慶應義塾大学経済学部の日本史(2021年2月本試験)の分析をしてみよう!
2021年2月の本試験は、おおむね2020年2月本試験問題と同じ形式で出題されました。大問数は3題でその中に70字前後〜100字前後で解答する論述問題が8問出題されたのも2020年と同じです。
論述問題の難度に関しては2021年の問題は20年に比べて易しい問題(書きやすい問題)が多く高得点がとれるはずなのですが、そもそも本格的な論述対策を腰を据えてやってない受験生にとっては逆に「差を広げられてしまう」はめになった受験生も少なからずいたようです。
論述問題以外では、重要年代の暗記が必須となる問題(年代整序問題、年表問題、グラフの問題)が多く出題されるのも「慶応経済学部の日本史」の特徴です!
そして、2020年2月の本試験からの新傾向として大問1において2年連続で世界史の入試問題とほぼ同じ問題文(リード文や史料・地図)が採用され設問自体も全く同じものが多数出題されているところが要注意です!これは、2022年度から高校で開始される「歴史総合」(日本史と世界史の融合科目)を強く意識した問題と言えます。
今後の「慶応大学の日本史・世界史」両方の方向性を示す問題として参考にすべき最重要な問題であると吉田は見ています。
それゆえ今ここで、この新傾向問題を実際に解いてみることを強く推奨します!
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
「百聞は一見に如かず」だ!
16世紀のアジアでは,ポルトガルやスペインなどの宣教師らによるキリスト教布教活動が盛んとなった。日本では1549(天文18)年に来日したAイエズス会宣教師フランシスコ=ザビエルらの活動を通じてキリスト教が普及した。B日本からもローマに使節が派遣された。また,ポルトガルやスペインはアジア域内の貿易に参入し,Cポルトガル商人は日明貿易の主要な担い手にもなった。D日本の大名や商人もアジア諸地域との貿易を行い,こうした活発な貿易は17世紀前半まで続いた。
問1 下線部Aに関連して,イエズス会宣教師らがアジアでの布教活動を積極的に展開した背景にある,当時のヨーロッパにおけるキリスト教の動向を,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。(世界史との共通問題)
添削します。ヒント:「当時のヨーロッパにおけるキリスト教の動向」なんて日本史じゃないと思う受験生もいると思うけど、ちゃんと教科書(山川出版)には書いてあります。
問2 下線部Bに関連して,次の文章を読んで,以下の(1),(2)に答えなさい。
1582(天正10)年に,a九州のキリシタン大名3名の名代として,伊東マンショら4名の少年が長崎港を出発した。日本からの使節は,bポルトガルの植民地の港を経てリスボンに入り,1584年にマドリードでスペイン国王フェリペ2世に,翌年にローマで教皇に謁見したのち,1590年に帰国した。その後,仙台藩主伊達政宗の家臣支倉常長が派遣され,ローマで教皇に謁見した。しかし,支倉常長が帰国した時には,キリスト教は禁教となっていた。
(1) 下線部a の大名の組み合わせとして適切なものを,次の1~4の中から1つ選びなさい。
1.有馬晴信,大内義隆,大友義鎮
2.大内義隆,大友義鎮,大村純忠
3.大友義鎮,大村純忠,有馬晴信
4.大村純忠,有馬晴信,大内義隆
3
(2) 下線部b に関連して,使節が日本とローマの往復の途上寄港した場所の位置として適切なものを,次の地図中の1~9から4つ選び,番号が小さい順に左から記入しなさい。
3-6-7-8 天正遣欧使節は、ポルトガルが開拓したインド航路を利用した。3はモザンビーク、6はゴア(ポルトガル政庁)、7はマラッカ、8はマカオ。
問3 下線部Cに関連して,ポルトガル商人が日本と明との間の貿易を中継するようになった背景について,取引された主な商品と,明の貿易政策に触れながら,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
添削します。ヒント:日本と明が、直接取引できなくなっていたことを想起しよう。
問4 下線部Dに関連して,徳川家康が征夷大将軍に任じられてから幕府が日本人の海外渡航を禁じる前までの,日本の大名や商人の貿易活動に対する幕府の政策について,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
添削します。ヒント:朱印船貿易について想起しよう。