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受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編3)

熊野編3は第1期生の有賀が担当します。

 

名古屋から車で4時間強。仕事を終えて追いかけ、私は22時ごろに吉田一行と合流しました。宿泊先のホテル浦島には源泉かけ流しの洞窟風呂(忘帰洞)があって、これが目当ての一つ。「忘帰洞」という名は紀州藩主徳川頼倫が「帰るのを忘れさせるほど心地よい」と評したことから付けられた名前だそうです。しっかりリフレッシュしてきました。忘帰洞だけではなくホテルの中に5か所のお風呂があり、スタンプを集めると景品がもらえるというので明くる朝に改装中の1つを除いて全て回ってきました。

 

その途中で見つけたのが藤原定家の「熊野道之間愚記」を紹介するコーナー。後鳥羽上皇の熊野御幸の先見をした時の記録です。

「定家といえば1205年、新古今和歌集!!」

古今和歌集から計ったように300年後。いい国作ろう鎌倉幕府がわかっていれば、それぞれ平安時代と鎌倉時代の判別も楽に覚えられて、こういう覚え方もあったのか!?と生徒時代の筆者は目から鱗が落ちる思いでした。

やれ暑いだの、道が険しいだの文句ばかり。興味深く、つい足を止めて読み入ってしまいました。別行動で風呂巡りをしていた吉田も聞けば同じように足を止めていたそうで、付き合いが長いせいか興味関心が似てくるなと笑ってしまいました。

受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編2)

熊野古道と同じく世界遺産に指定された湯の峰温泉

にある「つぼ湯」。教え子のAZ君は、念願の入浴で

感動していました。

湯の谷川の河原に建つ萱葺き屋根の湯小屋(つぼ湯)は

日本最古の温泉として長い歴史を持つ事で有名です。

濁った湯は、1日に7回色が変化するといわれ、

その昔、熊野大社へ参拝に訪れる人々が身を清めた

と言われています。

院政期に歴代の院(白河・鳥羽・後白河)が熊野詣を頻繁に行って以来

中世には武士さらには庶民へと信仰が広がり、

切れ間なく旅人の行列ができた様子から

の熊野詣」と言われるほど多くの人が

訪れるようになります。

この「蟻の熊野詣」というフレーズは難関私大には出ます!

覚えておきましょう!

 

受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編)

吉田が予備校講師を始めた頃の教え子たちと

名古屋から紀伊半島を南下して世界遺産の

「熊野」地方を旅してきました。

AZ君(滋賀大経済学部卒)と6年前にも計画していたの

ですが、あの大雨(多くの人が犠牲になった)で中止した

経緯があるのでリベンジ達成です。

ところで大学受験で「熊野」と言えば院政期に歴代の上皇(法皇)

が何回も「熊野詣」を行ったことが出題されます。

院政期の上皇(法皇)=熊野詣・高野詣とおさえておきましょう!

旅行記は、まだまだ続きます。(笑)

2105年中国横断の旅8

この碑文(大秦景教流行中国碑)は、唐の時代に長安の都でキリスト教が広まっていたことを示す有名な碑文です。

景教とはネストリウス派キリスト教のことでセンター試験(世界史)でも、出題されたことがある。

受験では、頻出事項なので実物を見れてちょっと感動(笑)。

 

2015/ 8/26 12:09

2015/ 8/26 12:09

イタリア4大都市を行く1

今年の初めにイタリア4大都市を6泊8日で周遊しました。

一般に4大都市とは、ローマ・フィレンツエ・ミラノ・ヴェネティアのことをさします。これが、五大都市となるとナポリが加わる。

写真はベタにローマのコロッセウム(円形闘技場)と「真実の口」
これからしばらくの間は、中国とイタリアを交互に紹介していきます。

その中で楽しみながら、受験生に役立つ情報を盛り込んでいきますので、参考にしてもらえれば幸いです。

2015/ 1/14 15:31

2015/ 1/14 15:31

2015/ 1/14 16:30

2015/ 1/14 16:30

2015/ 1/14 16:30

2015/ 1/14 16:30

2015年中国横断の旅7

洛陽近郊の竜門石窟の写真です。
一番大きな大仏のモデルは、中国史上唯一の女帝で
ある則天武后がモデルと言われています。
世界史受験の人は要チェックの事項ですよね。
2015/ 8/27 13:38

2015/ 8/27 13:38

2015/ 8/27 13:36

2015/ 8/27 13:36

2015/ 8/27 13:55

2015/ 8/27 13:55

空海恐るべし!

今年は、高野山が空海によって開かれて1200年。
それを記念した御開帳などがあり、テレビでも特集番組が組まれたりしています。
 
 吉田も先日、遅ればせながら高野山に行ってきました。
「奥の院」(空海が今もいるところ)・「壇上伽藍」・「金剛峰寺」のメインどころだけでしたが
空海に会えた気がして、とても充実感がありました。
 
 空海と言えば804年に入唐して、青龍寺(長安)の恵果から正統な密教継承者の位を
授けられたことが知られる。写真は西安の青龍寺にあったもので第七祖である恵果から灌頂を受けている空海(第八祖)
の姿をあらわしている。これがちゃんと西安(長安)の青龍寺にあることに感動!
 
 
2015/10/23 14:50

2015/10/23 14:50

2015/ 8/26 14:26

2015/ 8/26 14:26

2015/ 8/26 14:26

2015/ 8/26 14:26

2015年中国横断の旅6

西安の露店で西瓜(すいか)・瓜(メロン)・ブドウを買い食い。
すいかは西の瓜と書くように西方から中国に伝わった果物。

シルクロードを感じつつ、楕円形の西瓜を丸ごと一個、同行者と二人で食べきる。

2015/ 8/26 8:34

2015/ 8/26 8:34

2015/ 8/26 19:48

2015/ 8/26 19:48

2015/ 8/26 22:17

2015/ 8/26 22:17

2015年中国大陸横断の旅5

8月26日は朝から西安城跡に行く。

唐代の長安城跡を基礎にして明代に造られたのが現存している。

南門(永寧門)から入り、レンタサイクルで西門(シルクロードの出発点!とも言える)
まで往復した。写真でわかるように城壁上の道幅は12m以上ある立派なものである。
西安は歴史好きにとっては何日いても飽きないところだ。

今度来るときは、周囲14kmをサイクリングしたいと思った。

教え子や家族といっしょに。
つづく。

 

2015/ 8/26 9:48

2015/ 8/26 9:48

2015/ 8/26 9:58

2015/ 8/26 9:58

2015/ 8/26 10:22

2015/ 8/26 10:22

2015/ 8/26 10:44

2015/ 8/26 10:44

2015/ 8/26 10:45

2015/ 8/26 10:45

西安グルメ(回族街グルメ)

初日の夜は、回族(イスラム教徒のこと。なので女性店員は写真のようにみんなチャドルをしている)
の屋台街で食事をした。
 
想像以上の規模(というか今まで経験した屋台街で一番でかいかも)で
どこまでも屋台と常設の飲食店が続いている。
 
そんな中で、一軒のお店に入り牛肉泡膜面を食べる。
牛肉のまわりにたくさんころがっている粒粒は、回族がよく食べるパンをちぎったもので
それがスープにひたされてすいとんのような感じとなる。
まずまずうまかった。
 
 
2015/ 8/24 21:30

2015/ 8/24 21:30

2015/ 8/25 20:57

2015/ 8/25 20:57

2015/ 8/25 21:05

2015/ 8/25 21:05

 
 
 
つづく。
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