鮮全土にわたる独立運動で,ソウルのパゴダ公園で独立宣言が読み上げられた。
② 朝鮮半島の北緯38度線の侵犯をきっかけに,朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の対立が戦争へ突入,冷戦が軍事衝突へと変化した。
③ 韓国南西部の光州市で起きた民主化要求運動を政府が鎮圧した際,多数の死傷者が出た事件。政府は戒厳令を発し,運動のリーダーを拘束して弾圧を行った。
④ 北朝鮮の工作員によって大韓航空機が爆破されたとする事件をきっかけに,両国の関係が悪化したまま現在に至った。
正解を表示する② ①は三・一独立運動(1919年) ③は光州事件(1980年) ④は大韓航空機爆破事件(1987年)

(2) (1)で答えた戦争の勃発を受けて,日本で採られた措置とは何か。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 公安調査庁の設置
② 新ガイドライン関連法の制定
③ 警察予備隊の設置
④ Jアラートの発令
正解を表示する③ ①は、皇居前広場事件⇒破壊活動防止法の制定を受けてとられた措置 ②は日米安保共同宣言(1996年)を受けてとられた措置 ④は全国瞬時警報システム

問4 下線部(d)について。1940年の検挙に際し,山代夫妻は裁判で懲役6年の判決を受けた。治安維持法は何度か「改正」されているが,当時機能していた同法の第1条はどれか。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス。……
② 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者,又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル(担当シタル)者ハ,死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ,……
③ 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレタル者,其ノ執行ヲ終リ釈放セラルベキ場合ニ於テ,釈放後ニ於テ更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞(おそれ)アルコト顕著ナルトキハ,裁判所ハ検事ノ請求ニ因リ本人ヲ予防拘禁ニ付スル旨ヲ命ズルコトヲ得。
④ 憲法停止 天皇ハ全日本国民ト共ニ国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ,天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ全国ニ戒厳令ヲ布ク。……

正解を表示する②は治安維持法(1928年改正)で正解。①は治安維持法の制定(1925年)時の内容 ③は1941年に追加された予防拘禁制 ④は北一輝の『日本改造法案大綱』(1923年)

問5 空欄( ア )には,ある人物の名前が入る。その人物について,正しく説明した文章はどれか。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 島根県生まれの医学博士・随筆家で,カトリック信者。長崎医科大学に奉職し,現地で被爆。『この子を残して』などの著書があるが,原爆投下を「燔祭」と解釈していた点などが論争となった。
② 東京都生まれの作家。幼少時にカトリックの洗礼を受け,生涯のテーマを信仰への問いかけで貫く。作品に,九州大学生体解剖事件を扱った『海と毒薬』などがある。
③ 東京都生まれの作家。フランス文学者として出発するが,フィリピンのミンドロ島で米軍の捕虜となった経験から,『野火』『レイテ戦記』などの問題作を発表した。
④ 大阪府生まれの詩人。広島で育ち,キリスト教に入信。自分自身も被爆し,戦後は広く平和運動を展開した。
正解を表示する④(峠三吉) ①は永井隆 ②は遠藤周作 ③は大岡昇平

問6 空欄( イ )には,1950年代前半の政治動向を表した4文字の語句が入るが,それは何か。例題文の前後の文脈を把握し,被爆者の置かれた情況を考えて推測し,解答欄に明記しなさい。
正解を表示する逆コース

問7 下線部(e)(g)について。次に掲げたのは,日本におけるハンセン病患者の初見史料である。関連する以下の問いに答えなさい。

〔史料A〕
百済国より化来(まゐく)る者有り。其の面身,皆斑白なり。若しくは白癩有る者か。其の人に異なることを悪(にく)みて,海中の嶋に棄てむと欲(おも)ふ。然るに其の人の曰はく,「若し臣(やっこ)の斑皮を悪みたまはば,白斑なる牛馬をば,国の中に畜(か)ふべからず。亦(また)臣,小なる才有り。能(よ)く山岳の形を構(ま)く。其れ臣を留めて用ゐたまはば,国の為に利有りなむ。何ぞ空しく海の嶋に棄つるや」といふ。是に,其の辞を聴きて棄てず。仍りて須彌山(しゅみせん)の形及び呉橋を南庭に構けと令(のり)す。時の人,其の人を号(なづ)けて路子工(みちこのたくみ)と曰ふ。亦の名は芝耆摩呂(しきまろ)。

〇白癩……ハンセン病のこと。
〇須彌山……仏教において,世界の中心に聳えると観念された山。

(1) 史料Aは,8世紀前半に成立したある史書に,推古天皇20年(612)の出来事として記されている。その史書とは何か。次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で答えなさい。
① 『古事記』
② 『風土記』
③ 『日本書紀』
④ 『藤氏家伝』
正解を表示する

論述問題
(2) 史料Aの下線部には,ハンセン病患者に対するプリミティヴな嫌悪感が表れている。それは,下線部(e)の「業病」と同じものか,違うものかを答えなさい。同じと考えるならマークシートのⓐ,違うと考えるならⓑにマークしたうえで,その理由を150字程度で説明しなさい。
正解を表示する添削します。

問8 下線部(f)について。高群逸枝はそののち,日本列島の社会が,古代以来の父系制社会ではなかったことを実証し,女性史研究の基礎を築いた。彼女の主著は何か,次のうちから,最も適切なものを1つ選び,記号で選びなさい。
① 『招婿婚の研究』
② 『母権論』
③ 『先祖の話』
④ 『元始,女性は太陽であった』
正解を表示する

問9 下線部(h)について。ナチス・ドイツにおいてもその実施が問題とされた優生思想下の断種の問題は,帝国日本では,1940年の「国民優生法」によって制度化された。同法は遺伝性の病者・障がい者のみを対象としており,伝染病であるハンセン病は制度上は除外されていた。同法の役割を継承した1948年の「優生保護法」は,近年,多くの批判を集め国への損害賠償請求がなされている。それはなぜか。「優生保護法」の問題点に関する説明として最も適切なものを,次のうちから1つ選び,記号で答えなさい。

① 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護すること」を目的に人工妊娠中絶を行うもので,遺伝性の疾患・障がいを持つ本人・同配偶者のほか,ハンセン病者・同配偶者も対象となっていた。
② 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護すること」を目的に人工妊娠中絶を行うもので,因果応報観に基づくあらゆる難病に適用された。
③ 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護すること」を目的に,遺伝性の疾患・障がいを持つ者のほか,ハンセン病者にも婚姻を禁じていた。
④ 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護すること」を目的に,ハンセン病者とその配偶者にのみ人工妊娠中絶を義務づけた。
正解を表示する

問10 空欄( ウ )には,四大公害病として知られる病の名称が入る。同病の損害賠償訴訟において被告となった企業の母体は,実は世界恐慌後に軍部と結びつき,満州や朝鮮などの植民地開発で躍進した新興財閥のひとつであった。その説明として最も適切なものを,次のうちから1つ選び,記号で答えなさい。
① 鮎川義介・久原房之助が起こした鉱業会社を吸収し,日本産業会社を中心に結成した。
② 野口遵が設立した肥料会社を母体に結成,朝鮮の水力発電,化学工業の開発を担った。
③ 大河内正敏所長の研究所を母体に,その研究成果を工業化するため財閥へ発展した。
④ 森矗昶の肥料会社より出発し,28社からなるコンツェルンを形成,電工会社も設立した。
正解を表示する

論述問題
問11 下線部(i)について。現在の日本列島では,「亡所」はどこに,どのような形で発生している(しつつある)だろうか。まず,「亡所」が生まれつつあると思う場所をa群から(以下a),その主な要因と考えられるものをb群から(以下b),それぞれ1つずつ選んで記号で答えなさい。次に,例題文の文意に即して「亡所」を定義したうえで,aにおいてbによりどのように「亡所」が生じつつあるのか,200字程度で論述しなさい。

※例(〔a群〕に「⑤ 長崎」が含まれていた場合)……a)⑤,b)②,「<亡所>とは,〇〇(自分なりの定義)である。長崎県川棚町川原地区では,1962年以来,住民の反対運動にもかかわらず,行政による一方的なダム建設工事が進められており,何らの説得的な理由もなく人々の生活する里山が水底に沈もうとしている。」

〔a群〕
① 福島
② 東京
③ 広島
④ 沖縄

〔b群〕
① 災害
② 行政
③ 企業
④ メディア(マスコミ)

正解を表示する添削します。

☆吉田の視点
実際に2019年の問題を解いてどのような実感を得ただろうか。問1では日本史の知識や理解を前提として、「何がどう問題なのか」を考えて答える能力が問われている。
問11では、歴史上、数多く見られる「亡所」(人が住まなくなり、忘れ去られた場所)が形を変えて今の日本でも見られることに気づく洞察力が問われている。吉田塾では、このような視点で問題作成されるならば、主題(テーマ)となり得ると吉田が選定した題材を駆使した演習講座を開催して、上智大学を第一志望とする塾生に伝授している。なお、論述問題以外の問題の中には、一般的な受験生からみるとかなり詳細な知識を要する問題が散見される。このような問題は、個別日程の「上智大学の日本史」と傾向を同じくするものである。よって、個別日程の過去問研究による「上智大の日本史」に頻出する内容(時代・テーマ・設問形式など)の発見こそ、上智攻略の最優先事項と言えるだろう。

吉田塾では、上記のような「上智の日本史」を攻略するための「戦略的かつ効率的」な指導を行っています。

さらに「上智の日本史」を攻略するための詳しい内容を知りたい人は、「吉田塾とは何か」や「塾長 吉田健志のプロフィール」をよく読んで頂き、自身の合格戦略に合うとの手ごたえを感じたら、ぜひお問合せください!
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