「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

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早稲田の日本史(社会科学部の傾向と対策)

早大の社会科学部は、大問4つで合計40問(全問マーク式)の出題が続いている。

最大の特徴は、2018年では40問中35問が正文誤文判定問題となっており、他学部に比べて出題率が際立っている。

また、一般の受験生(早稲田対策をしてない人・過去問研究を怠っている人)にとっては正誤判定が困難であろう問題が多く出題される。

上記の傾向を把握(実感)するためにも、今ここで2018年2月(最新の過去問)を解いてみよう!

「敵を知る(相手を知る)」ことで、今の自分を知ることができるのです。

早稲田合格は、「相手を知る」ことから始まります!

なお、本問は早大商学部においても超頻出する分野(出題形式も!)なので商学部志望の人も真剣に解いてください。

2018年2月 社会科学部 大問2 解答と簡単な解説付き

次の文章を読み,問1~10に答えよ。

平城京に官営の市が設けられた頃,(1)和同開珎が発行されたが,乾元大宝を最後に国家による貨幣発行は中断する。宋銭が流入し,取引が活発化すると,貨幣流通量は増加した。他方,生産や流通の急激な発達に対応できない(2)一部の人々の生活は窮乏し,不満の声が上がった。明銭の流通がはじまるが,貨幣需要を満たすことはできず,(3)貨幣不足が問題化した。
全国共通貨幣の安定供給が必要となり,江戸幕府は(4)貨幣の鋳造・流通に乗り出す。綱吉の時代以降,金銀の産出量減少,明暦の大火の影響で財政状況が急激に悪化したため,(5)幕府は対策を講じた。日米修好通商条約調印後,貿易の活発化により,(6)輸出超過となり,物価の上昇を招いた
太政官札発行,新貨条例制定など貨幣関連制度の整備が進むと,紙幣中心の時代に移行していく。その後,戦費調達目的の紙幣増発によるインフレーション対策として松方財政が実施されると,景気状況はデフレーションに転じる。
第一次世界大戦により,大戦景気が起こり,輸出超過となる。しかし,終結後,軍需低下,アジアへのヨーロッパ諸国の商品流入,株価暴落などにより,(7)戦後恐慌・金融恐慌に陥り,関東大震災により状況はさらに悪化した。政府は,インフレ対策として財政圧縮政策を実施し,金輸出を解禁したが,ニューヨーク市場の株価大暴落に端を発した世界恐慌により日本経済は深刻な打撃を受け,金輸出は再び禁止された。
第二次世界大戦後,極度の物不足と通貨増発のため,急激なインフレが発生した。(8)諸政策が実施され,インフレは鎮静化したものの,不況が深刻化する。
1950年代,(9)特需景気を経て高度経済成長時代に入る。1970年代になると,列島改造政策,公共投資拡大,第一次石油危機による原油価格の急騰などから,狂乱物価とも称されるインフレが起こった。金融引き締め政策により,スタグフレーションに陥り,戦後はじめてのマイナス成長となったため,景気刺激策が実施された。1980年代後半(10)バブル時代に突入,後にバブルは崩壊し,平成不況の時代が続くこととなった。

問1 下線部(1)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 唐の開元通宝にならったものである。
ロ 都の造営のために雇われた者に支給された。
ハ 流通促進のため,蓄銭叙位令が発せられた。
ニ 近畿地方以外ではほとんど出土していない。
ホ 調の貢納に用いることはできなかった。

問2 下線部(2)に関連して,当時の状況に関する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 御家人は定期的な番役を義務づけられた。
ロ 幕府の救済対象は御家人だった。
ハ 御家人の金銭訴訟は禁止された。
ニ 永仁の徳政令は2年後に撤回された。
ホ 土地細分化回避のため単独相続が行われた。

問3 下線部(3)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 宋銭はほとんど使われなくなった。
ロ 西日本では米や銀も貨幣として使用された。
ハ 明銭では永楽通宝が最も多く流通した。
ニ 悪銭を禁止し,良銭の流通を強制した。
ホ 貨幣不足を補うために割符が使われた。

問4 下線部(4)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 両替商は三貨の両替だけを行った。
ロ 三貨の交換率は相場状況で変動した。
ハ 計数貨幣の小判・丁銀・一分金を発行した。
ニ 両・分・朱は4進法で換算された。
ホ 西日本ではおもに銀貨が流通した。

問5 下線部(5)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 三貨の交換比率を固定化した。
ロ 朝鮮の通信使の待遇を簡素化した。
ハ 長崎貿易による金・銀の流出を制限した。
ニ 金含有率を引き下げた正徳小判を発行した。
ホ 富士山噴火の被災地復興のため,国役金を徴収した。

問6 下線部(6)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 輸出入にはおもに金貨が用いられた。
ロ 最大の取引先はイギリスだった。
ハ 10万両以上の金貨が流出した。
ニ 特定5品は江戸の問屋経由の輸出を命じた。
ホ 金含有率を引き下げた万延小判を発行した。

問7 下線部(7)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 震災手形対策の特別融資を行った。
ロ 紡績会社は中国の工場を次々に閉鎖した。
ハ 日本銀行券を増発した。
ニ 緊急勅令で台湾銀行を救済した。
ホ 裏白紙幣を発行した。

問8 下線部(8)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 旧紙幣の流通を禁止した。
ロ 企業分割制限を強化した。
ハ 幣原内閣は経済安定本部を設置した。
ニ 有沢広巳の提唱した傾斜生産方式を実施した。
ホ 富裕者に財産税を課した。

問9 下線部(9)に関連する記述として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 1950年6月~1956年6月の物資契約高1位は兵器だった。
ロ 神武景気の期間に日本の造船量は世界1位となった。
ハ 岩戸景気の期間に所得倍増政策が発表された。
ニ オリンピック景気の期間に公害対策基本法が制定された。
ホ いざなぎ景気の期間にOECDに加盟した。

問10 下線部(10)に関連して,この時代の出来事として,不適切なものはどれか。2つ選べ。
イ 日本労働組合総連合会が結成された。
ロ 海外渡航者数が1,000万人を突破した。
ハ 非自民連立内閣が成立した。
ニ PKO協力法が成立した。
ホ 消費税が実施された。

解答

問1 ニとホ(畿内以外でも各地で出土している。調の貢納に用いられた。)

問2 ハとニ(永仁の徳政令は、2年後ではなく翌年!所領の無償返還を除きすべて撤回されてる。)

問3 イとホを正解と推定されるが、作問ミスとして全員正解となった。

問4 イとハ

問5 イとニ

問6 イとホ(イは金貨ではなく銀貨。ホは金含有ではなく含有量)

問7 ロとニ

問8 イとハ(イは「制限を強化」という部分が誤り。ハは幣原内閣ではなく一次吉田茂内閣)

問9 ニとホ(本問は戦後の重要事項の正確な年代把握が早稲田では必要であることを示す良問である)

問10 ハとニ(バブル時代は1986年から1990年。ハは1993年、ニは1992年)

上記の問題で「2つ」選べとなっている問題は、2つとも正解でなければ得点できないので要注意である。

早稲田合格のための「戦略的かつ効率的」な対策を行う観点からすると

社会科学部を第一志望とする人は、同じく全問マーク式の人間科学部との併願が効果的である。

このように吉田塾では、「早稲田の日本史全体」を戦略的に分析した上で、最も効率的に合格点がとれる道筋を伝授しています。

さらにくわしい内容をしりたい人(早稲田を本気でめざしている人)はお問合せください。

そのような人ならば、吉田は丁寧なカウンセリング(無料)を行う段階においても、多くの情報とともに合格戦略を伝授しますよ!

 

早稲田大の日本史(商学部対策:最新の過去問分析)

早稲田大では、各学部において学部特性をかなり意識した問題(大問)が出題されている。

商学部では、近現代の経済史(金融史・産業史など)を重視していて、この分野の骨太な問題が繰り返し出題されている。

また、定番の短文論述問題も近現代分野から出題が続いていることからも、商学部がいかにこの分野を重視しているかがわかります。

この商学部特性を理解する(実感する)ためにも、2018年2月の商学部の問題を解いてみましょう。

「戦略的かつ効率的」に早大商学部の日本史を攻略し、合格ためには、まず何よりも「相手を知る」(敵を知る)ことから始まります!

2018年2月 商学部本試験問題 大問5(解答と簡単な解説付き)

次の文章Ⅰ・Ⅱを読んで,下記の設問(A~J)に答えよ。(Ⅰのみを公開)

Ⅰ 開港は鎖国下で自生的な工業化を進めていた日本経済にイ強い影響を与えたが,庶民の生活を直撃したのは,ロ国際金銀比価への調整過程で生じた激しいインフレであった。物価の騰貴は暮らしへの圧迫を通じて社会不安を生み出し,貿易を否定する攘夷運動にもつながった。もっとも,開港により三貨を核とした幕府の通貨システムの枠組自体が変化したわけでなく,通貨制度そのものへの影響は限定されていた。
通貨制度が変容する契機は政権の交代であった。戊辰戦争に勝利をおさめた新政府はハ様々な制度改革を通じて政権基盤を固める一方,通貨については1871年に新貨条例を制定し,金本位制に基づく通貨制度を目指した。もっとも,実際には銀貨や不換紙幣が併存しており,価値の安定した本位金貨は流通から姿を消していった。大隈重信大蔵卿の下,1870年代後半にはニインフレが激しくなったが,この頃にはすでに同じ1円でも銀貨と紙幣との間に価格差(銀紙格差)が生じており,本位制度は事実上崩れつつあった。
大隈が失脚し,代わって大蔵卿に就任した松方正義は,財政と通貨制度の建て直しを目指して緊縮財政を進めると同時に,中央銀行として日本銀行を設立し,1880年代半ばすぎに日銀券を中心として銀本位制を確立した。
日本がようやく銀本位制を確立した時期に,主要先進国は金本位制に移行していった。そのために不要となった銀が市場に出され,国際市場では長期にわたって銀安(金高)傾向が続いていた。こうした状況をうけて,政府は調査会を設置し,ホ銀本位制を続けるか,先進国に追随して金本位制に移行するかについて議論を重ねた。調査会の論議は明確な決着を見なかったが,金準備問題が解決されたこともあって,1897年に金本位制を正式に採用するに至った。

問A 下線部イの開港が日本経済に与えた影響について述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.安価な綿織物が輸入され,国内の綿織物業や綿作を圧迫した。
2.織物や武器などの輸入が増加したため,貿易収支は開港当初から大幅な入超であった。
3.最大の輸出品は生糸で,主にアメリカ市場で販売された。
4.改税約書により従価税に改められ,一部の輸入品に対する関税率も引き下げられた。
5.幕府は生糸,茶など5品を江戸の問屋に廻送させ,輸出貿易の統制に効果をあげた。

問B 下線部ロについて述べた次の文章の a ~ c に該当する語句の組み合わせとして,正しいものを1つマークせよ。

日本は海外と比べて a の状態にあったため,大量の b が海外に流出した。そこでこれを防ぐために, b の実質価値を大幅に c 改鋳が行われた結果,物価上昇が引き起こされた。

1. a 銀安金高 b 銀貨 c 引き下げる
2. a 金安銀高 b 金貨 c 引き上げる
3. a 銀安金高 b 銀貨 c 引き上げる
4. a 金安銀高 b 金貨 c 引き下げる
5. a 銀安金高 b 金貨 c 引き下げる

問C 下線部ハに関連して,明治初期(1875年以前)に行われた制度改革について述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.版籍奉還に伴い旧藩主は知藩事となり,藩も徴税権を失った。
2.四民平等とされたが,華族と平民との通婚は禁じられていた。
3.金禄公債証書を与えて士族に対する秩禄給付をすべて廃止した。
4.内務省が新設され,殖産興業を推進するとともに,警察組織の統轄も行った。
5.年貢負担者であった自作農,小作農に地券を交付し,土地所有権を認めた。

問D 下線部ニの1870年代後半に進展したインフレについて述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.国立銀行の急増に伴う不換銀行券の増発がインフレの一因となった。
2.西南戦争の戦費調達を目的とした政府紙幣の増発がインフレにつながった。
3.インフレの中で地租に依存した政府財政の収支は次第に悪化した。
4.農産物価格の上昇により農家の地租負担は実質的に軽減された。
5.インフレ下で輸出超過が続いたため,正貨の蓄積が進んだ。

問E 下線部ホに関連して述べた次の文章の d ~ f に該当する語句の組み合わせとして,正しいものを1つマークせよ。

銀本位制には為替相場の d により金本位国との間で e が期待される点などにメリットがあり,また金本位制には f が容易になるなどのメリットが想定された。

1. d 低落(円安) e 輸出伸張 f 中国などアジア諸国への資本輸出
2. d 上昇(円高) e 輸入増進 f 先進諸国からの資本輸入
3. d 低落(円安) e 輸入増進 f 先進諸国からの資本輸入
4. d 低落(円安) e 輸出伸張 f 先進諸国からの資本輸入
5. d 上昇(円高) e 輸入増進 f 中国などアジア諸国への資本輸出

A 正解は1(2は、開港当初は「大幅な出超」であったので誤文。3はアメリカ市場ではなく主要貿易相手国はイギリスであったので誤文)

B 正解は2(経済史が得意な人=経済の仕組みを理解している人にとっては簡単な問題です。あなたにとってはどうですか?なお本問は

過去に論述問題として出題されたことがある。自分でも書いて説明できるまでの対策が必要である)

C 正解は4(5は小作農には地券は配布されなかったので誤文。)

D 正解は5(5を正文にすると「インフレ下で輸入超過が続いたため、正貨の保有高が減少していた」となる)

E 正解は4(本問も過去に短文論述問題として類題が出題されたことがある。自分で解答文が書けるくらいの対策が必要だ!)

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この中で「戦略的かつ効率的な」早大商学部対策を伝授しています!

 

 

早稲田大学 法学部対策(2018年の問題分析)

早稲田大の法学部では、近現代史の大問において毎年日記などを利用した史料問題が出題されている。

毎年、早稲田大の日本史を象徴するような問題(内容)となっており

とくに法学部受験者は、この出題形式に対応した対策を立ててほしい。

その契機となるべく、2018年の大問3をここで解いて実感してみよう。

早稲田は「過去問研究」している人とそうでない人で

合否が大きく分かれる大学であることを知ることになるでしょう!

解答と簡単な解説も付けてあります。参考にしてください。

2018年2月 早大法学部 大問3

次の史料は,植木枝盛の日記からの抜粋(一部表記を変更)である。これを読み,後の問に答えなさい。

① 1875年5月1日
A へ往。加藤,西村,阪谷,箕作,a福沢,津田仙,田村,九鬼と会す。西村,自主自由の解といふ説を出す。

② 1875年11月10日
B を借来る,即之を読む。

③ 1877年7月19日
C を求む,一円卅五銭。

④ 1878年9月20日
十四日頃より今日に至る毎日午前十二時まで,各県委員,紫雲楼に相会し,b愛国社再興に付協議をなす。本日午后より会し,夕に至り飲酒交歓。

⑤ 1879年11月15日
愛国社国会願望に付全国人に告ぐるの書を認む。 D 外一人来る。

⑥ 1880年3月15日
愛国社発起c日本国会望願に就きての大会を大坂北久宝町喜多福亭に開く。

⑦ 1881年10月18日
今日よりd自由党会議を浅草須賀町井生村楼に開く。

⑧ 1882年10月22日
板垣, E 両氏の世界旅行を送るの宴を両国中村楼に開く,之に臨む。

⑨ 1888年10月15日
午后より中之島洗心館に集会を開く。前田案山子を社長となしe大同団結のため大集会を開くべきこと等のことを議定す,本日会する者百余名。

⑩ 1890年11月25日
f帝国議会初めて召集せらる。衆議院議員,衆議院(内幸町)に集会す。

〔問〕
1 空欄Aに該当する団体名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。

2 空欄Bはジョン=スチュアート=ミルの著作を翻訳したものである。その翻訳書名を漢字4字で記述解答用紙に記入しなさい。

3 空欄Cは1875年に刊行された下線aの代表的な著作である。その書名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。

4 下線bに関連する記述として正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 全国の政治結社の連合組織として1874年に結成された。
い 結成の中心となったのは,土佐の立志社である。
う 西南戦争の最中,国会開設を求める建白書を提出しようとした。
え 一部メンバーが西南戦争に呼応したことから解散状態となった。
お 再興後,士族以外に各地の豪農層も参加するようになっていった。

5 空欄Dは後に福島県会議長をつとめ,福島事件で入獄した人物である。その姓名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。

6 下線cに関連する記述として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ この大会で国会開設運動の全国的団体が設立された。
い この大会後,板垣退助らが国会開設請願書を政府に提出した。
う 政府は国会開設請願書を受理したが,無視した。
え 政府は集会条例を改正して運動を規制した。
お この年秋に開催した第2回大会で政党結成を決定した。

7 下線dに関連する記述として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 国会開設の時期が決まったためこの政党を結成しようとした。
い この政党は二院制による議院内閣制の採用を主張した。
う この政党は愛国社以来の地方農村を主な支持基盤として継承した。
え 国会開設をめざす全国的団体はこの政党の結成後も存続した。
お この政党はその後結成された立憲改進党と友好関係を維持した。

8 空欄Eは後に下線eの運動の中心となった。該当する人物の姓名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。

9 下線eを掲げた運動に関連する記述として正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 憲法制定に向けて民権派の再結集をはかろうとする運動であった。
い 運動は,この年,三大事件建白運動と呼応して展開された。
う 運動は西日本を中心に展開された。
え その後,運動の中心人物が入閣したため,この運動は分裂した。
お 運動のひろがりが初期議会における民党の基盤につながった。

10 下線fに関連する記述として誤っているものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 解党していた自由党系の勢力は,議会開設前,立憲自由党を結成した。
い 議会開会前に実施された総選挙で民党は過半数を占めた。
う 議会開会時の内閣は,超然主義を掲げる黒田清隆内閣であった。
え 民党側は第一回議会で政費節減・民力休養を掲げ政府と対決した。
お 政府側と民党側が激しく対立し,第一議会は解散されるに至った。

解答(自由民権運動の流れは、早大の最頻出テーマ!教科書レベルは重要年代も含めて完璧な対策が必要であることをここで実感!)

1 明六社(1875年と加藤・西村から想起できるような対策ができてますか?)

2 自由之理

3 文明論之概略(このヒントだけで自信を持って解答するのは難)

4 い・お(正確な年代把握が必要!)

5 河野広中

6  あ(自由民権運動の流れをかなり正確におさえていないと解けない問題だが、早大受験では定番である)

7 う

8 後藤象二郎

9 え・お(本問も自由民権運動好きな早稲田を過去問研究で把握していた人は、正解にたどり着きやすい)

10 う・お(早稲田なら標準レベルの問題。うは黒田清隆内閣ではなく山県有朋内閣。おでは、第一議会は自由党土佐派

が軍拡予算成立に協力したため、閉会まで行われたので誤文。土佐派の裏切りは早大受験者なら知ってるはずだが。)

吉田塾では、上記のような問題を攻略するための「戦略的かつ効率的」な指導を行っています。

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早稲田の日本史(人間科学部編)

早大日本史の全学部(政経学部を除く)に共通する問題形式の特徴(傾向)は、正文誤文判定問題である。

今回は、最新の過去問(2018年)を利用して人間科学部の問題を紹介します。

なお、法学部・商学部・教育学部・社会学部なども問題形式が同じですのでとても参考になりますよ。

早稲田のレベルがセンター試験の正誤判定と比べて、どれほどのどれほどの違いがあるのかを

ここで知ってほしい。

2018年2月18日 人間科学部本試験

大問1 問6 下線部f(古事記・日本書紀)について述べた文として,誤っているものはどれか,1つ選べ。
ア 『日本書紀』は,編年体で書かれている。
イ 『日本書紀』は,元正天皇の時代に完成した。
ウ 『日本書紀』の次の六国史は,『続日本紀』である。
エ 『古事記』は,稗田阿礼が記憶していた伝承を太安万侶が筆録したものである。
オ 『古事記』は,孝徳天皇までの天皇家の歴史を記す。

大問4 問5 下線部c(シベリア出兵)に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア アメリカがシベリアにいたチェコ軍救援を提唱したことを受けて行われた。
イ ニコラエフスクで日本軍・居留民がパルチザンに包囲され,殺害される事件が起きた。
ウ 出兵には多額の戦費が費やされ,多くの死者と負傷者を出す結果となった。
エ 第一次世界大戦後に各国は撤兵したが,日本の駐兵は長期に及んだ。
オ 日本軍は,一時はシベリア・北満州を越えてロシア西部にまで進出した。
カ 日本はソヴィエト政権からシベリアの鉄道敷設権などの権益を獲得した。

問10 下線部e(治安維持法)に関連して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 日ソ国交樹立による共産主義の広がりを防ぐ目的があった。
イ 国体の変革を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
ウ 私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
エ 昭和初期の治安維持法の改正は,普通選挙制による最初の総選挙の年に行われた。
オ 昭和初期の治安維持法の改正により,死刑を含む処罰の規定が廃止された。
カ 東条英機内閣のとき,北部仏印進駐のあった年に治安維持法の改正が行われた。

大問5 問8下線部eは自由民権運動が盛んだった時期のことを指すが,この時期に作成された私擬憲法に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 福沢諭吉系の交詢社は「私擬憲法案」を作成した。
イ 「私擬憲法案」は,大統領制と国務大臣連帯責任制を定めた。
ウ 板垣退助が設立した立志社は「日本憲法見込案」を作成した。
エ 「日本憲法見込案」は,二院制を定めた穏健なものであった。
オ 植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」は,人権保障,一院制を認めた急進的なものであった。
カ 東京近郊の五日市で活動していた豪農の民権家たちは「五日市憲法草案」を作成した。

解答 大問1の問6 オが誤文。孝徳天皇ではなく推古天皇だと正文となる。

大問4の問5 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出するイの尼港事件を知っていると正解にたどり着きやすい。

問10 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出する治安維持法(1925年制定⇒1928年の改正で

最高刑が死刑⇒1942年の改正で予防拘禁制)の流れをしっかり押さえていたら正解にたどり着きやすい。

大問5の問8 イとエが誤文。私擬憲法関連は、早稲田が大好きな「自由民権運動の流れ」の重要関連事項

なので早大の過去問研究をしっかりやった人は、試験当日楽勝で対策をしてない人との差をつける問題となります。

吉田塾では、上記のような問題に対応できるために「戦略的かつ効率的」な早稲田対策を行っています。

そのリアルな成功例が、「早稲田の合格レポート」(大村君)に掲載されていますのでぜひ読んでください!

なお、さらにくわしい「傾向と対策」が知りたい人は、お問い合わせしてもらえれば

カウンセリング(無料)を丁寧に行う中で、伝授しますよ!

「東大の日本史」を戦略的かつ効率的に攻略する

今年の吉田塾には、英数はまずまず得意だけど日本史が超苦手な東京大学文Ⅱ(経済学部)志望のAさんがいます。

神戸市在住のため、通信添削やスカイプによる授業を行っていたのですが

日本史の遅れをカバーするために今日は、名古屋の吉田塾まで半日特訓を受けに来てくれました。

大正時代の政治・外交・経済を「東大の日本史」対応型で一気にまとめる板書を丁寧に

展開したところ「目からうろこ」的な発見や納得とともに大正時代全体をイメージすることが

できたようでです。

日本史が苦手なAさんもこの時代の東大過去問なら書ける!

との手ごたえが持てるようになったようで何よりでした。

吉田塾では、このように塾生一人一人の個性別に指導することが可能です。

戦略的かつ効率的に志望大対策をすすめたい人は、吉田塾との相性を確認する

ためにカウンセリング(無料)のためのお問合せを頂ければ幸いです。

名古屋大のオリジナル対策問題を掲載!

名古屋大の日本史では、近年戦後史の問題のウェートが高い場合が

多くこの傾向は来年以降も続くと吉田は見ています。

この傾向にピッタリ合ったオリジナル対策問題の一部を

「名古屋大の日本史」の中に新作問題としてアップしました!

名古屋大の志望者は、ぜひ見てください。

応援しています!

 

 

一橋大(教え子)の合格レポート

今年、一橋大学の社会学部に合格した大原君が後輩のためにと

合格レポートを書いてくれました。

一橋大をめざす人はもちろんのこと、吉田塾を利用して戦略的・効率的

に志望大の日本史を攻略するイメージがわきやすい部分を以下に抜粋しました。

「吉田先生は過去問や予想問題を頻出範囲ごとに非常にたくさん用意してくださるので、入試本番でも見たことのある問題に出会う可能性は高いです。実際、僕の入試の時は、国訴や国家総動員法、15年戦争など、先生の予想問題や講義で丁寧に解説してくださったところが問われました。出題範囲が偏っているという一橋大学の特徴にあった対策をしっかりしてもらえるので、非常に有意義であったと思います。」

上記以外の部分(レポート)は、「一橋大の日本史」の中に掲載されています。

興味を持った人は、ぜひ全文を読んでみてください!

 

 

名古屋大の日本史(2018年2月 古代分野)

名古屋大の日本史(文学部・情報文化学部)では、本格的な

論述問題が出題されます。今回は最新の過去問を利用して

名古屋大の古代分野の分析の一部(傾向と対策!)を紹介します。

大問1(古代分野)では、
史料文を提示してその史料に則して歴史事項を説明させる問題が頻出(三年連続!)している。
2018年の大問1の問5
下線部⑤について,この官人登用の仕組みを定めた養老令の条文は,下記のとおりである。この史料を読んで,この制度の内容について説明せよ。

およそ,位を授けむは,皆年二十五以上を限れ。ただし,蔭をもって出身せむは,皆年二十一以上を限れ。
およそ,五位以上の子の出身せむは,一位の嫡子に従五位下,庶子に正六位上。(中略)従五位の嫡子に従八位上,庶子に従八位下。三位以上は,蔭,孫に及ぼせ。子に一等降せ。(下略)                     (選叙令,原漢文,一部を書き改めた。)

上記の問題は、「蔭位の制」を説明する問題なので難しくはないが、2017年の大問1の問3は、史料文から陣定や内覧を想起しなくてはならず、かなりの史料読解力が必要となる問題
も出題されるので「史料対策」は必須であることが「相手を知る」(過去問研究!!!)ことではっきり見えてきます。

吉田塾では、「相手を知る」ことが戦略的に最も大切であるとの姿勢を貫いています。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」(孫子の兵法)は、現代においても最も重要な戦略的視点として君臨しています。
この「相手を知る」ために具体的な勉強法をもっとも効率的に指導する(伝授する)のが吉田塾でありたい思っています。

名古屋大の日本史を戦略的かつ効率的に攻略したいと思っている受験生は、カウンセリング(無料)段階でも

たくさんの情報を提供してますので、ぜひお問合せ下さい。

 

南山大の日本史(2018年2月の問題分析)

「南山大の日本史」が、2018年2月の個別日程(2月9日〜13日)で

記述問題(論述問題)が小問で2個増加(12個⇒14個)し、

マーク式は3個減少(29個⇒26個)しました。

記述問題の方が一個当たりの配点も高いため、ますます重要度が増して

合否を左右するようになっています。

大学入試改革の影響で記述重視の傾向はますます強まるでしょう。

また、「南山大の記述問題」は穴埋め問題が多いのですが受験生にとって

は少し難しいと感じる問題が増える傾向が2018年は顕著でした。

以下にその典型例として2018年の記述問題・論銃問題を紹介します。

南山大志望者の人は、解いてみましょう!

2018年2月10日(経済学部など)の記述問題

(一) 次の文を読み,下記の設問(1)~(6)に答えなさい。

鎌倉時代の武士団は, A と呼ばれる一門一族の長によって統率されていた。内裏を警護する B など御家人役の賦課があると, A が C に割り当てた。
B などを勤めるための経済的基盤となる所領の相続について,御成敗式目はとくに規定を設けてはいない。しかし, D が著した『沙石集』からは, A が C より多く相続する慣習があったことがわかる。また,女性の相続権も否定されていなかった。
しかし, E 相続が続くと各家の財産は小さくなり,役に耐えられない御家人が現れてきた。このような御家人の窮乏を防ぐため,永仁の徳政令では,「所領を以て或いは F に入れ流し,或いは売買せしむる」ことが禁止された。また,女性への相続は,所領が他氏の手に渡り,一族全体の所領が減ることになるため,原則としておこなわれなくなった。こうして鎌倉時代末期には, G 相続に移行した。
女性への相続は, H としておこなわれることに限定され,その女性の死後は予定された相続人に譲られるようになった。

〔設 問〕
(1) 空欄 A および C に入る語を,漢字で答えなさい。

(2) 空欄 B に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(3) 空欄 D に入る人名を,漢字2字で答えなさい。

(4) 空欄 E および G に入る語を,漢字で答えなさい。

(5) 空欄 F に入る語を,漢字2字で答えなさい。

(6) 空欄 H に入る語を,漢字3字で答えなさい。
2018年2月13日(英米学科など)の論述問題

(三) 次の文と史料を読み,下記の設問(13)~(15)に答えなさい。

邪馬台国は,日本古代史最大の謎の一つである。2世紀から3世紀頃の倭国について記述した中国の史書には,以下の記述がある。

倭人は A の東南大海の中にあり…。郡より倭に至るには,海岸にしたがって水行し,韓国を歴(へ)て,あるいは南しあるいは東し,其の北岸狗邪韓国(くやかんこく)に至る,七千余里。始めて一海を渡る,千余里,対馬国に至る。…又南一海渡る千余里…南,邪馬台国に至る。女王の都する所。…郡より女王国に至る万二千余里。
(史料は,一部書き改めたところがある。)

邪馬台国の所在地をめぐっては,この記述の解釈によって, B 説と C 説とが提唱されている。この2つの説は,邪馬台国の勢力の広がりと,邪馬台国とのちのヤマト政権との関係について,それぞれ異なる見解を示しているa。
さらに,この史料には,「倭の女王」が,「景初二年六月」に A 郡を通じて魏に使者を遣わして朝貢をおこない,「親魏倭王」の称号と「銅鏡百枚」などを賜ったことが記されている。これに関して,奈良県黒塚古墳から多数出土している D 鏡が,このとき「女王」の賜った品であるとする説がある。一方, D 鏡は,中国から渡来した工人が日本で製作したものであるとする説もある。

〔設 問〕
(13) 空欄 A に入る語を,漢字で答えなさい。

(14) 空欄 D に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(15) 下線部aについて,どのような見解かを,50字程度(句読点も1字に数える)で説明しなさい。ただし,空欄 B および C に入る語(それぞれ漢字2字)を用いること。

解いてみてどう感じましたか?

さらに詳しい情報が知りたい人は、お問合せください。

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吉田塾では、丁寧に行っています。

戦略的(効率的)な「南山大の日本史」攻略法をいっしょに確立して

合格を勝ち取ってほしいと思っています。

 

名古屋大の日本史(最新の過去問を分析!)

今年の「名古屋大の日本史」では、大学入試改革を踏まえた

問題が大問2の問1で出題されました。

 

問1 下線部①に関連して,このとき種子島に渡来した船は,

次の図1,2のどちらでもあり得たと考えられる。

あなたはどちらの可能性が高いと考えるか,

史料文中の根拠を示しながら論ぜよ。

図1は中国式のジャンク船、図2はポルトガル船で

現在の定説は図1の方だが、図2でもちゃんと根拠を示せば

正解となる。

これからは、このような問題が国立大学の二次試験では

増えていくでしょう。

吉田塾では、このような新傾向問題にも対応した添削指導が

可能です。「名古屋大の日本史」攻略をめざす人は、ぜひお問合せください。

応援しています!

 

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