「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

早稲田大学 教育学部の日本史

2021年2月の教育学部の問題をここで分析してみよう。

大問5つ。古代・中世・近世から各1題、近現代から2題と各時代からバランスよく出題されている。早大他学部では、近現代分野(法学部や商学部など)の出題割合(難度)が極端に大きい(高い)のに比べて全時代からまんべんなく出題されている。

2021年2月の本試験では小問数は32個(20年32個)。うち正文誤文判定問題が22個(20年18個)、記述問題が11個(20年12個)、語句選択問題が10個(20年13個)出題された。早稲田的な正文誤文判定問題の出来が合否を左右するのは他学部と同様である

①教育学部では、正文誤文問題(選択肢文は5つ以上)において「正しいもの又は誤っているもの」を「2つ選べ」や「すべて選べ」という形式が採用されている。各小問はすべて合わせなければ得点はもらえないので、厳密に正文誤文判定できる能力が要求されている。

なお、「2つ選べ」形式は商学部や法学部などでも採用されているのでこれらの学部の過去問も利用して対策を立てよう!

②毎年、難度の高い大問も出題されていてそれが受験生を苦しめているが、そのような大問の多くが早大において教育学部や他学部で繰り返し出題されている頻出テーマである。2021年では、大問2の「一遍上人絵伝を利用した問題」は、教育学部で2016年にも出題されていた。大問4の「沖縄史」は難問に見えるが早稲田超頻出テーマとして過去問研究していれば対応できる問題なので、逆にライバルに差をつけることができる。

このように「戦略的かつ効率的」な過去問研究が合格戦略上、最重要であることを理解しよう!

上記の内容を実感するためにも、今ここで2020年の大問1を解いてみよう。

2020年2月19日実施 大問1(難問)

次の文章を読み,問19に答えよ。問17については,それぞれの解答を選び,マーク解答用紙の記号をマークせよ。問89については,それぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。 

 

歴史学の研究には史料の解釈が不可欠であるが,ひとくちに史料と言っても,その性格は時代によって様々である。古代史の解明にはa律令や格式の精読が欠かせないが,法令の文面が当時の政治状況や民衆の生活の実態をそのまま示しているとは限らないし,研究の進展によってその解釈が変わることも少なくない。例えば,b天平十五年格とも呼ばれた墾田永年私財法は,古くは律令制の公地公民制の原則を崩し,律令制を動揺させた法令とされてきたが,墾田は租を納めるべきc輸租田であり,墾田の増加は国家が支配する土地の拡大を意味することから,近年ではこうした解釈はむしろ逆転しつつある。また,こうした律令・格式など法令の条文は,その注釈書類やd『続日本紀』などの史書・法令集など,後世に編纂された編纂史料に収録されたものであり,古代史の研究は,正倉院文書を除くと,こうした編纂史料をベースとした研究にならざるを得ない。

一方,平安時代に入ると,貴族たちが政務のかたわらに記した日記類や,東大寺などの官寺にのこされた文書類などの一次史料がその数を増してくる。なかでも,e藤原道長が20年以上にわたって書き継いだ『御堂関白記』は,筆者の政治的地位の高さや,長期間にわたって記事が書き継がれている点でまことに貴重な史料と言えるが,これと同時代に書き残された『小右記』・f『権記』などの日記が残る点も重要である。とくにg前者は,道長の行動に憤慨し,批判的な記述も多く残されていることから,編纂史料や文学作品などからはうかがい知れない,当時の宮廷の人間関係の機微が明らかになる点で,きわめて貴重である。

また,こうした日記がそもそも筆者自身の備忘や子孫に先例を伝える目的で書き記されたのに対し,寺社や武士の家などに残された文書は,hこれを受け取った人物や寺社に対し経済的な利権を保障するなど,直接的に経済的な利害と結びつきながらやりとりされたものが多く含まれている。さらに,このような文書が書き残されるようになって以降,文字の使い手が格段に広がっていったことにも注目すべきである。i紀伊国阿氐河荘百姓等の訴状は,同荘の番頭(有力百姓)が片仮名を用いて地頭湯浅氏の横暴を告発したものとして知られるが,当時の百姓たちが自らの言葉で荘園領主に対して地頭の非法を告発している様相がはっきりと読み取れる。

このように,ひとくちで史料と言ってもその内容や性格は多種多彩と言える。歴史学を研究する上では,まずはこうした史料の基本的性格をきちんと把握した上で解釈していくことが重要である。

1 下線部aについての説明として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 嵯峨・清和・醍醐の三天皇の時代に編纂された格式のうち,完全な形で現存しているのは弘仁格のみである。
イ 清原夏野らによって編纂された令の注釈書は詔によって施行された。
ウ 延喜式は,貞観式以前の式やその後の追加法を一本化して,藤原忠平らが完成させた。
エ 弘仁・貞観・延喜格の内容は,それらを分類・集成した『類聚三代格』によって知られる。
オ 惟宗直本は先行する種々の注釈を集成した令の注釈書を編纂した。
正解を表示するア 弘仁格式ではなく、延喜式がほぼ完全な形で現存している。難問

2 下線部bの年について,この年に右大臣から左大臣に転任した人物は誰か。一つ選べ。

ア 長屋王
イ 藤原武智麻呂
ウ 橘諸兄
エ 藤原仲麻呂
オ 道鏡
正解を表示するウ 天平十五年の格は743年に発令された墾田永年私財法のことであると分かっていれば、この時期の政権担当者は橘諸兄なのでウを選ぶことができる。

3 下線部cに当てはまるものの説明として誤っているものは次のうちのどれか。一つ選べ。

ア 五位以上の位階を持つ者に与えられた位田や官職に応じて与えられた職田は,律令制定当初,輸租田であった。
イ 六歳以上の男女にはすべて,輸租田である口分田が班給された。
ウ 寺田・神田からの収入は,寺院・神社の建造費・維持費などに宛てられた。
エ 天皇の勅により賜った賜田には租が賦課された。
オ 輸租田であるかないかに関わらず,実際に収穫のあった田地を熟田という。
正解を表示するア 職田は郡司の職田を除き、不輸租田であるので誤文

4 下線部dに関連する記述として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 六国史に共通する歴史叙述法は編年体と呼ばれている。
イ 国家による国史の編纂は『日本三代実録』以降,明治時代の『大日本史料』の編纂開始まで行われなかった。
ウ 『続日本紀』の編纂に関わった菅野真道は,藤原緒嗣との徳政相論に敗れた。
エ 菅原道真は太宰府に左遷されたため,六国史の編纂には関わっていない。
オ 六国史編纂という修史事業には,藤原良房・基経ら朝廷を主導した公卿も中心的に関わった。
正解を表示するエ 菅原道真は、最後の六国史である『日本三大実録』の編纂の中心人物である。積極法でエを選択できるようにしたい問題、そうでないと難問となる。

5 下線部eに関連する記述として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 藤原道長の栄華を詠った「望月の歌」は『御堂関白記』に記されている。
イ 『御堂関白記』には藤原道長の自筆本が残されている。
ウ 藤原道長は関白に就任したことはない。
エ 藤原道長は晩年に法成寺を造営したことから御堂関白と呼ばれた。
オ 『御堂関白記』は具注暦に記された日次記である。
正解を表示するア 「望月の歌」は、藤原実資の日記『小右記』に載せられている。必ず教科書に史料文が掲載されいて解説部分で明記されているので確認しよう。

6 下線部gに関連する記述として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 『小右記』の筆者は藤原実資である。
イ 筆者の養父は藤原忠平の長男で,安和の変の後,摂政となって摂関常置の道を開いた。
ウ 筆者の養父・実頼の家系を小野宮流と呼ぶ。
エ 筆者の養父は太政大臣,筆者は左大臣を務めた。
オ 小野宮流の藤原公任は『和漢朗詠集』などを編纂した。
正解を表示するオ 藤原実頼の日記『小右記』という名は、彼の通称である「小野宮右大臣」から由来していることを早大受験者なら知っておきたい。だとしても本問は難問です。

7 下の史料は下線部iの原文の一部である。このうち下線を付した部分から読み取れる当時の紀伊国阿氐河荘の様相について,正しいものはどれか。

〔史料〕

阿テ河ノ上村百姓ラツゝシテ言上

一,ヲンサイモク([御材木])ノコト,アルイワチトウノキヤウシヤウ([京上]),アルイワチカフ([近夫])トマウシ,カクノコトクノ人フヲ,チトウノカタエセメツカワレ候ヘハ,ヲマヒマ候ワス候。ソノノコリ,ワツカニモレノコリ候人フヲ,サイモクノヤマイタシ([山出])エイテタテ([出立])候エハ,テウマウノアト([跡])ノムキマケト候テ,ヲイモトシ([追戻])候ヌ。ヲレラカコノムキマカヌモノナラハ,メコトモヲヲイコメ,ミゝヲキリ,ハナヲソキ,カミヲキリテアマニナシテ,ナワホタシ([縄絆])ヲウチテ,サエナマント候ウテ,セメセンカウセラレ候アイタ,ヲンサイモクイヨイヨヲソ([遅])ナワリ候イヌ。ソノウエ,百姓ノサイケイチウ([在家一宇]),チトウトノエコホチトリ([壊取])候イヌ。

ア 百姓たちは,逃亡してしまった他の百姓たちの耕地に麦の種を蒔いて飢えを凌いでいる。
イ 地頭は,命令に従わない百姓の妻たちの耳や鼻を削ぎ切ってしまった。
ウ 地頭は,百姓の妻たちを尼のようにしてしまうぞと脅して人夫役に従わせようとしている。
エ 地頭は,自分が麦の種を蒔かなければ,百姓の妻たちは荘園領主に追い籠められてしまうぞと脅している。
オ 地頭は,百姓たちが麦の種を蒔かないから,妻たちが酷い目に遭っているのだと主張している。
正解を表示するウ 本問は教科書掲載レベルの史料文の解釈問題である。早稲田の中でも、とりわけ史料問題が頻出する教育学部志望の人なら、半分知識問題とのなるくらいにしてほしい。

8 下線部fの筆者で三跡の一人に数えられ,世尊寺流の流祖と仰がれた能書家は誰か。姓名を漢字四字で記しなさい。
正解を表示する藤原行成 彼の日記『権記』の名の由来は「権大納言藤原行成の日記」から来ている。世尊寺流から彼を選ぶのはやや難レベル。なお、吉田塾の早稲田直前対策講座においては強く指摘していた事項であったため、塾生は全員正解したようである。

9 下線部hについて,上皇の家政機関が,その職員たちの連署をもって下達した文書を何と呼ぶか。
正解を表示する院庁下文

上記の問題は、

早稲田対策(過去問研究)をちゃんとやっている人であれば、ある程度の点数は確保できるがそれが甘い人(そもそも過去問研究をやってない人)ならかなり苦戦する問題の典型となっています。
解いてみてあなたは、どう感じましたか?

なお、早稲田の過去問を解いて必要となる歴史用語レベルの細かさに驚いて「山川の用語集」の頻度数①・②をやみくもに覚えようとする受験生がいますがそれは超非効率な誤った早稲田対策と言えます。
早稲田は、「戦略的かつ効率的」な過去問研究をやった人が圧倒的に有利になる大学です。

吉田塾では、「戦略的かつ効率的」な早稲田対策の道筋を伝授しています。

早稲田の過去問研究を正しく行えば、やみくもに細かい知識を蓄えようとする受験生に比べて、覚える量を大幅にダウンサイジングしつつ、ライバルよりも高い点数(合格点以上!)をとることが可能なのです。

「敵を知り、己を知れば」百戦危うからず。

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