「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場
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志望大別対策

早稲田の日本史(人間科学部編)

早大日本史の全学部(政経学部を除く)に共通する問題形式の特徴(傾向)は、正文誤文判定問題である。

今回は、最新の過去問(2018年)を利用して人間科学部の問題を紹介します。

なお、法学部・商学部・教育学部・社会学部なども問題形式が同じですのでとても参考になりますよ。

早稲田のレベルがセンター試験の正誤判定と比べて、どれほどのどれほどの違いがあるのかを

ここで知ってほしい。

2018年2月18日 人間科学部本試験

大問1 問6 下線部f(古事記・日本書紀)について述べた文として,誤っているものはどれか,1つ選べ。
ア 『日本書紀』は,編年体で書かれている。
イ 『日本書紀』は,元正天皇の時代に完成した。
ウ 『日本書紀』の次の六国史は,『続日本紀』である。
エ 『古事記』は,稗田阿礼が記憶していた伝承を太安万侶が筆録したものである。
オ 『古事記』は,孝徳天皇までの天皇家の歴史を記す。

大問4 問5 下線部c(シベリア出兵)に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア アメリカがシベリアにいたチェコ軍救援を提唱したことを受けて行われた。
イ ニコラエフスクで日本軍・居留民がパルチザンに包囲され,殺害される事件が起きた。
ウ 出兵には多額の戦費が費やされ,多くの死者と負傷者を出す結果となった。
エ 第一次世界大戦後に各国は撤兵したが,日本の駐兵は長期に及んだ。
オ 日本軍は,一時はシベリア・北満州を越えてロシア西部にまで進出した。
カ 日本はソヴィエト政権からシベリアの鉄道敷設権などの権益を獲得した。

問10 下線部e(治安維持法)に関連して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 日ソ国交樹立による共産主義の広がりを防ぐ目的があった。
イ 国体の変革を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
ウ 私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者,参加者の処罰を定めた。
エ 昭和初期の治安維持法の改正は,普通選挙制による最初の総選挙の年に行われた。
オ 昭和初期の治安維持法の改正により,死刑を含む処罰の規定が廃止された。
カ 東条英機内閣のとき,北部仏印進駐のあった年に治安維持法の改正が行われた。

大問5 問8下線部eは自由民権運動が盛んだった時期のことを指すが,この時期に作成された私擬憲法に関して,誤っているものはどれか,2つ選べ。
ア 福沢諭吉系の交詢社は「私擬憲法案」を作成した。
イ 「私擬憲法案」は,大統領制と国務大臣連帯責任制を定めた。
ウ 板垣退助が設立した立志社は「日本憲法見込案」を作成した。
エ 「日本憲法見込案」は,二院制を定めた穏健なものであった。
オ 植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」は,人権保障,一院制を認めた急進的なものであった。
カ 東京近郊の五日市で活動していた豪農の民権家たちは「五日市憲法草案」を作成した。

解答 大問1の問6 オが誤文。孝徳天皇ではなく推古天皇だと正文となる。

大問4の問5 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出するイの尼港事件を知っていると正解にたどり着きやすい。

問10 オとカが誤文。本問は早稲田で頻出する治安維持法(1925年制定⇒1928年の改正で

最高刑が死刑⇒1942年の改正で予防拘禁制)の流れをしっかり押さえていたら正解にたどり着きやすい。

大問5の問8 イとエが誤文。私擬憲法関連は、早稲田が大好きな「自由民権運動の流れ」の重要関連事項

なので早大の過去問研究をしっかりやった人は、試験当日楽勝で対策をしてない人との差をつける問題となります。

吉田塾では、上記のような問題に対応できるために「戦略的かつ効率的」な早稲田対策を行っています。

そのリアルな成功例が、「早稲田の合格レポート」(大村君)に掲載されていますのでぜひ読んでください!

なお、さらにくわしい「傾向と対策」が知りたい人は、お問い合わせしてもらえれば

カウンセリング(無料)を丁寧に行う中で、伝授しますよ!

「東大の日本史」を戦略的かつ効率的に攻略する

今年の吉田塾には、英数はまずまず得意だけど日本史が超苦手な東京大学文Ⅱ(経済学部)志望のAさんがいます。

神戸市在住のため、通信添削やスカイプによる授業を行っていたのですが

日本史の遅れをカバーするために今日は、名古屋の吉田塾まで半日特訓を受けに来てくれました。

大正時代の政治・外交・経済を「東大の日本史」対応型で一気にまとめる板書を丁寧に

展開したところ「目からうろこ」的な発見や納得とともに大正時代全体をイメージすることが

できたようでです。

日本史が苦手なAさんもこの時代の東大過去問なら書ける!

との手ごたえが持てるようになったようで何よりでした。

吉田塾では、このように塾生一人一人の個性別に指導することが可能です。

戦略的かつ効率的に志望大対策をすすめたい人は、吉田塾との相性を確認する

ためにカウンセリング(無料)のためのお問合せを頂ければ幸いです。

名古屋大のオリジナル対策問題を掲載!

名古屋大の日本史では、近年戦後史の問題のウェートが高い場合が

多くこの傾向は来年以降も続くと吉田は見ています。

この傾向にピッタリ合ったオリジナル対策問題の一部を

「名古屋大の日本史」の中に新作問題としてアップしました!

名古屋大の志望者は、ぜひ見てください。

応援しています!

 

 

一橋大(教え子)の合格レポート

今年、一橋大学の社会学部に合格した大原君が後輩のためにと

合格レポートを書いてくれました。

一橋大をめざす人はもちろんのこと、吉田塾を利用して戦略的・効率的

に志望大の日本史を攻略するイメージがわきやすい部分を以下に抜粋しました。

「吉田先生は過去問や予想問題を頻出範囲ごとに非常にたくさん用意してくださるので、入試本番でも見たことのある問題に出会う可能性は高いです。実際、僕の入試の時は、国訴や国家総動員法、15年戦争など、先生の予想問題や講義で丁寧に解説してくださったところが問われました。出題範囲が偏っているという一橋大学の特徴にあった対策をしっかりしてもらえるので、非常に有意義であったと思います。」

上記以外の部分(レポート)は、「一橋大の日本史」の中に掲載されています。

興味を持った人は、ぜひ全文を読んでみてください!

 

 

名古屋大の日本史(2018年2月 古代分野)

名古屋大の日本史(文学部・情報文化学部)では、本格的な

論述問題が出題されます。今回は最新の過去問を利用して

名古屋大の古代分野の分析の一部(傾向と対策!)を紹介します。

大問1(古代分野)では、
史料文を提示してその史料に則して歴史事項を説明させる問題が頻出(三年連続!)している。
2018年の大問1の問5
下線部⑤について,この官人登用の仕組みを定めた養老令の条文は,下記のとおりである。この史料を読んで,この制度の内容について説明せよ。

およそ,位を授けむは,皆年二十五以上を限れ。ただし,蔭をもって出身せむは,皆年二十一以上を限れ。
およそ,五位以上の子の出身せむは,一位の嫡子に従五位下,庶子に正六位上。(中略)従五位の嫡子に従八位上,庶子に従八位下。三位以上は,蔭,孫に及ぼせ。子に一等降せ。(下略)                     (選叙令,原漢文,一部を書き改めた。)

上記の問題は、「蔭位の制」を説明する問題なので難しくはないが、2017年の大問1の問3は、史料文から陣定や内覧を想起しなくてはならず、かなりの史料読解力が必要となる問題
も出題されるので「史料対策」は必須であることが「相手を知る」(過去問研究!!!)ことではっきり見えてきます。

吉田塾では、「相手を知る」ことが戦略的に最も大切であるとの姿勢を貫いています。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」(孫子の兵法)は、現代においても最も重要な戦略的視点として君臨しています。
この「相手を知る」ために具体的な勉強法をもっとも効率的に指導する(伝授する)のが吉田塾でありたい思っています。

名古屋大の日本史を戦略的かつ効率的に攻略したいと思っている受験生は、カウンセリング(無料)段階でも

たくさんの情報を提供してますので、ぜひお問合せ下さい。

 

南山大の日本史(2018年2月の問題分析)

「南山大の日本史」が、2018年2月の個別日程(2月9日〜13日)で

記述問題(論述問題)が小問で2個増加(12個⇒14個)し、

マーク式は3個減少(29個⇒26個)しました。

記述問題の方が一個当たりの配点も高いため、ますます重要度が増して

合否を左右するようになっています。

大学入試改革の影響で記述重視の傾向はますます強まるでしょう。

また、「南山大の記述問題」は穴埋め問題が多いのですが受験生にとって

は少し難しいと感じる問題が増える傾向が2018年は顕著でした。

以下にその典型例として2018年の記述問題・論銃問題を紹介します。

南山大志望者の人は、解いてみましょう!

2018年2月10日(経済学部など)の記述問題

(一) 次の文を読み,下記の設問(1)~(6)に答えなさい。

鎌倉時代の武士団は, A と呼ばれる一門一族の長によって統率されていた。内裏を警護する B など御家人役の賦課があると, A が C に割り当てた。
B などを勤めるための経済的基盤となる所領の相続について,御成敗式目はとくに規定を設けてはいない。しかし, D が著した『沙石集』からは, A が C より多く相続する慣習があったことがわかる。また,女性の相続権も否定されていなかった。
しかし, E 相続が続くと各家の財産は小さくなり,役に耐えられない御家人が現れてきた。このような御家人の窮乏を防ぐため,永仁の徳政令では,「所領を以て或いは F に入れ流し,或いは売買せしむる」ことが禁止された。また,女性への相続は,所領が他氏の手に渡り,一族全体の所領が減ることになるため,原則としておこなわれなくなった。こうして鎌倉時代末期には, G 相続に移行した。
女性への相続は, H としておこなわれることに限定され,その女性の死後は予定された相続人に譲られるようになった。

〔設 問〕
(1) 空欄 A および C に入る語を,漢字で答えなさい。

(2) 空欄 B に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(3) 空欄 D に入る人名を,漢字2字で答えなさい。

(4) 空欄 E および G に入る語を,漢字で答えなさい。

(5) 空欄 F に入る語を,漢字2字で答えなさい。

(6) 空欄 H に入る語を,漢字3字で答えなさい。
2018年2月13日(英米学科など)の論述問題

(三) 次の文と史料を読み,下記の設問(13)~(15)に答えなさい。

邪馬台国は,日本古代史最大の謎の一つである。2世紀から3世紀頃の倭国について記述した中国の史書には,以下の記述がある。

倭人は A の東南大海の中にあり…。郡より倭に至るには,海岸にしたがって水行し,韓国を歴(へ)て,あるいは南しあるいは東し,其の北岸狗邪韓国(くやかんこく)に至る,七千余里。始めて一海を渡る,千余里,対馬国に至る。…又南一海渡る千余里…南,邪馬台国に至る。女王の都する所。…郡より女王国に至る万二千余里。
(史料は,一部書き改めたところがある。)

邪馬台国の所在地をめぐっては,この記述の解釈によって, B 説と C 説とが提唱されている。この2つの説は,邪馬台国の勢力の広がりと,邪馬台国とのちのヤマト政権との関係について,それぞれ異なる見解を示しているa。
さらに,この史料には,「倭の女王」が,「景初二年六月」に A 郡を通じて魏に使者を遣わして朝貢をおこない,「親魏倭王」の称号と「銅鏡百枚」などを賜ったことが記されている。これに関して,奈良県黒塚古墳から多数出土している D 鏡が,このとき「女王」の賜った品であるとする説がある。一方, D 鏡は,中国から渡来した工人が日本で製作したものであるとする説もある。

〔設 問〕
(13) 空欄 A に入る語を,漢字で答えなさい。

(14) 空欄 D に入る語を,漢字5字で答えなさい。

(15) 下線部aについて,どのような見解かを,50字程度(句読点も1字に数える)で説明しなさい。ただし,空欄 B および C に入る語(それぞれ漢字2字)を用いること。

解いてみてどう感じましたか?

さらに詳しい情報が知りたい人は、お問合せください。

「南山大の日本史」を攻略するためのカウンセリング(無料)を

吉田塾では、丁寧に行っています。

戦略的(効率的)な「南山大の日本史」攻略法をいっしょに確立して

合格を勝ち取ってほしいと思っています。

 

名古屋大の日本史(最新の過去問を分析!)

今年の「名古屋大の日本史」では、大学入試改革を踏まえた

問題が大問2の問1で出題されました。

 

問1 下線部①に関連して,このとき種子島に渡来した船は,

次の図1,2のどちらでもあり得たと考えられる。

あなたはどちらの可能性が高いと考えるか,

史料文中の根拠を示しながら論ぜよ。

図1は中国式のジャンク船、図2はポルトガル船で

現在の定説は図1の方だが、図2でもちゃんと根拠を示せば

正解となる。

これからは、このような問題が国立大学の二次試験では

増えていくでしょう。

吉田塾では、このような新傾向問題にも対応した添削指導が

可能です。「名古屋大の日本史」攻略をめざす人は、ぜひお問合せください。

応援しています!

 

上智大の日本史1(2018年7月26日)

今年の吉田塾には、上智大を断然の第一志望にしている受験生がいます。

上智大を志望する人は、すでに「上智大の日本史」の傾向(問題形式など)をつかんだ

上でそれを意識しつつ、夏期は基礎力向上に取り組んでいますよね?

「相手(上智の日本史)を知らない」で、ただ一問一答式的な勉強で

すましている人は意識改革が必要です。

上智大学では、最初の受験日程(2018年なら2月3日)の日本史は

かなり長文の「史料文・資料文」を読ませて、200字程度の論述問題が

課せられます。上智大志望者なら、当然知ってるよね?

また、二日目以降の日程では一般的な受験生にとってはかなり手ごわい

本格的な史料問題が大問で出ます!

これも当然知ってて少しづつ対策してますよね?

現役生の中には、こんな大切なことも知らないで第一志望は「上智」!

なんて言ってる人がけっこういます。

吉田塾では、そういう人にならないように「相手を知る」ことから始めます。

「相手を知った」上で夏期(今)は、基礎力をつけよう!としている人と

「相手を知らない」でただ漫然と日本史を勉強している人では合格率に

大きな違いが出て来ます。

「上智大の日本史」についてもお問合せしていただければ、カウンセリング(無料)

段階においても、多くの情報を提供していますので、興味を持った受験生は

お問合せ下さい。

応援しています!

 

 

 

ニコライ堂の中に入る!

歴検の黒水会長との会食は御茶ノ水でしたので

会食後は御茶ノ水駅から近い「ニコライ堂」と「湯島聖堂」、「神田大明神」

を散策してきました。

「ニコライ堂」は、センター日本史でも出ます!

1891年(明治17年)に建てられたビザンチン様式(センター世界史で出る)の

ギリシャ(ロシア)正教会の大聖堂です。キリスト教は、11世紀にローマカトリックと

東方正教会(ギリシャ正教)が互いを破門して分裂しましたよね。

ロシア人で東方正教会系のロシア正教の修道司祭であった

ニコライ・カサートキンによって建てられたので「ニコライ堂」です。

受験では、鹿鳴館の設計で有名なコンドルによる設計であることもあって

明治期の文化史として頻出します!

現在も「日本正教会」の拠点として機能していました。

入場料300円で大聖堂の中を見学することできますよ。

近くに行った時は、立ち寄ってみてください。

カトリックやプロテスタントとは違う雰囲気があって興味深いです。

 

同志社大の合格レポート(北村夏海さん)

同志社大文学部に合格した北村夏海さんから、合格レポート

が送られてきました。

来年度同志社大をめざす人はぜひ参考にしてください。

とくに英語が弱点の人にお勧めです!

高校2年生のときに先輩方の合格体験記を読んで、私も1年後合格して合格体験記を書きたいと思っていたので、今この体験記を書くことができうれしく思います。
私はこの春から、第一志望の大学であった同志社大学文学部文化史学科に入学することになりました。周りの友人が志望大学を下げていく中で、第一志望を貫き通せたのは日本史を教えてくださっていた吉田先生のおかげだと思います。センター試験本番も自己最高点の94点をとることができ、私にとって雲の上の存在であった京都府立大学文学部歴史学科にも挑戦することができました。結果は不合格でしたが、挑戦してよかったと思っています。
私は私立専願だったので限られた教科しか勉強をしておらず、これから受験を向かえる後輩全員にあてはまる勉強法ではありませんが、参考にしてもらえたらうれしいです。
英語
私は英語が3教科の中で1番苦手で、高3まで全く勉強をしていませんでした。しかし、同志社は英語の配点が1番大きいと知り、合格をするために英語に多くの時間をつかいました。私が本格的に受験勉強を始めたのは夏休みで、夏休みに入ってすぐ同志社の赤本を解き、自分の今の実力と大学が求める英語力の差の大きさを実感しました。吉田先生がよくおっしゃる「相手を知る」ということが受験勉強への第一歩だと思うので、第一志望の赤本を受験勉強の初めに解き、大学合格のために何が必要かを把握しておくことをおすすめします。私は、赤本を解いて自分の弱点が長文の読解力と単語力と分かったので、夏休みは長文になれるため『やっておきたい300』を1題ずつと、『ターゲット1900』の初めから50語覚えて、次の日に前日覚えた50語をテストすることを毎日繰り返しました。また、学校で使用していた文法書『vintage』のイディオムを覚えるため単語帳をつくり、就寝前に復習をするということを日課にして試験本番まで続けました。単語、イディオムを身につけるだけで長文の読解力が格段に上がり、長文を‘読めた’と感じることができると思います。暗記することになりかなりつらいと思いますが、根気強く頑張ってください。9月、10月には『やっておきたい300』の2回目と『やっておきたい500』を仕上げました。私は、長文問題の復習を演習の倍以上の時間をかけて行い、文法の確認をしたり、知らない単語が出てきたら辞書をひき違うノートに書き写していました。演習の結果に一喜一憂するよりも復習を念入りにして、自分の弱点をなくしていくことが大切だと思います。11月、12月のはじめは『同志社の英語』を使って‘同志社’の長文になれる練習を行いました。この時から制限時間や,時間配分などを意識して演習に取り組んでいました。また、学校で使用していた『write it right』で英作の練習を始めました。英作を自分で採点することは難しいので、学校や塾の先生に添削してもらってください。12月中旬からは赤本を使って、本番の試験のように3教科連続で試験を受ける練習を始め、丸1日を使って赤本を解き、2日で3教科の復習をするというサイクルを試験前日まで続けました。最終的には15年分の赤本を解きました。赤本に取り組んだ回数が多ければ多いほどいいとは限りませんが、15年分しっかり取り組めたとうことが試験本番の自信につながりました。ちなみにセンター試験の結果は147点で、学校でしか演習をしていなかったにもかかわらず、思っていたよりも高得点をとることができ驚きました。特に問3、問4の長文問題は満点だったので、実力がついてきたと実感することができました。
国語
同志社の現代文の文章はとても長いですが、内容は比較的簡単なので集中力を切らさないようにすることが大切だと思います。古文は年度により難易度は様々なので演習を繰り返して、古文を解くための知識身につけるべきだと思います。私は同志社の問題を解くときに、全問正解すると気合を入れて毎回問題に取り組んでいました。
<現代文>
現代文は得意だったので、あまりコレといった勉強はしていません。すいません。12月中旬からは、赤本を解いてない日にセンター試験の現代文を1題ずつ解いて、毎日現代文にふれるようにしていました。
<古文>
夏休みは百人一首を一首ずつ品詞分解し、歌意や和歌の修辞法を勉強しました。また『古文上達』を12月に入るまで何回も繰り返して解いていました。古文単語は学校で使っている『読んでみて覚える古文単語315』を利用していました。覚えられない古文単語は、英語のイディオムのように単語帳をつくって復習をしました。
日本史
吉田先生の授業を受けて、日本史の実力が付いたと最初に感じたのは学校の定期テストでした。いつもは20位台だった校内順位が安定して5位以内に入るようになり、効率よく必要な知識を身につけられていると実感しました。模試の結果も着実に上がっていきました。日本史は吉田先生の授業ノートをベースにして、問題演習などで自分の知らなかった知識をつけたしていく方法が一番いいと思います。新たに参考書を買う必要はなく、教科書と吉田先生の授業ノート、問題集で十分です。吉田先生は授業中に同志社大学に出そうな用語や、過去出題された用語を教えて下さるのでノートに印をつけていました。夏休みは旧石器時代から授業で習った範囲のノートをもう一度写しなおして、頭に叩き込んでいました。9月ごろからは『関関同立の日本史』に取り組み、付属の解答書も読み込みました。同志社は教科書を中心に細かい知識まで問題となるので隅から隅まで読み、また問題の半分が筆記だったので書いて覚えるようにしていました。それでも最後の最後まで苦しんだのは文化史で、資料集や用語集を使い暗記のきっかけをつくって気合で覚えました。12月に入り、赤本を何年分も解いているとある程度傾向が分かってくるようになり、安定して点数がとれるようになっていきました。吉田先生のノートを最後まで信じて勉強に取り組んでください。必ず結果はついてくると思います。
最期に
私は同志社大学に合格することができましたが、模試の判定はずっとE評価良くてもD評価でした。それでも合格できたのは、苦手な英語をカバーできるぐらいの点数を日本史で取ることができたからだと思います。数ヶ月先の進路が決まっていないという不安の中、勉強を続けるのはとてもつらく、何度も投げ出したいと思うときがありました。皆さんもこれからの受験勉強で自分の思っている通りに成績が伸びず悩むこともあると思います。ときには息抜きをして、気持ちを切り替えて受験勉強に励んでください。私は、家のポストに合格通知が届いていたとき、目の前が一瞬にして明るくなったような気がしました。皆さんにもそんな体験をしてほしいと思っています。受験を終えた今は、憧れだった大学で自分の大好きな日本史を学べることがとても楽しみです。皆さんも第一志望を貫き合格を勝ち取ってください。応援しています!!

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