志望大別対策
早稲田大学 法学部対策(2018年の問題分析)
2018年10月13日 志望大別対策
早稲田大の法学部では、近現代史の大問において毎年日記などを利用した史料問題が出題されている。
毎年、早稲田大の日本史を象徴するような問題(内容)となっており
とくに法学部受験者は、この出題形式に対応した対策を立ててほしい。
その契機となるべく、2018年の大問3をここで解いて実感してみよう。
早稲田は「過去問研究」している人とそうでない人で
合否が大きく分かれる大学であることを知ることになるでしょう!
解答と簡単な解説も付けてあります。参考にしてください。
2018年2月 早大法学部 大問3
次の史料は,植木枝盛の日記からの抜粋(一部表記を変更)である。これを読み,後の問に答えなさい。
① 1875年5月1日
A へ往。加藤,西村,阪谷,箕作,a福沢,津田仙,田村,九鬼と会す。西村,自主自由の解といふ説を出す。
② 1875年11月10日
B を借来る,即之を読む。
③ 1877年7月19日
C を求む,一円卅五銭。
④ 1878年9月20日
十四日頃より今日に至る毎日午前十二時まで,各県委員,紫雲楼に相会し,b愛国社再興に付協議をなす。本日午后より会し,夕に至り飲酒交歓。
⑤ 1879年11月15日
愛国社国会願望に付全国人に告ぐるの書を認む。 D 外一人来る。
⑥ 1880年3月15日
愛国社発起c日本国会望願に就きての大会を大坂北久宝町喜多福亭に開く。
⑦ 1881年10月18日
今日よりd自由党会議を浅草須賀町井生村楼に開く。
⑧ 1882年10月22日
板垣, E 両氏の世界旅行を送るの宴を両国中村楼に開く,之に臨む。
⑨ 1888年10月15日
午后より中之島洗心館に集会を開く。前田案山子を社長となしe大同団結のため大集会を開くべきこと等のことを議定す,本日会する者百余名。
⑩ 1890年11月25日
f帝国議会初めて召集せらる。衆議院議員,衆議院(内幸町)に集会す。
〔問〕
1 空欄Aに該当する団体名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。
2 空欄Bはジョン=スチュアート=ミルの著作を翻訳したものである。その翻訳書名を漢字4字で記述解答用紙に記入しなさい。
3 空欄Cは1875年に刊行された下線aの代表的な著作である。その書名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。
4 下線bに関連する記述として正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 全国の政治結社の連合組織として1874年に結成された。
い 結成の中心となったのは,土佐の立志社である。
う 西南戦争の最中,国会開設を求める建白書を提出しようとした。
え 一部メンバーが西南戦争に呼応したことから解散状態となった。
お 再興後,士族以外に各地の豪農層も参加するようになっていった。
5 空欄Dは後に福島県会議長をつとめ,福島事件で入獄した人物である。その姓名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。
6 下線cに関連する記述として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ この大会で国会開設運動の全国的団体が設立された。
い この大会後,板垣退助らが国会開設請願書を政府に提出した。
う 政府は国会開設請願書を受理したが,無視した。
え 政府は集会条例を改正して運動を規制した。
お この年秋に開催した第2回大会で政党結成を決定した。
7 下線dに関連する記述として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 国会開設の時期が決まったためこの政党を結成しようとした。
い この政党は二院制による議院内閣制の採用を主張した。
う この政党は愛国社以来の地方農村を主な支持基盤として継承した。
え 国会開設をめざす全国的団体はこの政党の結成後も存続した。
お この政党はその後結成された立憲改進党と友好関係を維持した。
8 空欄Eは後に下線eの運動の中心となった。該当する人物の姓名を漢字で記述解答用紙に記入しなさい。
9 下線eを掲げた運動に関連する記述として正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 憲法制定に向けて民権派の再結集をはかろうとする運動であった。
い 運動は,この年,三大事件建白運動と呼応して展開された。
う 運動は西日本を中心に展開された。
え その後,運動の中心人物が入閣したため,この運動は分裂した。
お 運動のひろがりが初期議会における民党の基盤につながった。
10 下線fに関連する記述として誤っているものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 解党していた自由党系の勢力は,議会開設前,立憲自由党を結成した。
い 議会開会前に実施された総選挙で民党は過半数を占めた。
う 議会開会時の内閣は,超然主義を掲げる黒田清隆内閣であった。
え 民党側は第一回議会で政費節減・民力休養を掲げ政府と対決した。
お 政府側と民党側が激しく対立し,第一議会は解散されるに至った。
解答(自由民権運動の流れは、早大の最頻出テーマ!教科書レベルは重要年代も含めて完璧な対策が必要であることをここで実感!)
1 明六社(1875年と加藤・西村から想起できるような対策ができてますか?)
2 自由之理
3 文明論之概略(このヒントだけで自信を持って解答するのは難)
4 い・お(正確な年代把握が必要!)
5 河野広中
6 あ(自由民権運動の流れをかなり正確におさえていないと解けない問題だが、早大受験では定番である)
7 う
8 後藤象二郎
9 え・お(本問も自由民権運動好きな早稲田を過去問研究で把握していた人は、正解にたどり着きやすい)
10 う・お(早稲田なら標準レベルの問題。うは黒田清隆内閣ではなく山県有朋内閣。おでは、第一議会は自由党土佐派
が軍拡予算成立に協力したため、閉会まで行われたので誤文。土佐派の裏切りは早大受験者なら知ってるはずだが。)
吉田塾では、上記のような問題を攻略するための「戦略的かつ効率的」な指導を行っています。
さらに詳しい「早大法学部の日本史」が知りたい人は、お問合せください。
丁寧なカウンセリング(無料)の中で、伝授します!
早稲田の日本史(人間科学部編)
2018年10月6日 志望大別対策
早大日本史の全学部(政経学部を除く)に共通する問題形式の特徴(傾向)は、正文誤文判定問題である。
今回は、最新の過去問(2018年)を利用して人間科学部の問題を紹介します。
なお、法学部・商学部・教育学部・社会学部なども問題形式が同じですのでとても参考になりますよ。
早稲田のレベルがセンター試験の正誤判定と比べて、どれほどのどれほどの違いがあるのかを
ここで知ってほしい。
2018年2月18日 人間科学部本試験
大問1 問6 下線部f(古事記・日本書紀)について述べた文として,誤っているものはどれか,1つ選べ。
ア 『日本書紀』は,編年体で書かれている。
イ 『日本書紀』は,元正天皇の時代に完成した。
ウ 『日本書紀』の次の六国史は,『続日本紀』である。
エ 『古事記』は,稗田阿礼が記憶していた伝承を太安万侶が筆録したものである。
オ 『古事記』は,孝徳天皇までの天皇家の歴史を記す。
大問4 問5 下線部c(シベリア出兵)に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア アメリカがシベリアにいたチェコ軍救援を提唱したことを受けて行われた。
イ ニコラエフスクで日本軍・居留民がパルチザンに包囲され,殺害される事件が起きた。
ウ 出兵には多額の戦費が費やされ,多くの死者と負傷者を出す結果となった。
エ 第一次世界大戦後に各国は撤兵したが,日本の駐兵は長期に及んだ。
オ 日本軍は,一時はシベリア・北満州を越えてロシア西部にまで進出した。
カ 日本はソヴィエト政権からシベリアの鉄道敷設権などの権益を獲得した。
問10 下線部e(治安維持法)に関連して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 日ソ国交樹立による共産主義の広がりを防ぐ目的があった。
イ 国体の変革を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
ウ 私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
エ 昭和初期の治安維持法の改正は,普通選挙制による最初の総選挙の年に行われた。
オ 昭和初期の治安維持法の改正により,死刑を含む処罰の規定が廃止された。
カ 東条英機内閣のとき,北部仏印進駐のあった年に治安維持法の改正が行われた。
大問5 問8下線部eは自由民権運動が盛んだった時期のことを指すが,この時期に作成された私擬憲法に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 福沢諭吉系の交詢社は「私擬憲法案」を作成した。
イ 「私擬憲法案」は,大統領制と国務大臣連帯責任制を定めた。
ウ 板垣退助が設立した立志社は「日本憲法見込案」を作成した。
エ 「日本憲法見込案」は,二院制を定めた穏健なものであった。
オ 植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」は,人権保障,一院制を認めた急進的なものであった。
カ 東京近郊の五日市で活動していた豪農の民権家たちは「五日市憲法草案」を作成した。
解答 大問1の問6 オが誤文。孝徳天皇ではなく推古天皇だと正文となる。
大問4の問5 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出するイの尼港事件を知っていると正解にたどり着きやすい。
問10 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出する治安維持法(1925年制定⇒1928年の改正で
最高刑が死刑⇒1942年の改正で予防拘禁制)の流れをしっかり押さえていたら正解にたどり着きやすい。
大問5の問8 イとエが誤文。私擬憲法関連は、早稲田が大好きな「自由民権運動の流れ」の重要関連事項
なので早大の過去問研究をしっかりやった人は、試験当日楽勝で対策をしてない人との差をつける問題となります。
吉田塾では、上記のような問題に対応できるために「戦略的かつ効率的」な早稲田対策を行っています。
そのリアルな成功例が、「早稲田の合格レポート」(大村君)に掲載されていますのでぜひ読んでください!
なお、さらにくわしい「傾向と対策」が知りたい人は、お問い合わせしてもらえれば
カウンセリング(無料)を丁寧に行う中で、伝授しますよ!
「東大の日本史」を戦略的かつ効率的に攻略する
2018年9月24日 志望大別対策
今年の吉田塾には、英数はまずまず得意だけど日本史が超苦手な東京大学文Ⅱ(経済学部)志望のAさんがいます。
神戸市在住のため、通信添削やスカイプによる授業を行っていたのですが
日本史の遅れをカバーするために今日は、名古屋の吉田塾まで半日特訓を受けに来てくれました。
大正時代の政治・外交・経済を「東大の日本史」対応型で一気にまとめる板書を丁寧に
展開したところ「目からうろこ」的な発見や納得とともに大正時代全体をイメージすることが
できたようでです。
日本史が苦手なAさんもこの時代の東大過去問なら書ける!
との手ごたえが持てるようになったようで何よりでした。
吉田塾では、このように塾生一人一人の個性別に指導することが可能です。
戦略的かつ効率的に志望大対策をすすめたい人は、吉田塾との相性を確認する
ためにカウンセリング(無料)のためのお問合せを頂ければ幸いです。
名古屋大のオリジナル対策問題を掲載!
2018年9月23日 志望大別対策
名古屋大の日本史では、近年戦後史の問題のウェートが高い場合が
多くこの傾向は来年以降も続くと吉田は見ています。
この傾向にピッタリ合ったオリジナル対策問題の一部を
「名古屋大の日本史」の中に新作問題としてアップしました!
名古屋大の志望者は、ぜひ見てください。
応援しています!
一橋大(教え子)の合格レポート
2018年9月16日 志望大別対策
今年、一橋大学の社会学部に合格した大原君が後輩のためにと
合格レポートを書いてくれました。
一橋大をめざす人はもちろんのこと、吉田塾を利用して戦略的・効率的
に志望大の日本史を攻略するイメージがわきやすい部分を以下に抜粋しました。
「吉田先生は過去問や予想問題を頻出範囲ごとに非常にたくさん用意してくださるので、入試本番でも見たことのある問題に出会う可能性は高いです。実際、僕の入試の時は、国訴や国家総動員法、15年戦争など、先生の予想問題や講義で丁寧に解説してくださったところが問われました。出題範囲が偏っているという一橋大学の特徴にあった対策をしっかりしてもらえるので、非常に有意義であったと思います。」
上記以外の部分(レポート)は、「一橋大の日本史」の中に掲載されています。
興味を持った人は、ぜひ全文を読んでみてください!
名古屋大の日本史(2018年2月 古代分野)
2018年8月18日 志望大別対策
名古屋大の日本史(文学部・情報文化学部)では、本格的な
論述問題が出題されます。今回は最新の過去問を利用して
名古屋大の古代分野の分析の一部(傾向と対策!)を紹介します。
大問1(古代分野)では、
史料文を提示してその史料に則して歴史事項を説明させる問題が頻出(三年連続!)している。
2018年の大問1の問5
下線部⑤について,この官人登用の仕組みを定めた養老令の条文は,下記のとおりである。この史料を読んで,この制度の内容について説明せよ。
およそ,位を授けむは,皆年二十五以上を限れ。ただし,蔭をもって出身せむは,皆年二十一以上を限れ。
およそ,五位以上の子の出身せむは,一位の嫡子に従五位下,庶子に正六位上。(中略)従五位の嫡子に従八位上,庶子に従八位下。三位以上は,蔭,孫に及ぼせ。子に一等降せ。(下略) (選叙令,原漢文,一部を書き改めた。)
上記の問題は、「蔭位の制」を説明する問題なので難しくはないが、2017年の大問1の問3は、史料文から陣定や内覧を想起しなくてはならず、かなりの史料読解力が必要となる問題
も出題されるので「史料対策」は必須であることが「相手を知る」(過去問研究!!!)ことではっきり見えてきます。
吉田塾では、「相手を知る」ことが戦略的に最も大切であるとの姿勢を貫いています。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」(孫子の兵法)は、現代においても最も重要な戦略的視点として君臨しています。
この「相手を知る」ために具体的な勉強法をもっとも効率的に指導する(伝授する)のが吉田塾でありたい思っています。
名古屋大の日本史を戦略的かつ効率的に攻略したいと思っている受験生は、カウンセリング(無料)段階でも
たくさんの情報を提供してますので、ぜひお問合せ下さい。
南山大の日本史(2018年2月の問題分析)
2018年8月16日 志望大別対策
「南山大の日本史」が、2018年2月の個別日程(2月9日〜13日)で
記述問題(論述問題)が小問で2個増加(12個⇒14個)し、
マーク式は3個減少(29個⇒26個)しました。
記述問題の方が一個当たりの配点も高いため、ますます重要度が増して
合否を左右するようになっています。
大学入試改革の影響で記述重視の傾向はますます強まるでしょう。
また、「南山大の記述問題」は穴埋め問題が多いのですが受験生にとって
は少し難しいと感じる問題が増える傾向が2018年は顕著でした。
以下にその典型例として2018年の記述問題・論銃問題を紹介します。
南山大志望者の人は、解いてみましょう!
2018年2月10日(経済学部など)の記述問題
(一) 次の文を読み,下記の設問(1)~(6)に答えなさい。
鎌倉時代の武士団は, A と呼ばれる一門一族の長によって統率されていた。内裏を警護する B など御家人役の賦課があると, A が C に割り当てた。
B などを勤めるための経済的基盤となる所領の相続について,御成敗式目はとくに規定を設けてはいない。しかし, D が著した『沙石集』からは, A が C より多く相続する慣習があったことがわかる。また,女性の相続権も否定されていなかった。
しかし, E 相続が続くと各家の財産は小さくなり,役に耐えられない御家人が現れてきた。このような御家人の窮乏を防ぐため,永仁の徳政令では,「所領を以て或いは F に入れ流し,或いは売買せしむる」ことが禁止された。また,女性への相続は,所領が他氏の手に渡り,一族全体の所領が減ることになるため,原則としておこなわれなくなった。こうして鎌倉時代末期には, G 相続に移行した。
女性への相続は, H としておこなわれることに限定され,その女性の死後は予定された相続人に譲られるようになった。
〔設 問〕
(1) 空欄 A および C に入る語を,漢字で答えなさい。
(2) 空欄 B に入る語を,漢字5字で答えなさい。
(3) 空欄 D に入る人名を,漢字2字で答えなさい。
(4) 空欄 E および G に入る語を,漢字で答えなさい。
(5) 空欄 F に入る語を,漢字2字で答えなさい。
(6) 空欄 H に入る語を,漢字3字で答えなさい。
2018年2月13日(英米学科など)の論述問題
(三) 次の文と史料を読み,下記の設問(13)~(15)に答えなさい。
邪馬台国は,日本古代史最大の謎の一つである。2世紀から3世紀頃の倭国について記述した中国の史書には,以下の記述がある。
倭人は A の東南大海の中にあり…。郡より倭に至るには,海岸にしたがって水行し,韓国を歴(へ)て,あるいは南しあるいは東し,其の北岸狗邪韓国(くやかんこく)に至る,七千余里。始めて一海を渡る,千余里,対馬国に至る。…又南一海渡る千余里…南,邪馬台国に至る。女王の都する所。…郡より女王国に至る万二千余里。
(史料は,一部書き改めたところがある。)
邪馬台国の所在地をめぐっては,この記述の解釈によって, B 説と C 説とが提唱されている。この2つの説は,邪馬台国の勢力の広がりと,邪馬台国とのちのヤマト政権との関係について,それぞれ異なる見解を示しているa。
さらに,この史料には,「倭の女王」が,「景初二年六月」に A 郡を通じて魏に使者を遣わして朝貢をおこない,「親魏倭王」の称号と「銅鏡百枚」などを賜ったことが記されている。これに関して,奈良県黒塚古墳から多数出土している D 鏡が,このとき「女王」の賜った品であるとする説がある。一方, D 鏡は,中国から渡来した工人が日本で製作したものであるとする説もある。
〔設 問〕
(13) 空欄 A に入る語を,漢字で答えなさい。
(14) 空欄 D に入る語を,漢字5字で答えなさい。
(15) 下線部aについて,どのような見解かを,50字程度(句読点も1字に数える)で説明しなさい。ただし,空欄 B および C に入る語(それぞれ漢字2字)を用いること。
解いてみてどう感じましたか?
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戦略的(効率的)な「南山大の日本史」攻略法をいっしょに確立して
合格を勝ち取ってほしいと思っています。
名古屋大の日本史(最新の過去問を分析!)
2018年7月28日 志望大別対策
今年の「名古屋大の日本史」では、大学入試改革を踏まえた
問題が大問2の問1で出題されました。
問1 下線部①に関連して,このとき種子島に渡来した船は,
次の図1,2のどちらでもあり得たと考えられる。
あなたはどちらの可能性が高いと考えるか,
史料文中の根拠を示しながら論ぜよ。
図1は中国式のジャンク船、図2はポルトガル船で
現在の定説は図1の方だが、図2でもちゃんと根拠を示せば
正解となる。
これからは、このような問題が国立大学の二次試験では
増えていくでしょう。
吉田塾では、このような新傾向問題にも対応した添削指導が
可能です。「名古屋大の日本史」攻略をめざす人は、ぜひお問合せください。
応援しています!
上智大の日本史1(2018年7月26日)
2018年7月26日 志望大別対策
今年の吉田塾には、上智大を断然の第一志望にしている受験生がいます。
上智大を志望する人は、すでに「上智大の日本史」の傾向(問題形式など)をつかんだ
上でそれを意識しつつ、夏期は基礎力向上に取り組んでいますよね?
「相手(上智の日本史)を知らない」で、ただ一問一答式的な勉強で
すましている人は意識改革が必要です。
上智大学では、最初の受験日程(2018年なら2月3日)の日本史は
かなり長文の「史料文・資料文」を読ませて、200字程度の論述問題が
課せられます。上智大志望者なら、当然知ってるよね?
また、二日目以降の日程では一般的な受験生にとってはかなり手ごわい
本格的な史料問題が大問で出ます!
これも当然知ってて少しづつ対策してますよね?
現役生の中には、こんな大切なことも知らないで第一志望は「上智」!
なんて言ってる人がけっこういます。
吉田塾では、そういう人にならないように「相手を知る」ことから始めます。
「相手を知った」上で夏期(今)は、基礎力をつけよう!としている人と
「相手を知らない」でただ漫然と日本史を勉強している人では合格率に
大きな違いが出て来ます。
「上智大の日本史」についてもお問合せしていただければ、カウンセリング(無料)
段階においても、多くの情報を提供していますので、興味を持った受験生は
お問合せ下さい。
応援しています!
ニコライ堂の中に入る!
2018年5月7日 志望大別対策
歴検の黒水会長との会食は御茶ノ水でしたので
会食後は御茶ノ水駅から近い「ニコライ堂」と「湯島聖堂」、「神田大明神」
を散策してきました。
「ニコライ堂」は、センター日本史でも出ます!
1891年(明治17年)に建てられたビザンチン様式(センター世界史で出る)の
ギリシャ(ロシア)正教会の大聖堂です。キリスト教は、11世紀にローマカトリックと
東方正教会(ギリシャ正教)が互いを破門して分裂しましたよね。
ロシア人で東方正教会系のロシア正教の修道司祭であった
ニコライ・カサートキンによって建てられたので「ニコライ堂」です。
受験では、鹿鳴館の設計で有名なコンドルによる設計であることもあって
明治期の文化史として頻出します!
現在も「日本正教会」の拠点として機能していました。
入場料300円で大聖堂の中を見学することできますよ。
近くに行った時は、立ち寄ってみてください。
カトリックやプロテスタントとは違う雰囲気があって興味深いです。