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南山大の日本史(2018年2月の問題分析)

「南山大の日本史」が、2018年2月の個別日程(2月9日〜13日)で

記述問題(論述問題)が小問で2個増加(12個⇒14個)し、

マーク式は3個減少(29個⇒26個)しました。

記述問題の方が一個当たりの配点も高いため、ますます重要度が増して

合否を左右するようになっています。

大学入試改革の影響で記述重視の傾向はますます強まるでしょう。

また、「南山大の記述問題」は穴埋め問題が多いのですが受験生にとって

は少し難しいと感じる問題が増える傾向が2018年は顕著でした。

以下にその典型例として2018年の記述問題・論銃問題を紹介します。

南山大志望者の人は、解いてみましょう!

2018年2月10日(経済学部など)の記述問題

(一) 次の文を読み,下記の設問(1)~(6)に答えなさい。

鎌倉時代の武士団は, A と呼ばれる一門一族の長によって統率されていた。内裏を警護する B など御家人役の賦課があると, A が C に割り当てた。
B などを勤めるための経済的基盤となる所領の相続について,御成敗式目はとくに規定を設けてはいない。しかし, D が著した『沙石集』からは, A が C より多く相続する慣習があったことがわかる。また,女性の相続権も否定されていなかった。
しかし, E 相続が続くと各家の財産は小さくなり,役に耐えられない御家人が現れてきた。このような御家人の窮乏を防ぐため,永仁の徳政令では,「所領を以て或いは F に入れ流し,或いは売買せしむる」ことが禁止された。また,女性への相続は,所領が他氏の手に渡り,一族全体の所領が減ることになるため,原則としておこなわれなくなった。こうして鎌倉時代末期には, G 相続に移行した。
女性への相続は, H としておこなわれることに限定され,その女性の死後は予定された相続人に譲られるようになった。

〔設 問〕
(1) 空欄 A および C に入る語を,漢字で答えなさい。

(2) 空欄 B に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(3) 空欄 D に入る人名を,漢字2字で答えなさい。

(4) 空欄 E および G に入る語を,漢字で答えなさい。

(5) 空欄 F に入る語を,漢字2字で答えなさい。

(6) 空欄 H に入る語を,漢字3字で答えなさい。
2018年2月13日(英米学科など)の論述問題

(三) 次の文と史料を読み,下記の設問(13)~(15)に答えなさい。

邪馬台国は,日本古代史最大の謎の一つである。2世紀から3世紀頃の倭国について記述した中国の史書には,以下の記述がある。

倭人は A の東南大海の中にあり…。郡より倭に至るには,海岸にしたがって水行し,韓国を歴(へ)て,あるいは南しあるいは東し,其の北岸狗邪韓国(くやかんこく)に至る,七千余里。始めて一海を渡る,千余里,対馬国に至る。…又南一海渡る千余里…南,邪馬台国に至る。女王の都する所。…郡より女王国に至る万二千余里。
(史料は,一部書き改めたところがある。)

邪馬台国の所在地をめぐっては,この記述の解釈によって, B 説と C 説とが提唱されている。この2つの説は,邪馬台国の勢力の広がりと,邪馬台国とのちのヤマト政権との関係について,それぞれ異なる見解を示しているa。
さらに,この史料には,「倭の女王」が,「景初二年六月」に A 郡を通じて魏に使者を遣わして朝貢をおこない,「親魏倭王」の称号と「銅鏡百枚」などを賜ったことが記されている。これに関して,奈良県黒塚古墳から多数出土している D 鏡が,このとき「女王」の賜った品であるとする説がある。一方, D 鏡は,中国から渡来した工人が日本で製作したものであるとする説もある。

〔設 問〕
(13) 空欄 A に入る語を,漢字で答えなさい。

(14) 空欄 D に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(15) 下線部aについて,どのような見解かを,50字程度(句読点も1字に数える)で説明しなさい。ただし,空欄 B および C に入る語(それぞれ漢字2字)を用いること。

解いてみてどう感じましたか?

さらに詳しい情報が知りたい人は、お問合せください。

「南山大の日本史」を攻略するためのカウンセリング(無料)を

吉田塾では、丁寧に行っています。

戦略的(効率的)な「南山大の日本史」攻略法をいっしょに確立して

合格を勝ち取ってほしいと思っています。

 

名古屋大の日本史(最新の過去問を分析!)

今年の「名古屋大の日本史」では、大学入試改革を踏まえた

問題が大問2の問1で出題されました。

 

問1 下線部①に関連して,このとき種子島に渡来した船は,

次の図1,2のどちらでもあり得たと考えられる。

あなたはどちらの可能性が高いと考えるか,

史料文中の根拠を示しながら論ぜよ。

図1は中国式のジャンク船、図2はポルトガル船で

現在の定説は図1の方だが、図2でもちゃんと根拠を示せば

正解となる。

これからは、このような問題が国立大学の二次試験では

増えていくでしょう。

吉田塾では、このような新傾向問題にも対応した添削指導が

可能です。「名古屋大の日本史」攻略をめざす人は、ぜひお問合せください。

応援しています!

 

上智大の日本史1(2018年7月26日)

今年の吉田塾には、上智大を断然の第一志望にしている受験生がいます。

上智大を志望する人は、すでに「上智大の日本史」の傾向(問題形式など)をつかんだ

上でそれを意識しつつ、夏期は基礎力向上に取り組んでいますよね?

「相手(上智の日本史)を知らない」で、ただ一問一答式的な勉強で

すましている人は意識改革が必要です。

上智大学では、最初の受験日程(2018年なら2月3日)の日本史は

かなり長文の「史料文・資料文」を読ませて、200字程度の論述問題が

課せられます。上智大志望者なら、当然知ってるよね?

また、二日目以降の日程では一般的な受験生にとってはかなり手ごわい

本格的な史料問題が大問で出ます!

これも当然知ってて少しづつ対策してますよね?

現役生の中には、こんな大切なことも知らないで第一志望は「上智」!

なんて言ってる人がけっこういます。

吉田塾では、そういう人にならないように「相手を知る」ことから始めます。

「相手を知った」上で夏期(今)は、基礎力をつけよう!としている人と

「相手を知らない」でただ漫然と日本史を勉強している人では合格率に

大きな違いが出て来ます。

「上智大の日本史」についてもお問合せしていただければ、カウンセリング(無料)

段階においても、多くの情報を提供していますので、興味を持った受験生は

お問合せ下さい。

応援しています!

 

 

 

吉田塾東京会(7月13日)

先週の金曜は東京に出張(歴の能力検定協会 事務局)でした。

ちょうどタイミングがいいので東京在住の教え子たちに突然連絡を

入れたのにも関わらず、(ニガ笑)

柴田雄平君(早大スポーツ科学部卒の海運マン 33歳)

川崎かおりさん(津田塾大学2年)

大原ひろと君(一橋大社会学部1年)

大村智樹君(早稲田大人間科学部1年)

の4人が来てくれました。ありがとう!

上は33歳、下18歳の集まりでしたが意外なほどに盛り上がりました。

学生にとっては、社会人でバリバリ働いている人の話が聞けるのは

とても興味深いようで「ぜひ、また呼んでください!」と学生たちが

言ってくれたのはとてもうれしかったです。

彼らのような学生を吉田塾では、たくさん輩出したいと思っています。

なので、早稲田大・津田塾大・一橋大の「傾向と対策」などを2019年受験

のために完全リニューアルします!

一か月後には、上記の大学に対する分析はバージョンアップしてる

と思うのでぜひ参考にしてください!

 

 

神田明神(神田神社)に行く

先月、神田明神(神田神社)を参拝しました。

江戸(東京)の中心にある108の町(日本橋や築地魚市場、秋葉原、丸の内、大手町など)の総氏神様なのです。

よって、東京人(又は東京志向の人)は必ず参拝しておいた方がいいですよ。(笑)

ここから、受験につなげるのが吉田塾。

神田と言えば、神田の青物市が有名で「近世の商品流通」の問題として頻出します。

山川の教科書が江戸では、神田の青物市場と日本橋の魚市場。

大阪では、天満の青物市場と雑͡こ場の魚市場、そして最重要の堂島の米市場!

が太字(ゴシック体)で表記されていることもあり、正誤判定問題ではとても

狙われやすい事項となっています。

湯島聖堂に立ち寄る(アイドルの猪狩さんの事故後だったとは)

4月20日(金)に歴検の黒水会長と会食後に

御茶ノ水駅近くにある湯島聖堂に立ち寄りました。

9日前の11日(水)にはアイドルの猪狩ともかさんが

看板が倒れて大怪我(事故)にあってるとも知らずに。。。

大変かわいそうな事故ですが、湯島聖堂は大学受験日本史

の定番です。近世儒学史の中心ですのでここで覚えてしまいましょう。

聖堂とは、儒教の聖人をたてまつるお堂のことです。

湯島聖堂は、孔子廟です。

1690年(元禄3年)に学問好きの五代将軍の綱吉により

もともと、上野忍岡の林家にあったものを新築移転しました。

なお、重要関連事項として1790年の寛政異学の禁(松平定信)後には

湯島聖堂にある学問所を、1797年幕府直轄の昌平坂学問所(昌平黌)

としたことと寛政の三博士(三人+一人を指摘できますか?

難関私大で差がつくところです)をしっかりおさえておきましょう。

 

ニコライ堂の中に入る!

歴検の黒水会長との会食は御茶ノ水でしたので

会食後は御茶ノ水駅から近い「ニコライ堂」と「湯島聖堂」、「神田大明神」

を散策してきました。

「ニコライ堂」は、センター日本史でも出ます!

1891年(明治17年)に建てられたビザンチン様式(センター世界史で出る)の

ギリシャ(ロシア)正教会の大聖堂です。キリスト教は、11世紀にローマカトリックと

東方正教会(ギリシャ正教)が互いを破門して分裂しましたよね。

ロシア人で東方正教会系のロシア正教の修道司祭であった

ニコライ・カサートキンによって建てられたので「ニコライ堂」です。

受験では、鹿鳴館の設計で有名なコンドルによる設計であることもあって

明治期の文化史として頻出します!

現在も「日本正教会」の拠点として機能していました。

入場料300円で大聖堂の中を見学することできますよ。

近くに行った時は、立ち寄ってみてください。

カトリックやプロテスタントとは違う雰囲気があって興味深いです。

 

歴史能力検定協会 黒水恒男会長

先日、歴検の黒水会長と御茶ノ水で会食しました。

久しぶりにお会いして、相変わらずの頭脳明晰さには恐れ入りました。

(笑)

その中で、「戦略的思考」を養うための歴史(歴検の問題)が今後

ますます重要となってくることで認識が一致し、大いに盛り上がりました。

歴検日本史博士は、すでに頂いており10年連続日本史検定1級合格により

一応日本史は卒業してますので、今年から世界史検定1級の受験を再開します!

3年後の歴検世界史博士をめざして。

吉田塾早稲田会2

メルシーを出て久しぶりに早大キャンパスを少し散策し

最後に大玉かつ牛で有名な「三品」を新一年生に紹介しつつ

高田馬場まで歩きました。その間に今回会えなかった新1年生(箕浦さん 商学部)

からLINEが来て、「メルシーは先輩に連れられ、昨日行きました!」とのこと。

20年以上たっても、同じことが新歓期には行われていることがわかり、いい意味で

変わらない早稲田を感じることができた日でした。

大村君(人間科学部1年)からは、

「早稲田、めちゃくちゃ楽しいです!受験勉強を頑張った甲斐がありました。」

とのうれしい声も寄せられました。

今年の吉田塾の早大志望者にもこの話を伝えると来年は、自分がその中にいたいので

すごくやる気が出ました!と言ってくれたので早稲田合格の好循環ができそうです。(笑)

 

吉田塾早稲田会

4月20日(金)から二泊三日で東京出張でした。

かつてないほどのとても有意義な出張となったので今日から連載します。(笑)

20日の夕方は早稲田大の大隈銅像前で集合して吉田塾早稲田会がスタート!

まずは、早大生の「心のふるさと」とも言うべきラーメン店(メルシー)に

新一年生(早大商学部の坪田君)を連れていく。基本のラーメンは1杯なんと400円!

その安さとシンプルなうまさに坪田君は、かなり気に入りました。(笑)

吉田は、早大生時代はもやしラーメン(大)と半ライスが定番でしたが

今回は、もやしラーメン(並)にポークライスとドライカレーを注文!

みんなでシェアして「メルシーのすべて」を堪能しました。

やりたかった「大人食い(買い」)」が実現(笑)

つづく

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