最新の早大文学部の過去問を分析しよう!
☆本学部の「傾向と対策」を読む前にまずは、ぜひ早稲田の日本史(全体分析)を読むことをお勧めします。とくに近年は、早稲田においても「共通テスト」を意識した問題作成が行われたものが散見されました。この新傾向(新形式)っぽい問題について分析したものを追加しましたので来年の本試験問題につながる可能性が高いです!
2019年2月本試験
大問数は6つ(2018年と同じ)
小問数は45個(2018年は47個) 以降( )内の数字は前年の数字
内訳は、正文誤文判定問題が20個(16個)、語句選択問題8個(13個)、記述問題17個(18個)となっている。
文学部においても早稲田的正文誤文判定問題の出来が得点を左右することがわかる。
また、記述問題の個数も多いので歴史用語を正しく漢字で書ける訓練をしておきたい。
知っていても書くとなると難しい漢字も毎年出題されているので注意が必要です。
(2019年伊治呰麻呂、2018年流鏑馬・山鉾など)
☆早大文学部の特徴としては、以下の2点が重要である。
①大問1は例年、原始時代(旧石器時代・縄文時代・弥生時代)から出題されている。
早大の他学部(政経学部や法学部など)では、まず出題されない分野なので文学部の強い意思を感じます。この文学部の意思をしっかり感じとるためにも、本ページに掲載してある2019年大問1を今ここで解いて実感しよう。「百聞は一見に如かず」だ。
②大問6は例年、本格的な文化史(とくに美術史や工芸史)の大問が出題されている。
問題作成者の美術・工芸史に対する強い思いが、ストレートに表れたリード文や設問であったりします。図版も必ず出題され、全体的に難度が高い年度も多いので、腰を据えた本気の文化史対策が必要です。その必要性を実感するために2019年・2018年の両方の大問6を掲載しました! 今ここで解いて実感してください。「彼を知り、己を知れば百戦危からず」です。
次の文を読んで,問に答えなさい。
旧石器時代の墓について,日本では発見例がほとんどなかったが,石垣島の白保竿根田原洞穴では十数体分の人骨が発掘され,後期旧石器人の遺体が葬られた墓域であると推定された。またa細石器を出土する北海道の遺跡で見つかる石製ビーズが副葬品だった可能性も指摘されている。
縄文時代の墓は,屈葬が一般的であることが知られている。こうした墓で見つかる縄文人骨には,通過儀礼として A の風習が見られることがある。縄文時代は土壙墓が主であり,墓の規模に差がないことから身分制度はなかったと考えられている。ただし石棒,漆製品や特殊な骨角器が副葬される墓もあり,集団の統率者や呪術信仰を司る人物がいたことがうかがわれる。
弥生時代は伸展葬の墓が多いが,土壙墓以外の墓も現れ,低い墳丘をもつ方形周溝墓が各地に分布する。弥生時代中期の九州北部では多くの甕棺墓がつくられた。その中のbごく一部には多くの金属製品が副葬される甕棺墓が見つかっている。また弥生時代後期にはcやや規模の大きな墳丘をもつ墓が各地でみられるようになる。こうした墓制からうかがえるのは集団の中の身分差や有力な支配層の出現であるが,彼らは環濠集落内に居住していたと思われる。
3世紀後半ごろから,近畿地方から瀬戸内海沿岸地域の支配層はより広域での政治的連合をつくり,前方後円墳という古墳を造営するようになる。こうした古墳は4世紀後半ごろには九州南部から東北南部におよんだ。古墳時代の支配層であるd豪族は,民衆が住む集落とは離れた場所につくられた豪族 B に住み,まつりごとを行っていた。
〔問〕
1 下線aについて,正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 日本列島では細石器は3万数千年前の後期旧石器時代初頭から使われている。
イ 細石器は日本列島で独自に発明された石器であり,周辺の大陸では見つかっていない。
ウ 細石器が使われた時代には多くの貝塚が形成され,海産資源への適応が進んだ。
エ 細石器を用いることで木を加工することが容易になった。
オ 木や骨などでつくった軸に溝を掘り,そこに細石器を並べて差し込んで槍先などに用いた。
オ 細石器(日本列島)は、旧石器時代時代の終わりごろから使われたのでアは誤文。
2 空欄Aに入る適切な語句を漢字2字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
抜歯
3 下線bについて,正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア こうした甕棺墓には大型の銅鐸が副葬された。
イ 数十面の中国製銅鏡が副葬されるような甕棺墓は「クニ」の王の墓と考えられる。
ウ 大型化した武器型青銅器はこうした甕棺墓に副葬するために製作された。
エ 弥生時代に鉄器はまだ日本列島には入っていなかったので副葬されることはなかった。
オ 同時期の北海道の続縄文文化の土壙墓でも青銅製祭器が副葬された。
イ 2018年の大問1でも甕棺墓は出ている。
4 下線cについて,正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 円形の墳丘の両側に突出部をもつ岡山県楯築墳丘墓はこうした墓の代表例である。
イ 島根県荒神谷遺跡はこうした墓の代表例である。
ウ 山陰地方ではこうした墓として四隅突出型墳丘墓が築かれた。
エ こうした墳丘墓では竪穴式石室を埋葬施設とするのが一般的であった。
オ 畿内ではこうした墓の墳丘上に円筒埴輪が並べられた。
ア,ウ 2018年の大問1でも四隅突出型墳丘墓が出ている。
5 下線dについて,誤っているものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 6世紀には地方の有力な豪族は国造に任じられ,その地の支配権を保障された。
イ 前期古墳に埋葬される各地の豪族は政治的支配者であると同時に宗教的な司祭者でもあった。
ウ こうした豪族は部と呼ばれる生産に従事する労働集団を私有していた。
エ 5世紀初め,九州の豪族が大規模な戦乱を起こしたが,ヤマト政権はこれを鎮圧した。
オ 5世紀以降,豪族たちは氏と呼ばれる組織に編成され,ヤマト政権の職務を分担し姓を与えられた。
エ 選択肢エは5世紀初めではなく、6世紀前半(527年!)の磐井の乱の説明文なので誤文。早大の正誤判定問題では、重要年代(時代感覚)が正誤の決め手となる場合が多い。よって、重要年代の暗記は必須だ。
6 空欄Bに入る適切な語句を漢字2字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
居館 本問のように早大では、他の大学や模試ではあまり問われないような箇所を記述式の空所補充問題で出す。このような問題に慣れるためにも他学部も含めた過去問研究が最も有効である。
☆吉田の視点
旧石器・縄文・弥生・古墳時代くらいまでの範囲でほぼ毎年大問1個分が出題されるのである意味、対策は立てやすいと言える。難易度もここ2年は、早稲田レベルとしては少し易しめの問題が多いのでしっかりこの時代の過去問(できれば、他学部も)と照らしわせながら重点的にやれば高得点が可能です!
次の文を読んで問に答えなさい。
日本の書の歴史は,中国の摸倣から始まる。福岡県志賀島で江戸時代に掘り出された金印には「 A 國王」と刻まれており,1世紀ころに中国から日本へ文字が渡来していたことを示す実例と考えられている。中国で発明された漢字は,日本でも石碑や墓誌銘といった金石文を刻む際に使われ,やがて朝廷の公用文として用いられるなど普及した。奈良時代には中国文化の摸倣が盛んであり,とりわけ六朝時代の書聖・王羲之の書風が流行した。正倉院宝物に含まれる『楽毅論』の筆者である B の書風は,その典型的な例である。かたや,漢字の音訓を利用して日本語を表す万葉仮名は,ひらがなを生み出す母胎となった。
平安時代の初期はやはり中国文化が重んじられ,空海(弘法大師)をはじめ,唐風の力強い書風の能筆家が出た。空海はさまざまな書体を駆使したことで知られるが,その代表的な書作品としてa『風信帖』があげられる。続いて平安時代後期になると,日本独自の文化が台頭するようになり,書の方面では,万葉仮名の草書体から生み出されたひらがなの美しさが貴族の間で認識され,優美で洗練された書風が流行するようになった。
鎌倉時代に入ると,すぐれた書家の個性が継承されるにつれて様式化され,書道における流派化が進んだ。代表的な流派としては,世尊寺流やb青蓮院流などがあげられるが,この時代の能書家のうち,とりわけ個性的な書風を示したのが藤原定家であった。彼の書風は,線の強弱を自在に変化させたデザイン性に富む独創的なものであり,定家流と呼ばれて後世の茶人たちに摸倣された。
室町時代には,武家の子弟教育のために『 C 』という教科書が利用された。これは往復形式の手紙を文例として読み書きを学ぶものである。戦国時代に来日して『日本史』という大著を残したイエズス会宣教師 D は,日本人の書道熱について「日本の子供はまず書くことから始め,その後に読むことを学ぶ」「彼ら(日本人)は全生涯を文字の神髄に通ずることに費やす」と報告している。江戸時代に入っても『 C 』は写本・版本のみならず,さまざまな注釈本や絵入り本が出て,c寺子屋などの教科書として広く用いられ続けたため,日本人の識字率はきわめて高くなった。
〔問〕
1 空欄Aについて。図1はこの金印に刻まれている文字である。刻まれているとおりに楷書体に直して,漢字3字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
漢委奴(國王)
2 空欄Bに入る人名はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 阿倍仲麻呂
イ 吉備真備
ウ 元明天皇
エ 光明皇后
オ 聖武天皇
エ 難問だが、早大文学部の文化史対策(正倉院宝物大好きそう!)という視点を過去問研究で強化していたら用語集でチェックし、カバーできないこともない。
3 下線aについて。この書巻は誰にあてて送られた書状をまとめたものか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 円珍
イ 円仁
ウ 最澄
エ 嵯峨天皇
オ 橘逸勢
ウ 空海の業績(関連事項)は、用語集などで細かいところまでおさえておきたい。
4 下線bについて。この流派の創始者はだれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 小野道風
イ 尊円入道親王
ウ 藤原佐理
エ 藤原忠通
オ 藤原行成
イ
5 空欄Cに入る書名は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
庭訓往来
6 空欄Dに入る人名はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア ヴァリニャーノ
イ ヴィレラ
ウ ザビエル
エ シドッチ
オ フロイス
オ
7 下線cの図が含まれることで知られる美術作品はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 『一掃百態』
イ 『画本東都遊』
ウ 『七難七福図』
エ 『十便十宜図』
オ 『夕顔棚納涼図屛風』
ア 『一掃百態』は、渡辺崋山の文人画である。資料集(図版)でチェックしよう! なお、同じく崋山の『鷹見泉石像』は要注意だ。
次の文を読んで,問に答えなさい。
日本絵画史上の作品のなかで,もっとも人々の心をくすぐる「ゆるキャラ」のひとつに,俵屋宗達の描いた『風神雷神図屛風』(国宝)があげられる。この作品は京都五山のひとつである A に所蔵されるもので,これを原本として,同じ図様の『風神雷神図屛風』(東京国立博物館蔵)をa尾形光琳が描き,さらにそれを継承するかたちで酒井抱一や鈴木其一が同じ画題を手がけた。血縁や師弟関係をともなわない「琳派」が流派の証しとした,いわば血統書のような画題であった。 この,風神雷神を絵画化することは,古くは6世紀の敦煌莫高窟壁画において,すでにおこなわれていた。奈良時代の作例では,釈迦の前世の物語を主題とし,絵巻物の先駆けといわれる『過去現在 B 』にも,風神雷神の姿が描かれている。さらに,鎌倉時代の絵巻物では『北野天神縁起絵巻』に,雷神の姿となった菅原道真の怨霊が清涼殿を襲う場面が登場する。また同じく鎌倉時代に作られた,彫刻作品として最古の風神雷神像の遺例が,b三十三間堂に現存している。 これらの図像を利用して,俵屋宗達は風神雷神の二神のみを組み合わせた独自の画面を作り上げたと考えられているが,そればかりでなく,まったく別の図像からアイデアを借用した可能性も指摘することができる。図版1は,修験道の聖地である大和国の C から出土した平安時代の『押出蔵王権現像』であるが,右腕と右足を振り上げて伸び上がるポーズは,宗達の風神雷神のうち D の図像ときわめて似かよっている。 京都で宗達が活動していた同じころ,江戸の周辺でも風神雷神の造形化がおこなわれていた。それが1635年ころにc日光東照宮の陽明門に安置するため作られた風神雷神の彫像である。この彫像は鎌倉時代の三十三間堂像を手本として制作された。また同じころ,江戸における庶民信仰の中心である浅草寺雷門にも風神雷神像が設置された。 現代でも,風神雷神の図像はあちこちに息づいている。たとえば映画監督 E が特殊技術撮影を手がけた『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年東宝公開)の宣伝ポスターなどには,やはり宗達の風神雷神に対する意識が強く見られる。今なお,宗達の図像は時を越えて継承され続けているのである。
(著作権処理の都合により図版1省略)
〔問〕
1 空欄Aに入る言葉は何か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 建仁寺
イ 相国寺
ウ 天龍寺
エ 東福寺
オ 南禅寺
ア 教科書掲載レベルの絵画は、その関連事項も含めて徹底チェックする姿勢が大切であることを教えてくれる問題だ。
2 下線aについて。光琳の代表作『燕子花図屛風』は,ある人物が三河国八橋で「かきつばた」の5文字を和歌に詠みこんだという故事にもとづく(折句)。その典拠である文学作品の題名は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
伊勢物語 これは難問、捨て問と考えても良いだろう。
3 空欄Bに入る言葉は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
絵因果経 現存最古の絵巻物として有名。図版(資料集)で丁寧に確認しておこう。
4 下線bについて。この仏堂の本尊である木造千手観音坐像の作者は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 運慶
イ 快慶
ウ 康慶
エ 定朝
オ 湛慶
オ 湛慶は、一般入試では難問の部類に入るが「早大文学部の文化史対策」の視点から言えば、得点は可能である。過去問研究をしながら教科書をベースに用語集でチェックする人とそこまでの対策をしない人でちょうど差のつく問題である。
5 空欄C-空欄Dの組み合わせとして正しいのはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 大峰山-雷神
イ 葛城山-風神
ウ 金峰山-風神
エ 熊野山-雷神
オ 高野山-雷神
ア 空欄C(大峰山)を特定することは難しい。しかし、空欄Dは図版対策していたら雷神(風神はあり得ない!)とすぐわかるので、アとエの2択に絞ることはできる。
6 下線cについて。この霊廟建築はどこの本殿建築様式を受け継いだものか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 伊勢神宮
イ 宇佐八幡宮
ウ 春日神社
エ 北野天満宮
オ 日吉神社
エ 日光東照宮(権現造)が、北野天満宮様式であることを問うのは難。
7 空欄Eについて。「特撮の神様」と呼ばれ,ゴジラをはじめ優れたキャラクターをいくつも生み出したこの人物は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 小津安二郎
イ 木下恵介
ウ 黒澤明
エ 円谷英二
オ 溝口健二
エ ゴジラ・モスラ・ウルトラマンと言えば円谷英二(つぶらやえいじ)というのは問題作成者世代の男子なら常識だが、今の受験生には酷かも。ウの黒澤明とオの溝口健二はこの機会にちゃんとおさえておこう。
☆吉田の視点
早大文学部の大問6(文化史)を2年分解いてみてどう感じましたか?美術史・工芸史を中心とした文化史に強いこだわりを持った人が、毎年大問6を作成していることが実感できたと思います。2018年の大問6は、とても難しいと感じたことでしょう。この大問を得点化するには、まず教科書掲載レベルの絵画・建築物・彫刻(仏像)を中心に図版(資料集)と用語集を利用しながら過去問研究をペースメーカーにして効率的にカバーして行く必要があります。
吉田塾では、上記のような「早大文学部」特有の問題に対応した対策(指導)も行っています。解いてみるといかに早稲田合格のためには、「過去問研究」が大切かが分かったと思います。例年、12月に開講する「文化史」特講は吉田塾の講座の中でも合格した受験生からの評価がとても高い講座となっています。
「彼を知り、己を知れば百戦危からず」
さらに詳しい「早大文学部」対策が知りたい人はお問合せ頂ければ、「戦略的かつ効率的」に攻略する道筋の一部を吉田塾が最も大切にする丁寧なカウンセリング(無料)やお試しミニ講座(1対1のZoom講座)においても伝授しています。
本気の早稲田大志望者を本気で応援する吉田塾でありたいと思っています。
吉田塾では、上記のような「早稲田大の日本史」を攻略するための「戦略的かつ効率的」な指導を行っています。
さらに「早稲田大の日本史」を攻略するための詳しい内容を知りたい人は、「吉田塾とは何か」や「塾長 吉田健志のプロフィール」をよく読んで頂き、自身の合格戦略に合うとの手ごたえを感じたら、ぜひお問合せください!
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