「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

ブログ

立命館の日本史3 同志社の日本史

今日は立命館大の受験3日目ですね。

2日間だけですが、「立命館らしい」問題がたくさん出てますね。

過去問研究した人が勝利する感じです。

とくに大問1は、1日が旧石器時代・縄文時代・弥生時代で

2日が弥生時代・古墳時代だったようです。

ここらへんの時代を図版(資料)を使って問題作成するのが

立命館大の最大の特徴の一つです。

もしかしたら、もう一回くらいあるかもなので最低でも教科書掲載の

資料(石器・土器・青銅器など)とそれに対応する本文を読み込んでおきましょう。

次に同志社の日本史です!

上記の立命館大のように、同志社も繰り返ししつこく出題する時代やテーマが

あります。その一つが古代〜近世にかけての対外交渉史です!

このテーマ(時代)の大問、よく出るだけでなく難問率が多くなる場合が

多く、同志社以外ではあまり出題されない用語も問われるので過去問研究した人が圧勝します。

明日はそのような視点で同志社の日本史を語ります。

立命館大の日本史2

立命館大の受験初日は、どうでしたか?

模試などの偏差値が同じなら、過去問研究をしっかりやった人

とそうでない人では、

大きく差がつくのが立命館大です。

その理由の一つに特殊テーマ史の大問を出すことが

あげられます。

今回は、その特殊テーマの中でも大問・小問で繰り返し出題されている

実績がある「焼き物」の歴史を一部を伝授します。

①酒井田柿右衛門(有田焼・赤絵)と野々村仁清(京焼の祖)

山川の教科書などに掲載されている作品(図版)をチェック!

過去何度も図版問題が出題されています。

②周辺関連事項として池坊専慶・専応・専好をおさえる。

③加藤景正(道元とともに入宋)

は必ずチェックしておきましょう。

明日からは「同志社の日本史」にも触れていきます。

立命館大の日本史

明日は、立命館大の受験シリーズ初日ですね。

立命館大は、関西圏の私大では日本史の問題が難しい

ので有名です。吉田が受験生の時からそうでした。

そのような難問が多い大問でも吉田塾の生徒は圧勝する時が

あります。立命館大では、一般の受験生が苦手とするテーマの

中でしつこく繰り返し出題するテーマがけっこうあるからです。

今回はその一つを伝授します。

それは、近代の産業革命(資本主義発達史)です。

富岡製糸場・大阪紡績会社など要チェックです。

正文・誤文判定できるような対策をしておきましょう。

あと、年号を書かせます。

1890年・1894年・1897年・1909年は過去繰り返し

立命館ではキーとなった年号です。

何があったか指摘できますか?

中でも1897年は最重要です!

①綿糸生産量が綿糸輸入量を上回った年です。

軽工業の産業革命達成年なんて言われています。

②金本位制の確立年(貨幣法の制定)

③労働組合期成会(高野房太郎・片山潜)

と重要事項が集中した年なので絶対に覚えて受験に臨んでください。

応援しています!

明日も立命館大の日本史を伝授する予定です。

関西大の日本史

いよいよ、2月1日から関西大・立命館大などの本試験が

はじまりますね。

今回は関西大の出題傾向に合わせて、直前チェックしたい

事項の一つ地図問題で頻出する地名を伝授します。

関西大では、毎年どこかの日程で地図問題が出題されます。

中でも「浦賀と下田」に要注意!

地図上で区別できるように資料集(教科書)の地図で確認しておきましょう。

同様に「松前と函館」、石見銀山・荒神谷遺跡のある島根県の位置など

間違いやすいので確認してください。

明日は立命館大の出題傾向に合わせた直前チェック事項を伝授します。

明日のセンター日本史についての予想(啓蒙)

いよいよ、明日からセンター試験が始まりますね。

みなさん頑張ってください。応援しています!

最後にセンター日本史で重要な視点を再度啓蒙します。

正誤判定問題からグラフ(資料)の読み取り問題に至るまで

センター日本史の問題で大切なのは、

それは、時代感覚です!少なくとも、中学の歴史の教科書でも

しっかり出てくるような歴史事項の年代はちゃんと指摘できるようしておきましょう。

1894年、1911年、1925年、1930年、1931年、1937年、1941年などは

過去繰り返し、グラフ問題などを解くための重要な根拠となっています。

今年も、上記の年代が最重要となる可能性が高いと吉田は予想します。

しっかり、再度確認してから明日の本番にのぞんでください!!!

合格体験記更新!!(中央大法学部&慶応大)

本日新しい合格体験記を更新しました。

中央大法学部(他にも有名大学に多数合格)

慶応大

 

いずれも吉田の教え子で、かなり熱い思いを持ってこの体験記を送ってくれました。

日本史以外の科目の勉強方法も参考になると思うので、ぜひチェックしてください!!

吉田塾では、この2人の教え子のように自分の行きたい志望校に特化した指導ができるよう、しっかりとしたカウンセリング(無料)から行っています。少しでも興味のある方はどんなことでも構いませんので、お問い合わせから一報ください!必ず合格に一歩近づくことができると思います!

 

受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編3)

熊野編3は第1期生の有賀が担当します。

 

名古屋から車で4時間強。仕事を終えて追いかけ、私は22時ごろに吉田一行と合流しました。宿泊先のホテル浦島には源泉かけ流しの洞窟風呂(忘帰洞)があって、これが目当ての一つ。「忘帰洞」という名は紀州藩主徳川頼倫が「帰るのを忘れさせるほど心地よい」と評したことから付けられた名前だそうです。しっかりリフレッシュしてきました。忘帰洞だけではなくホテルの中に5か所のお風呂があり、スタンプを集めると景品がもらえるというので明くる朝に改装中の1つを除いて全て回ってきました。

 

その途中で見つけたのが藤原定家の「熊野道之間愚記」を紹介するコーナー。後鳥羽上皇の熊野御幸の先見をした時の記録です。

「定家といえば1205年、新古今和歌集!!」

古今和歌集から計ったように300年後。いい国作ろう鎌倉幕府がわかっていれば、それぞれ平安時代と鎌倉時代の判別も楽に覚えられて、こういう覚え方もあったのか!?と生徒時代の筆者は目から鱗が落ちる思いでした。

やれ暑いだの、道が険しいだの文句ばかり。興味深く、つい足を止めて読み入ってしまいました。別行動で風呂巡りをしていた吉田も聞けば同じように足を止めていたそうで、付き合いが長いせいか興味関心が似てくるなと笑ってしまいました。

受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編2)

熊野古道と同じく世界遺産に指定された湯の峰温泉

にある「つぼ湯」。教え子のAZ君は、念願の入浴で

感動していました。

湯の谷川の河原に建つ萱葺き屋根の湯小屋(つぼ湯)は

日本最古の温泉として長い歴史を持つ事で有名です。

濁った湯は、1日に7回色が変化するといわれ、

その昔、熊野大社へ参拝に訪れる人々が身を清めた

と言われています。

院政期に歴代の院(白河・鳥羽・後白河)が熊野詣を頻繁に行って以来

中世には武士さらには庶民へと信仰が広がり、

切れ間なく旅人の行列ができた様子から

の熊野詣」と言われるほど多くの人が

訪れるようになります。

この「蟻の熊野詣」というフレーズは難関私大には出ます!

覚えておきましょう!

 

受験につながる吉田塾門下生との旅(熊野編)

吉田が予備校講師を始めた頃の教え子たちと

名古屋から紀伊半島を南下して世界遺産の

「熊野」地方を旅してきました。

AZ君(滋賀大経済学部卒)と6年前にも計画していたの

ですが、あの大雨(多くの人が犠牲になった)で中止した

経緯があるのでリベンジ達成です。

ところで大学受験で「熊野」と言えば院政期に歴代の上皇(法皇)

が何回も「熊野詣」を行ったことが出題されます。

院政期の上皇(法皇)=熊野詣・高野詣とおさえておきましょう!

旅行記は、まだまだ続きます。(笑)

彦根会(吉田門下生の会)

吉田は、京都・滋賀(彦根)の大学受験予備校に

毎週出講しています。

毎年、この時期に大学生・社会人になった教え子たち

と彦根会(吉田門下生の会)をささやかですが開催して

今年も忙しい中、何人か集まってくれました。

滋賀(彦根)では、滋賀県下有数の進学校

である彦根東高校の生徒を中心に教えているため、

同志社大・津田塾大・大阪大・京都府立大などの

高学歴な教え子たちと近況報告的な話で盛り上がりました。

そこで、感じたのが大学一年生たちの意識レベルの高さです。

会には、滋賀県庁や彦根市役所に入った社会人もいたのですが

彼女らの話をとても興味深く聞いていたので頼もしく感じられました。

そして、LINEの交換をしているのをみて、吉田塾のつながりが世代

をこえて広がり、みんなの成長を促す機会になっていることに

喜びと幸せ感じた一日となりました。

つづく

 

 

« 1 13 14 15 18 »
PAGETOP
Copyright © 吉田塾 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.