「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場
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受験の夏到来!(日本史が苦手な受験生へ)

7月に入り、日本史が苦手な受験生や保護者の方からのお問合せが

増えてきました。今週末は、お問合せのあった受験生(二名)に対して

夏休み前の定期テスト対策を無料カウンセリングの中で実施しています。

定期テスト対策と同時にテスト範囲内で第一志望大学(同志社大学・早稲田大学)

ではどのような問題が出題されるかが「はっきり見えてくる」一石二鳥の講座を

提案したところとても気に入ってくれました。

私もそのような講座を体験してみたいと思った人は、お問合せください。

簡単で超効率的な日本史対策を早めにはじめた方が良いタイプとは

新高校三年生に今伝えたいことがあります!
「コツコツ」タイプで難関大合格をめざす人は今から簡単で超効率的な志望大日本史対策をコンパクトでいいのではじめてほしいという点につきます。
毎年、もう少し早く大学受験「日本史」(志望大の傾向など!)を知る時期が早ければ第一志望(一番行きたい)の大学にも手が届いたのにという人がいます。
能力の問題ではなく、少し早めに「敵を知り、己を知る」(自分が置かれている状況を客観的に把握すること!)作業を行っているかいないかの差が
一番行きたい大学に合格するかしないかを左右しているという大学受験の真実を吉田塾では、カウンセリング(無料)で分かりやすく伝授しています。
具体的に説明していきますので本気で行きたい大学(学部)があって「瞬発力」勝負が苦手な「コツコツ」タイプの人は、はやめに「お問合せ」してもらえれ
ば幸いです。

東大の日本史(冊封体制と小中華思想)

東大の日本史は、よく練られた問題が多く、しかも設問方法が独特なのでかなり手こずる受験生がとても多いです。

また、直近の過去問研究だけで済ましているといろんなテーマが採用されているので「核」となる分野やテーマを

見出しにくいと思います。

しかし、30年以上東大の日本史を分析すると東大が重視する分野やテーマがあり、繰り返し出題されているのが

はっきり見えてきます。

その一つが中国の冊封体制と日本の小中華思想です。

以下にその実例をあげるのでそのつながりを実感してください!

☆中国の冊封体制(朝貢)と日本の小中華思想が根底にある問題
2009年 第一問
次の(1)〜(4)の文章を読んで,下記の設問に答えなさい。
(1) 607年に小野妹子が遣隋使として「日出づる処の天子」にはじまる国書を提出したが,煬帝は無礼として悦ばなかった。翌年再び隋に向かう妹子に託された国書は「東の天皇,敬みて西の皇帝に白す」に改められた。推古朝に天皇号が考え出されたとする説も有力である。

(2) 659年に派遣された遣唐使は,唐の政府に「来年に海東の政(軍事行動のこと)がある」と言われ,1年以上帰国が許されなかった。669年に派遣された遣唐使は,唐の記録には高句麗平定を賀するものだったと記されている。

(3) 30年の空白をおいて派遣された702年の遣唐使は,それまでの「倭」に代えて「日本」という新たな国号を唐に認めてもらうことが使命の一つだったらしい。8世紀には遣唐使は20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(4) 717年の遣唐使で唐に渡った吉備真備と玄昉は,それぞれ中国滞在中に儒教や音楽などに関する膨大な書籍や当時最新の仏教教典を収集し,次の733年の遣唐使と共に帰国し,日本にもたらした。
設問
7・8世紀の遣隋使・遣唐使は,東アジア情勢の変化に対応してその性格も変わった。その果たした役割や意義を,時期区分しながら,6行以内で説明しなさい。

2003年 第一問
次の(1)〜(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで,下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では,中国と同じように,外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して,「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は,唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時,日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には,日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年,新羅使は,それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので,日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は,新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし,使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また,752年の新羅使は700人あまりの大人数で,アジア各地のさまざまな品物をもたらし,貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問
この時代の日本にとって,唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら,6行以内で説明しなさい。

1992年 第一問
次の文章を読み、下記の設問に答えよ。
西暦660年百済が唐・新羅の連合軍の進攻によって滅亡したとき、百済の鬼室福信は日本の朝廷に援軍を求め、あわせて、日本に送られてきていた王子余豊璋を国王に迎えて国を再興したい、と要請した。日本の朝廷はこれに積極的に応え、翌年豊璋に兵士を従わせて帰国させ、王位を継がせた。次いで翌662年には、百済軍に物資を送るとともに、みずからも戦いの準備をととのえた。663年朝廷はついに大軍を朝鮮半島に送り込み、百済と連係して唐・新羅連合軍に立ち向かい、白村江の決戦で大敗するまで、軍事支援をやめなかった。
〔設問〕このとき日本の朝廷は、なぜこれほど積極的に百済を支援したのか。下の年表を参考にしながら、国際的環境と国内的事情とに留意して5行以内で説明せよ。
612 隋、高句麗に出兵する(→614)。
618 隋滅び、唐起こる。
624 唐、武徳律令を公布する。高句麗・新羅・百済の王、唐から爵号を受ける。
637 唐、貞観律令を公布する。
640 唐、西域の高昌国を滅ぼす。
645 唐・新羅の軍、高句麗に出兵する。以後断続的に出兵を繰り返す。
648 唐と新羅の軍事同盟成立する。
660 唐・新羅の連合軍、百済を滅ぼす。
663 白村江の戦い。
668 唐・新羅の連合軍、高句麗を滅ぼす。

2009年・2003年・1992年の問題は、それぞれが密接に関連しているのがわかりますか?

吉田塾では、上記のような東大日本史の「核」なる分野やテーマを受験生にはっきり見える形で

指導することで「戦略的かつ効率的な」東大対策を伝授しています!

そのくわしい分析結果や対策法は、吉田塾が最も重視する「丁寧なカウンセリング」段階(無料)においても

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このカウンセリングによって、やるべきことが明確になって二か月で「東大日本史」の得点力が

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で対応してあげたいと思っています。

 

 

西郷どんと大学受験日本史(その1)

「面白き事もなき世を面白く」

これは、高杉晋作(長州藩:吉田松陰門下、奇兵隊の創設者)が死の直前に歌おうしたフレーズです。

吉田が、史上もっとも「かっこいいなあ」と思う言葉です。

さて、11月から本気の大学受験日本史の季節がはじまります。

英数などに時間をかけていた受験生も、本気で日本史に取り組まなければいけない時期になってきました。

面白くない「大学受験日本史」を少しでも面白く効率的に志望大の合格点をとるように吉田塾では指導しています。

今年で言えば、高杉晋作が生きた幕末が例年よりも出題率があがると吉田はみています。

大河ドラマ「西郷どん」を見ている教授(准教授)たちが、今年は幕末から西南戦争くらいまでの時代を大問として取り上げる可能性があります。

2018年2月の試験では、西郷隆盛をメインにした大問がいろんな大学で散見されました。

2019年2月の試験では、「西郷どん」の中で主役を上回るくらいの記憶に残る人物が意識的にも無意識的にも出題率があげると思います。

候補としては、渡辺謙が演じた「島津斉彬」は要注意です!

例えば、同志社大学はそもそも幕末が大好きなので普段の年以上にこの時代を深掘りしていても損はないでしょう。

「ハズキルーペ」効果もバカにならないと思っています。(笑)

日本史が苦手な人ほど「面白き事もなき日本史を面白く」して志望大に出る確率が高い分野をやっていきましょう!

そのための「戦略的かつ効率的」な取り組みを吉田塾では伝授しています。

早稲田の教育学部の日本史対策

2018年2月 教育学部の分析です。
大問5つ。古代・中世・近世から各1題、近現代から2題と各時代からバランスよく出題されている。早大他学部では、近現代分野(政経学部など)の出題割合が極端に大きいのに比べて全時代からまんべんなく出題されている。

小問数は37個。うち正文誤文判定問題が14個、記述問題が12個出題された。早稲田的な正文誤文判定問題の出来が合否を左右するのは他学部と同様である。

①教育学部では、正文誤文問題(選択肢文は5つ以上)において「正しいもの又は誤っているもの」を「2つ選べ」や「すべて選べ」という形式が採用されている。各問いはすべて合わせなければ得点はもらえないので、厳密に正文誤文判定できる能力が要求されている。
なお、「2つ選べ」形式は商学部や法学部などでも採用されているのでこれらの学部の過去問も利用して対策を立てよう!

②毎年、難度の高い大問も出題されているがそのような大問の多くが早大において繰り返し出題されている頻出テーマである。2018年では、大問3の近世の百姓(一揆とその周辺関連事項=民衆運動)や大問5の沖縄史は超頻出テーマとして過去問研究していれば準備できるテーマなので、やや難ぐらいならば、逆にライバルに差をつけることができる。
このように「戦略的かつ効率的」な過去問研究が合格戦略上、最重要であることを理解しよう!

上記の内容を実感するためにも、今ここで2018年の大問3を解いてみよう。
2018年 教育学部 第3問   解答と簡単な解説付き
次の史料と文章を読み,下記の問1~9に答えよ。問1・2については,それぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。問3~9については,それぞれの解答を選び,マーク解答用紙の記号をマークせよ。

(史料)
一 何事によらず,よろしからざる事に百姓大勢申し合わせ侯をととうととなえ,ととうして,しいてねがい事くわだつるを A といい,あるいは申しあわせ,村方たちのき候を B と申し,前々より御法度に候条,右類の儀これあらば,居むら他村にかぎらず,早々其筋の役所へ申し出るべし,御ほうびとして,
ととうの訴人 銀百枚
A の訴人 同断
B の訴人 同断
右の通り下され,その品により C 苗字も,御免あるべき間,aたとえ一旦同類になるとも,発言いたし候ものの名まえ申し出るにおいては,その科をゆるされ,御ほうび下さるべし,

この史料は,b1770年に幕府から発せられた触書である。これは高札と呼ばれる板札に記され,多くの人々の目に触れる場所に設けられた高札場に掲げられた。 D の訴人を褒賞する高札とともに,江戸時代の代表的な高札の一つである。
この触書が発せられた背景には,民衆運動の高まりという社会状況があった。それは民衆運動の二つの変化をともなっていた。一つは発生数の増加,もう一つは広域化である。18世紀中後期にその傾向が現れ始め,c19世紀に入るとさらに顕著になった。それは非合法運動ばかりでなく,d処罰の対象にならない訴願運動にも類似の傾向がある。また,将軍に直訴して処刑されたといわれる佐倉惣五郎のような, E の物語が形となって登場するとともに,それらの顕彰活動が行われるようになるのも,このころのことである。こうしたe江戸時代後期の民衆運動の高揚は,幕藩体制と呼ばれる支配体制の動揺を示している。

問1 江戸時代の武士身分の者には,空欄 C の特権があった。武士身分を表す, C という特権成立の契機となった政策を何というか。漢字二字で答えよ。

問2 空欄 E に入る語を漢字二字で答えよ。

問3 空欄 A と空欄 B に入る語の組み合わせとして,正しいものはどれか。一つ選べ。
ア A 逃散 B 浮浪
イ A 強訴 B 連判
ウ A 連判 B 逃散
エ A 連判 B 浮浪
オ A 強訴 B 逃散

問4 下線部aの大意はどれか。一つ選べ。
ア ひとたび右の仲間に加わると発言した者は,仲間から離脱したとしても許されない。
イ ひとたび右の仲間に加わった者は,仲間になれと呼びかけた者の名前を申し出なければ処罰される。
ウ ひとたび右の仲間から離脱した者は,それを役所に届け出れば褒美が下される。
エ ひとたび右の仲間から離脱した者は,その罪は許されないが,褒美が下される。
オ ひとたび右の仲間に加わったとしても,仲間になれと呼びかけた者の名前を申し出た者は罪を許され,褒美が下される。

問5 下線部bより前に発せられた幕府の命令をすべて選べ。
ア 田畑永代売買の禁止
イ 湯島聖堂の学問所における朱子学以外の講義禁止
ウ 仏教諸宗派共通の諸宗寺院法度
エ 生糸など江戸問屋経由で輸出を命じる五品江戸廻送令
オ 外国船を武力で撃退する異国船打払令
カ 江戸・大坂十里四方の上知令

問6 空欄 D に該当する宗教とそれに関することについて,正しく説明しているものはどれか。一つ選べ。
ア 密かにこの宗教を継承した人々の子孫はみな,明治時代,再び日本にやってきた宣教師の教会に属した。
イ この宗教が禁止されていた江戸時代,日本に潜入した宣教師はいなかった。
ウ 表向きこの宗教が消滅した17世紀後期に,宗門改や絵踏は廃止された。
エ 潜伏していたこの宗教の信者が弾圧された事件が,幕末・維新期に起こった。
オ 江戸時代,この宗教以外に禁止された宗教はない。

問7 下線部cと同じ19世紀の出来事をすべて選べ。
ア 閑院宮家創設 イ 蛮社の獄 ウ 田沼意知の刺殺
エ モリソン号事件 オ 赤穂事件 カ 蝦夷地調査の開始

問8 下線部dに該当するものはどれか。一つ選べ。
ア 国訴 イ 徒党 ウ 悪党 エ 一味神水
オ 村請

問9 下線部eに関する説明で,誤っているものはどれか。一つ選べ。
ア 幕府領や旗本領・藩領など,異なる支配領域にまたがって起こる場合があった。
イ 豪農が攻撃対象となることが多かった。
ウ これらの中にはアイヌの運動も存在する。
エ 郡中議定の制定や組合村の結成が広がったという背景がある。
オ これらを憂えた松平慶永は,幕府に対して「戊戌封事」という意見書を提出した。

解答
問1 刀狩(空欄Cには刀狩が入る。)
問2 義民(早稲田では義民とその例=佐倉惣五郎や磔茂左衛門は何度でも出る!)
問3 オ(史料読解力を養う対策が必要です。早稲田的な史料問題に強くならないと意味がありません。そのためにも過去問研究しよう。)
問4 オ
問5 ア・ウ(教育学部の特徴である「すべて選べ」の問題。ア=1643年、イ=1970年、ウ=1665年、エ=1860年、オ=1825年、カ=1843年)
問6 エ(浦上信徒弾圧事件を想起したい。なお、オでは日蓮宗不受不授派を想起できたで
あろうか。
問7 イ・エ(イ=1839年、エ=1837年)
問8 ア(国訴も早稲田では頻出する)
問9 オ(松平慶永ではなく徳川斉昭)

上記の問題は、早稲田対策(過去問研究)をしている人なら高得点がとれる問題である。
あなたは、どうでしたか?
早稲田は、「戦略的かつ効率的」な過去問研究をやった人が圧倒的に有利になる大学です。
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早稲田の日本史(文学部対策)

早大文学部の特徴としては、以下の2点が重要である。

①大問1は例年、原始時代(旧石器時代・縄文時代・弥生時代)から出題されている。

早大の他学部によっては、ほとんど出題されない分野なので文学部の強い意思を感じます。

②大問6は例年、本格的な文化史(とくに美術史や工芸史)の大問が出題されている。

問題作成者の美術・工芸史に対する強い思いが、ストレートに表れたリード文や設問であったりします。

図版も出題され、難度も高い年も多いので、腰を据えた本気の文化史対策が必要です。

早大文学部を志望する人ならば、上記の特性をしっかり受けとめた対策を立てましょう。

そのための第一歩として、今ここで2018年の大問1と大問2を解いてみよう!

大問1 解答と簡単な解説付き
次の文を読んで,問に答えなさい。
「先史時代」という概念は,歴史学において文字記録が登場する以前の時代のことをいう。そもそも人類の起源は約500万年前に遡るのであるが,その歴史が文字記録に現れるのは最後の5000年間であり,その意味で人類史の99.9%は無文字時代であり先史時代であった。そのうち進歩を急速に速めるのは最後のa1万年間になってからで,この間に人類は文化と社会の上で,大きな変革を遂げたといわれる。
日本で先史時代とは旧石器時代,縄文時代,弥生時代などが該当する。しかし,文字記録がなかったからといって,そこに住んだ人々に文化や社会の歴史がなかったわけではない。例えば,縄文時代は,全般的に狩猟採集経済にもとづきながらもb豊かな精神生活と安定的な生活を営んだことが考古資料からうかがわれる。またc弥生時代に関して,国内に文字による同時代の記録は残されていないが,古代中国の正史には弥生時代に当るd紀元前2世紀から紀元 A 世紀の「倭人」社会について,生活習俗と文化・社会の様態が語られている。
これらの時代の文化と社会については,政治経済,社会構造,精神生活をはじめ,現代の私達とは相当に乖離したものであることは間違いなさそうだが,それらを復元するために多くの資料と方法が用いられている。

〔問〕
1 下線aの内容で,誤っているものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 日本を含めてアジアの各地で農耕文化が営まれるようになった。
イ 多くの地域では,粘土を焼いて土器などの容れ物が製作されるようになった。
ウ 環境の状況に合わせて定住生活を営むようになった。
エ 首長国や国家などの複雑な社会が成立した。
オ 打製石器を使い始めるようになった。

2 下線bについて,その根拠は何か。正しいものを2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 環濠集落が営まれ,長年にわたる継続的な居住がうかがわれるから。
イ 墓が集落の近くに営まれ,墓中から多くの装飾品と奢侈品が出土するから。
ウ 山海の自然の恵みを享受したことが貝塚からの出土物で知ることができるから。
エ 首長による統括の下に装飾的で象徴的な工芸品が製作されたから。
オ 土偶や石棒など精神世界と関わる呪物や儀器が製作・使用され,儀礼や祭祀が活発に行われたから。

3 下線cの内容について,誤っているものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 本格的な稲作農業が営まれた。
イ 銅鐸や銅剣,銅矛などの青銅器が製作・使用された。
ウ 稲の品種において短粒米と長粒米が半分ずつ栽培された。
エ 朝鮮半島からの文化の影響がみられた。
オ 甕棺墓や支石墓,四隅突出型墳丘墓,再葬墓などが営まれた。

4 下線dの内容で,倭の最も古い時代について記載した史書はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 「魏志」倭人伝 イ 『漢書』地理志 ウ 『後漢書』東夷伝
エ 『宋書』倭国伝 オ 『隋書』倭国伝

5 下線dに記載された内容について,誤っているものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 黥面文身などの入れ墨の風習があった。
イ 社会の階層化が発達し,明瞭な身分の上下関係が確立していた。
ウ 統一前の小国が分立し,互いに覇を競い合っていた。
エ 邪馬台国の女王卑弥呼は,大人帥升を帯方郡経由で魏に遣使した。
オ 稲作や養蚕が行われたが,牛馬の牧畜は行われなかった。

6 空欄Aに入る適切な数値は何か。算用数字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。

大問1の解答

1 オ   2 ウとオ  3 ウ   4 イ

5 エ(「大人帥升」ではなく「大夫難升米」である)

6 3(世紀):邪馬台国(卑弥呼)の最重要年である239年(景初二年は三年の誤り)を想起!

なお、上記の2018年大問1のレベルは例年に比べて「かなり易しい」部類なので完答もしくは一問ミス

におさえたい大問である。

大問6

次の文を読んで,問に答えなさい。

日本絵画史上の作品のなかで,もっとも人々の心をくすぐる「ゆるキャラ」のひとつに,俵屋宗達の描いた『風神雷神図屛風』(国宝)があげられる。この作品は京都五山のひとつである A に所蔵されるもので,これを原本として,同じ図様の『風神雷神図屛風』(東京国立博物館蔵)をa尾形光琳が描き,さらにそれを継承するかたちで酒井抱一や鈴木其一が同じ画題を手がけた。血縁や師弟関係をともなわない「琳派」が流派の証しとした,いわば血統書のような画題であった。
この,風神雷神を絵画化することは,古くは6世紀の敦煌莫高窟壁画において,すでにおこなわれていた。奈良時代の作例では,釈迦の前世の物語を主題とし,絵巻物の先駆けといわれる『過去現在 B 』にも,風神雷神の姿が描かれている。さらに,鎌倉時代の絵巻物では『北野天神縁起絵巻』に,雷神の姿となった菅原道真の怨霊が清涼殿を襲う場面が登場する。また同じく鎌倉時代に作られた,彫刻作品として最古の風神雷神像の遺例が,b三十三間堂に現存している。
これらの図像を利用して,俵屋宗達は風神雷神の二神のみを組み合わせた独自の画面を作り上げたと考えられているが,そればかりでなく,まったく別の図像からアイデアを借用した可能性も指摘することができる。図版1は,修験道の聖地である大和国の C から出土した平安時代の『押出蔵王権現像』であるが,右腕と右足を振り上げて伸び上がるポーズは,宗達の風神雷神のうち D の図像ときわめて似かよっている。
京都で宗達が活動していた同じころ,江戸の周辺でも風神雷神の造形化がおこなわれていた。それが1635年ころにc日光東照宮の陽明門に安置するため作られた風神雷神の彫像である。この彫像は鎌倉時代の三十三間堂像を手本として制作された。また同じころ,江戸における庶民信仰の中心である浅草寺雷門にも風神雷神像が設置された。
現代でも,風神雷神の図像はあちこちに息づいている。たとえば映画監督 E が特殊技術撮影を手がけた『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年東宝公開)の宣伝ポスターなどには,やはり宗達の風神雷神に対する意識が強く見られる。今なお,宗達の図像は時を越えて継承され続けているのである。

(著作権処理の都合により図版1省略)

〔問〕
1 空欄Aに入る言葉は何か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 建仁寺 イ 相国寺 ウ 天龍寺 エ 東福寺 オ 南禅寺

2 下線aについて。光琳の代表作『燕子花図屛風』は,ある人物が三河国八橋で「かきつばた」の5文字を和歌に詠みこんだという故事にもとづく(折句)。その典拠である文学作品の題名は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。

3 空欄Bに入る言葉は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。

4 下線bについて。この仏堂の本尊である木造千手観音坐像の作者は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 運慶 イ 快慶 ウ 康慶 エ 定朝 オ 湛慶

5 空欄C-空欄Dの組み合わせとして正しいのはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 大峰山-雷神 イ 葛城山-風神 ウ 金峰山-風神
エ 熊野山-雷神 オ 高野山-雷神

6 下線cについて。この霊廟建築はどこの本殿建築様式を受け継いだものか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 伊勢神宮 イ 宇佐八幡宮 ウ 春日神社 エ 北野天満宮
オ 日吉神社

7 空欄Eについて。「特撮の神様」と呼ばれ,ゴジラをはじめ優れたキャラクターをいくつも生み出したこの人物は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 小津安二郎 イ 木下恵介 ウ 黒澤明 エ 円谷英二
オ 溝口健二

解答

1 ア(文学部対策=過去問研究していた人なら答えることができる!

教科書掲載レベルの絵画を徹底チェックする姿勢が養われているはずなので)

2 伊勢物語     3 絵因果経(図版で確認!)

4 オ(湛慶も、文学部なら出題が予想された人物である。試験当日は、「来たー」待ってました!となる対策を立てたい)

5 ア(大峰山は、やや難)

6 エ    7 エ

吉田塾では、上記のような「早大文学部」特有の問題に対応した対策(指導)を行っています。

解いてみるといかに早稲田合格のためには、「過去問研究」が大切かが分かったと思います。

その際に重要なのは、戦略的な視点です!

さらに詳しい「早大文学部」対策が知りたい人はお問合せください。

早大文学部の日本史を「戦略的かつ効率的」に攻略する道筋

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本気の早大志望者を本気で応援する吉田塾でありたいと思っています。

 

 

 

 

早稲田大の日本史(商学部対策:最新の過去問分析)

早稲田大では、各学部において学部特性をかなり意識した問題(大問)が出題されている。

商学部では、近現代の経済史(金融史・産業史など)を重視していて、この分野の骨太な問題が繰り返し出題されている。

また、定番の短文論述問題も近現代分野から出題が続いていることからも、商学部がいかにこの分野を重視しているかがわかります。

この商学部特性を理解する(実感する)ためにも、2018年2月の商学部の問題を解いてみましょう。

「戦略的かつ効率的」に早大商学部の日本史を攻略し、合格ためには、まず何よりも「相手を知る」(敵を知る)ことから始まります!

2018年2月 商学部本試験問題 大問5(解答と簡単な解説付き)

次の文章Ⅰ・Ⅱを読んで,下記の設問(A~J)に答えよ。(Ⅰのみを公開)

Ⅰ 開港は鎖国下で自生的な工業化を進めていた日本経済にイ強い影響を与えたが,庶民の生活を直撃したのは,ロ国際金銀比価への調整過程で生じた激しいインフレであった。物価の騰貴は暮らしへの圧迫を通じて社会不安を生み出し,貿易を否定する攘夷運動にもつながった。もっとも,開港により三貨を核とした幕府の通貨システムの枠組自体が変化したわけでなく,通貨制度そのものへの影響は限定されていた。
通貨制度が変容する契機は政権の交代であった。戊辰戦争に勝利をおさめた新政府はハ様々な制度改革を通じて政権基盤を固める一方,通貨については1871年に新貨条例を制定し,金本位制に基づく通貨制度を目指した。もっとも,実際には銀貨や不換紙幣が併存しており,価値の安定した本位金貨は流通から姿を消していった。大隈重信大蔵卿の下,1870年代後半にはニインフレが激しくなったが,この頃にはすでに同じ1円でも銀貨と紙幣との間に価格差(銀紙格差)が生じており,本位制度は事実上崩れつつあった。
大隈が失脚し,代わって大蔵卿に就任した松方正義は,財政と通貨制度の建て直しを目指して緊縮財政を進めると同時に,中央銀行として日本銀行を設立し,1880年代半ばすぎに日銀券を中心として銀本位制を確立した。
日本がようやく銀本位制を確立した時期に,主要先進国は金本位制に移行していった。そのために不要となった銀が市場に出され,国際市場では長期にわたって銀安(金高)傾向が続いていた。こうした状況をうけて,政府は調査会を設置し,ホ銀本位制を続けるか,先進国に追随して金本位制に移行するかについて議論を重ねた。調査会の論議は明確な決着を見なかったが,金準備問題が解決されたこともあって,1897年に金本位制を正式に採用するに至った。

問A 下線部イの開港が日本経済に与えた影響について述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.安価な綿織物が輸入され,国内の綿織物業や綿作を圧迫した。
2.織物や武器などの輸入が増加したため,貿易収支は開港当初から大幅な入超であった。
3.最大の輸出品は生糸で,主にアメリカ市場で販売された。
4.改税約書により従価税に改められ,一部の輸入品に対する関税率も引き下げられた。
5.幕府は生糸,茶など5品を江戸の問屋に廻送させ,輸出貿易の統制に効果をあげた。

問B 下線部ロについて述べた次の文章の a ~ c に該当する語句の組み合わせとして,正しいものを1つマークせよ。

日本は海外と比べて a の状態にあったため,大量の b が海外に流出した。そこでこれを防ぐために, b の実質価値を大幅に c 改鋳が行われた結果,物価上昇が引き起こされた。

1. a 銀安金高 b 銀貨 c 引き下げる
2. a 金安銀高 b 金貨 c 引き上げる
3. a 銀安金高 b 銀貨 c 引き上げる
4. a 金安銀高 b 金貨 c 引き下げる
5. a 銀安金高 b 金貨 c 引き下げる

問C 下線部ハに関連して,明治初期(1875年以前)に行われた制度改革について述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.版籍奉還に伴い旧藩主は知藩事となり,藩も徴税権を失った。
2.四民平等とされたが,華族と平民との通婚は禁じられていた。
3.金禄公債証書を与えて士族に対する秩禄給付をすべて廃止した。
4.内務省が新設され,殖産興業を推進するとともに,警察組織の統轄も行った。
5.年貢負担者であった自作農,小作農に地券を交付し,土地所有権を認めた。

問D 下線部ニの1870年代後半に進展したインフレについて述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.国立銀行の急増に伴う不換銀行券の増発がインフレの一因となった。
2.西南戦争の戦費調達を目的とした政府紙幣の増発がインフレにつながった。
3.インフレの中で地租に依存した政府財政の収支は次第に悪化した。
4.農産物価格の上昇により農家の地租負担は実質的に軽減された。
5.インフレ下で輸出超過が続いたため,正貨の蓄積が進んだ。

問E 下線部ホに関連して述べた次の文章の d ~ f に該当する語句の組み合わせとして,正しいものを1つマークせよ。

銀本位制には為替相場の d により金本位国との間で e が期待される点などにメリットがあり,また金本位制には f が容易になるなどのメリットが想定された。

1. d 低落(円安) e 輸出伸張 f 中国などアジア諸国への資本輸出
2. d 上昇(円高) e 輸入増進 f 先進諸国からの資本輸入
3. d 低落(円安) e 輸入増進 f 先進諸国からの資本輸入
4. d 低落(円安) e 輸出伸張 f 先進諸国からの資本輸入
5. d 上昇(円高) e 輸入増進 f 中国などアジア諸国への資本輸出

A 正解は1(2は、開港当初は「大幅な出超」であったので誤文。3はアメリカ市場ではなく主要貿易相手国はイギリスであったので誤文)

B 正解は2(経済史が得意な人=経済の仕組みを理解している人にとっては簡単な問題です。あなたにとってはどうですか?なお本問は

過去に論述問題として出題されたことがある。自分でも書いて説明できるまでの対策が必要である)

C 正解は4(5は小作農には地券は配布されなかったので誤文。)

D 正解は5(5を正文にすると「インフレ下で輸入超過が続いたため、正貨の保有高が減少していた」となる)

E 正解は4(本問も過去に短文論述問題として類題が出題されたことがある。自分で解答文が書けるくらいの対策が必要だ!)

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吉田塾東京会(7月13日)

先週の金曜は東京に出張(歴の能力検定協会 事務局)でした。

ちょうどタイミングがいいので東京在住の教え子たちに突然連絡を

入れたのにも関わらず、(ニガ笑)

柴田雄平君(早大スポーツ科学部卒の海運マン 33歳)

川崎かおりさん(津田塾大学2年)

大原ひろと君(一橋大社会学部1年)

大村智樹君(早稲田大人間科学部1年)

の4人が来てくれました。ありがとう!

上は33歳、下18歳の集まりでしたが意外なほどに盛り上がりました。

学生にとっては、社会人でバリバリ働いている人の話が聞けるのは

とても興味深いようで「ぜひ、また呼んでください!」と学生たちが

言ってくれたのはとてもうれしかったです。

彼らのような学生を吉田塾では、たくさん輩出したいと思っています。

なので、早稲田大・津田塾大・一橋大の「傾向と対策」などを2019年受験

のために完全リニューアルします!

一か月後には、上記の大学に対する分析はバージョンアップしてる

と思うのでぜひ参考にしてください!

 

 

神田明神(神田神社)に行く

先月、神田明神(神田神社)を参拝しました。

江戸(東京)の中心にある108の町(日本橋や築地魚市場、秋葉原、丸の内、大手町など)の総氏神様なのです。

よって、東京人(又は東京志向の人)は必ず参拝しておいた方がいいですよ。(笑)

ここから、受験につなげるのが吉田塾。

神田と言えば、神田の青物市が有名で「近世の商品流通」の問題として頻出します。

山川の教科書が江戸では、神田の青物市場と日本橋の魚市場。

大阪では、天満の青物市場と雑͡こ場の魚市場、そして最重要の堂島の米市場!

が太字(ゴシック体)で表記されていることもあり、正誤判定問題ではとても

狙われやすい事項となっています。

湯島聖堂に立ち寄る(アイドルの猪狩さんの事故後だったとは)

4月20日(金)に歴検の黒水会長と会食後に

御茶ノ水駅近くにある湯島聖堂に立ち寄りました。

9日前の11日(水)にはアイドルの猪狩ともかさんが

看板が倒れて大怪我(事故)にあってるとも知らずに。。。

大変かわいそうな事故ですが、湯島聖堂は大学受験日本史

の定番です。近世儒学史の中心ですのでここで覚えてしまいましょう。

聖堂とは、儒教の聖人をたてまつるお堂のことです。

湯島聖堂は、孔子廟です。

1690年(元禄3年)に学問好きの五代将軍の綱吉により

もともと、上野忍岡の林家にあったものを新築移転しました。

なお、重要関連事項として1790年の寛政異学の禁(松平定信)後には

湯島聖堂にある学問所を、1797年幕府直轄の昌平坂学問所(昌平黌)

としたことと寛政の三博士(三人+一人を指摘できますか?

難関私大で差がつくところです)をしっかりおさえておきましょう。

 

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