旅行
受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編3)
熊野編3は第1期生の有賀が担当します。
名古屋から車で4時間強。仕事を終えて追いかけ、私は22時ごろに吉田一行と合流しました。宿泊先のホテル浦島には源泉かけ流しの洞窟風呂(忘帰洞)があって、これが目当ての一つ。「忘帰洞」という名は紀州藩主徳川頼倫が「帰るのを忘れさせるほど心地よい」と評したことから付けられた名前だそうです。しっかりリフレッシュしてきました。忘帰洞だけではなくホテルの中に5か所のお風呂があり、スタンプを集めると景品がもらえるというので明くる朝に改装中の1つを除いて全て回ってきました。
その途中で見つけたのが藤原定家の「熊野道之間愚記」を紹介するコーナー。後鳥羽上皇の熊野御幸の先見をした時の記録です。
「定家といえば1205年、新古今和歌集!!」
古今和歌集から計ったように300年後。いい国作ろう鎌倉幕府がわかっていれば、それぞれ平安時代と鎌倉時代の判別も楽に覚えられて、こういう覚え方もあったのか!?と生徒時代の筆者は目から鱗が落ちる思いでした。
やれ暑いだの、道が険しいだの文句ばかり。興味深く、つい足を止めて読み入ってしまいました。別行動で風呂巡りをしていた吉田も聞けば同じように足を止めていたそうで、付き合いが長いせいか興味関心が似てくるなと笑ってしまいました。
受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編2)
2017年9月12日 旅行
熊野古道と同じく世界遺産に指定された湯の峰温泉
にある「つぼ湯」。教え子のAZ君は、念願の入浴で
感動していました。
湯の谷川の河原に建つ萱葺き屋根の湯小屋(つぼ湯)は
日本最古の温泉として長い歴史を持つ事で有名です。
濁った湯は、1日に7回色が変化するといわれ、
その昔、熊野大社へ参拝に訪れる人々が身を清めた
と言われています。
院政期に歴代の院(白河・鳥羽・後白河)が熊野詣を頻繁に行って以来
中世には武士さらには庶民へと信仰が広がり、
切れ間なく旅人の行列ができた様子から
「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人が
訪れるようになります。
この「蟻の熊野詣」というフレーズは難関私大には出ます!
覚えておきましょう!
受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編)
2017年9月6日 旅行
吉田が予備校講師を始めた頃の教え子たちと
名古屋から紀伊半島を南下して世界遺産の
「熊野」地方を旅してきました。
AZ君(滋賀大経済学部卒)と6年前にも計画していたの
ですが、あの大雨(多くの人が犠牲になった)で中止した
経緯があるのでリベンジ達成です。
ところで大学受験で「熊野」と言えば院政期に歴代の上皇(法皇)
が何回も「熊野詣」を行ったことが出題されます。
院政期の上皇(法皇)=熊野詣・高野詣とおさえておきましょう!
旅行記は、まだまだ続きます。(笑)
2105年中国横断の旅8
2015年11月23日 旅行
この碑文(大秦景教流行中国碑)は、唐の時代に長安の都でキリスト教が広まっていたことを示す有名な碑文です。
景教とはネストリウス派キリスト教のことでセンター試験(世界史)でも、出題されたことがある。
受験では、頻出事項なので実物を見れてちょっと感動(笑)。
イタリア4大都市を行く1
2015年11月12日 旅行
今年の初めにイタリア4大都市を6泊8日で周遊しました。
一般に4大都市とは、ローマ・フィレンツエ・ミラノ・
その中で楽しみながら、
2015年中国横断の旅7
2015年11月4日 旅行
空海恐るべし!
2015年10月27日 旅行
2015年中国横断の旅6
2015年10月15日 旅行
シルクロードを感じつつ、楕円形の西瓜を丸ごと一個、同行者と二人で食べきる。
2015年中国大陸横断の旅5
2015年10月6日 旅行
8月26日は朝から西安城跡に行く。
唐代の長安城跡を基礎にして明代に造られたのが現存している。
南門(永寧門)から入り、レンタサイクルで西門(シルクロードの出発点!とも言える)
まで往復した。写真でわかるように城壁上の道幅は12m以上ある立派なものである。
西安は歴史好きにとっては何日いても飽きないところだ。
今度来るときは、周囲14kmをサイクリングしたいと思った。
教え子や家族といっしょに。
つづく。
西安グルメ(回族街グルメ)
2015年9月19日 旅行