近年(2020年~2024年)の慶應義塾大学経済学部の問題を分析してみよう
最重要ポイントは以下の3つです。
①2020年代の大問の中には、「歴史総合」が受験科目となることを意識した意欲的な問題が出ています。
2021年の大問Ⅰは本学部の世界史試験との共通問題が出題からはじまり、2024年の大問Ⅲの問9の論述問題は、「歴史総合」を明らかに意識した問題となっています。
この傾向を踏まえた効率的な対策を日頃から心掛けたいものです。
両問とも掲載しているので今ここで確認しておこう。
②学部特性(経済学部)を意識した問題が論述問題においては頻出する。
2024年の大問Ⅲで課せられた論述問題(5問)のうち、4問が経済史的な問題で問9の「歴史総合」を意識した問題も含めると本学部の出題傾向を象徴している大問といえる。また、2023年の大問Ⅱの問9で(国立銀行の設立や銀行券の発行の説明)が出題され、2024年でも大問Ⅲの問11で国立銀行券に関連する論述問題が出題されたが本学部の過去問研究(20年分)をすればこのような類題の出題が非常に多いことが見えてくる。過去問研究が大いに報われる学部と言える。
③未見史料や統計データ(グラフ)の読み取り問題においては、時代感覚がものをいう場合がとても多い。
本学部に出題される年代整序問題やグラフの時期特定問題の中には、かなり詳細は時代感覚(年代暗記も含む!)がないと解答できない問題も出題されます。このような本学部の問題に対して、現状のあなたの時代感覚でどこまで対応できるか今ここで解いて確認しておこう。時代感覚重視の受験対策は本学部で必須です!
それでは、「百聞は一見に如かず」「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
今ここで自分で確認してみよう!
☆2024年2月本試験 大問Ⅲ
実業家の松永安左エ門に関して述べた次の文章を読んで,以下の問9~問15に答えなさい。解答は,設問で指定された場合を除いて,すべて番号で〔解答用紙A(マークシート)〕の所定の解答欄にマークしなさい。
電力業界で活躍し,「電力の鬼」とも呼ばれた松永安左エ門は1875年にA壱岐で生まれた。B福澤諭吉の『学問のすゝめ』を読んで感動した松永は上京して慶應義塾に学び,福澤の朝の散歩の伴もした。実業に関心を持つようになった松永は福澤の了解を得て慶應義塾を中退し,C日本銀行などを経て,福岡の電気軌道事業に関係したことを契機に電力事業に取り組むようになった。松永が社長をつとめた東邦電力は5大電力の1つにまで成長したが,1930年代になるとD経済統制が強化される中で電力国家管理が主張されるようになった。松永は電力国家管理に抵抗するが,1939年に電力の発電と送電は国策会社の日本発送電に統合され,1942年の第2次電力国家管理により配電も地域別の配電会社に統合され,東邦電力は解散し松永は引退した。
埼玉県柳瀬村(現・所沢市),神奈川県E小田原市で茶道三昧の生活を送った松永は,戦後に吉田茂首相により電気事業再編成審議会会長に任命され,日本発送電と配電会社を9つの発送配電一貫の民間地域独占会社に再編することに尽力した。その後松永は官僚や学者を動員してシンクタンクの産業計画会議を設立し,石炭から石油へのエネルギー転換や高速道路網の整備,F国の公共企業体の経営改革などを提言した。
松永は1947年に母校の慶應義塾に土地を寄贈し(近代G農業のための人材育成をはかった慶應義塾農業高等学校を経て現・慶應義塾志木高等学校),晩年には『人間・福澤諭吉』を執筆するなど慶應義塾と師の福澤への愛着を持ち続け,1971年に慶應義塾大学病院で死去した。
問9 下線部Aに関連して,近世の壱岐は肥前の平戸に藩庁があった平戸藩の領地だった。近世初期の平戸には多くの中国やヨーロッパの船が来航し,オランダやイギリスの商館も置かれていた。しかし,それらの船は平戸に来航しなくなっていった。江戸時代に入り平戸に中国やヨーロッパの船が来航しなくなっていった経緯について,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。(3行110字程度)
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問10 下線部Bに関連した次の文章中の空欄( ア ),( イ )に入る人名を,下の1~8の中からそれぞれ選びなさい。アの解答は解答欄 (15) に,イの解答は解答欄 (16) にその番号をマークしなさい。(重複使用不可)
明治時代初期には欧米の個人主義,自由主義に基づく啓蒙思想が広まり,福澤諭吉の『学問のすゝめ』や,( ア )の著作の翻訳『西国立志編』などが広く読まれた。一方,明治政府は欧米人教師を高給で雇い西洋の学問を日本人に教授させた。その中にはアメリカから政治学や経済学を教えるために来日し,後に東洋美術の再評価に大きな役割を果たした( イ )のような人物もいた。
1.スマイルズ 2.ナウマン 3.フェノロサ 4.フォンタネージ
5.ベルツ 6.ミル 7.モッセ 8.ロエスレル
アー1 イー3
問11 下線部Cが設立された理由の1つとして,当時紙幣が盛んに発行されインフレーションが進行していたことがあった。これに関する以下の①,②に答えなさい。
① 日本銀行設立前,新貨条例が制定されたにもかかわらず政府や銀行によって紙幣が大量に発行されていた理由を,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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② 日本銀行設立時に政府は紙幣に関係してどのような財政政策を行い,それに基づき日本銀行はどのような紙幣を発行したか,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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問12 下線部Dに関連して,次の資料a,bは経済統制に関する法令の抜粋である(必要に応じて表現を改めた)。資料a,bの法令が出された時期を,下の年表中の空欄1~6の中からそれぞれ選びなさい。aの解答は解答欄 (17) に,bの解答は解答欄 (18) に,その番号をマークしなさい。(重複使用不可)
a
第一条 (中略)生産又は販売に関し命令の定むる統制協定を為したる場合に於て,同業者二分の一以上の加盟あるときは命令の定むる期間内に之を主務大臣に届出づべし。之を変更廃止したるとき亦同じ。(中略)
第二条 主務大臣前条の統制協定の加盟者三分の二以上の申請ありたる場合に於て,当該産業の公正なる利益を保護し国民経済の健全なる発達を図る為特に必要ありと認むるときは,統制委員会の議を経て当該統制協定の加盟者又は其の協定に加盟せざる同業者に対して其の協定の全部又は一部に依るべきことを命ずることを得。
第三条 主務大臣第一条の統制協定が公益に反し又は当該産業もしくは之と密接なる関係を有する産業の公正なる利益を害すと認むるときは,統制委員会の議を経て其の変更又は取消を命ずることを得。
b
第一条 本法は(中略)物資及資金の需給の適合に資する為国内資金の使用を調整するを目的とす。
第二条 銀行,信託会社,保険会社,産業組合中央金庫,商工組合中央金庫及北海道府県を区域とする信用組合連合会(以下金融機関と総称す)は,事業に属する設備の新設,拡張もしくは改良に関する資金の貸付を為し,又は有価証券の応募,引受もしくは募集の取扱を為さんとするときは,命令の定むる所に依り政府の許可を受くべし。
(中略)
第八条 命令の定むる時局に緊要なる事業を営む会社は,事業拡張の場合に於て命令の定むる所に依り政府の認可を受け其の事業に属する設備の費用に充つる為株金全額払込前といえども其の資本を増加することを得。
(資料出所はいずれも省略する。)
1 |
山東出兵が実施された。 |
2 |
血盟団事件が起きた。 |
3 |
二・二六事件が起きた。 |
4 |
盧溝橋事件が起きた。 |
5 |
独ソ不可侵条約が締結された。 |
6 |
問13 下線部Eに関連して,次の文章を読んで,以下の①,②に答えなさい。
近世の小田原は小田原藩の城下町として,また東海道のa宿駅として栄えた。一方,1707年に富士山が噴火し(宝永噴火),富士山に近い小田原藩領の田畑は軽石や火山灰で耕作不能となり,また火山灰の堆積で酒匂川の川底が上昇し水害が頻発した。小田原藩領のうち荒廃した地域は幕府直轄領となり,その後に将軍となった徳川吉宗は東海道川崎宿の名主だった( ア )を登用して酒匂川の堤防修築を行った。再建された地域は徐々に小田原藩領に戻されたが酒匂川は氾濫を繰り返し,それによる一家離散の経験が,荒廃した農村復興に報徳仕法で取り組んだ小田原藩領出身の( イ )の思想にも影響しているといわれる。
① 下線部a に関連して,各宿駅に設けられていた,公用文書や荷物の継ぎ送りのために一定数の人足や馬を用意した施設の名称を,〔解答用紙B〕の所定の欄に記入しなさい。
問屋場
② 文章中の空欄( ア ),( イ )に入る人名を,次の1~8の中からそれぞれ選びなさい。アの解答は解答欄 (19) に,イの解答は解答欄 (20) に,その番号をマークしなさい。(重複使用不可)
1.青木昆陽 2.安藤昌益 3.稲生若水 4.大蔵永常
5.貝原益軒 6.田中丘隅 7.二宮尊徳 8.宮崎安貞
② アー6 イー7
問14 下線部Fに関連して,「戦後政治の総決算」を掲げる内閣は国の公共企業体の民営化を実施した。この内閣名を示すとともに,その内閣が行った民営化について,民営化前と後のそれぞれの組織名を挙げながら,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。ただし,分社化された組織についてはグループの総称を記し,また組織名は一般に用いられている略称でよい。
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問15 下線部Gに関連して,第二次世界大戦後,日本政府は農地調整法を改正するなどの農地改革案を閣議決定し,国会でも可決されるが,GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)はその案が不徹底であると指摘した。これに関する以下の①,②に答えなさい。
① GHQ/SCAPからの勧告を受けて農地調整法が再改正されるとともに,農地改革のための新たな法律が制定された。この法律の名称を,〔解答用紙B〕の所定の欄に記入しなさい。
自作農創設特別措置法
② ①の法律と再改正された農地調整法とに基づいて実際の農地改革が行われた。その改革の内容を,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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↑本学の出題傾向を象徴している問題です。
☆2023年2月本試験 大問Ⅱ
近世から明治期の三井家・三井財閥について述べた次の文章を読んで,問6~問10に答えなさい。解答は,設問で指定された場合を除いて,すべて番号で解答用紙の〔解答欄A〕の所定の欄に記入しなさい。
A伊勢松坂を発祥の地とし,17世紀に創業した三井越後屋は,京都,江戸,大坂など各地に拠点を持ち,呉服商,両替商などを営んだ。両替店は,幕府の御用として,江戸・大坂間の送金業務を担い,それは三井に大きな利益をもたらした。一方で,幕末になると,財政難に苦しむB幕府は,三井に巨額の御用金を課し,それは三井の経営を圧迫した。
維新後の三井は,新しい時代に対応するための改革を実行した。呉服業と金融業を分離したのもその1つである。このとき分離された呉服業が,後にC三越百貨店となり,金融部門はD三井銀行に発展してゆく。やがて三井の事業は多角化し,E商社や鉱業会社なども含む三井財閥が形成された。
問6 下線部Aに関連して,伊勢松坂出身の人物として,国学者の本居宣長がいる。江戸時代の思想家について述べた次の文章を読んで,空欄( ア )~( エ )に入る人名を,下の1~8の中からそれぞれ選びなさい。(重複使用不可)
アー5 イー4 ウー7 エー1
本居宣長は日本古典の研究を通じて,日本独自の思想のあり方を探った学者であるが,国学にはさまざまな潮流があった。宣長の影響を強く受け,その弟子を自称した( ア )は,神道と結びつき,その思想は幕末・維新期の政治に大きな影響を与えた。一方,( イ )は古典の文献学的研究に従事し,幕府の援助のもとで,和学講談所を設立した。
本居宣長は町人出身で,自身は医師だったが,江戸時代には町人出身の学者は少なくない。大坂の町人が設立した私塾・懐徳堂は,『夢の代』をあらわした( ウ )のような学者を輩出した。また,( エ )の心学は,町人たちの道徳規範として広く受け入れられた。
1.石田梅岩 2.賀茂真淵 3.太宰春台 4.塙保己一
5.平田篤胤 6.山県大弐 7.山片蟠桃 8.山崎闇斎
問7 下線部Bに関連して,近世後期に幕府がおこなった改革に関する,以下の(1),(2)に答えなさい。
(1) 18世紀末の寛政の改革では,江戸に町会所が設置された。江戸町会所の機能について,その資金源に触れつつ,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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(2) 近世後期の幕府が関東地方の統治を改革するために置いた役職に,関東取締出役がある。この役職の任務と,その特徴について,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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問8 下線部Cに関連して,次の資料a~cは,三越百貨店に関する新聞記事である(必要に応じて表現を改めた)。資料a~cが新聞に掲載された時期を,下の年表中の空欄1~7の中からそれぞれ選びなさい。(重複使用不可)
a―7 b―3 c―5
a
商工省,大政翼賛会,戦時物資活用協会では消耗戦と資源戦の実相を知らしめるため戦ふ資源展覧会を大蔵,内務両省,情報局協賛のもとに十八日から二十七日まで三越本店で開催する(中略)その内容はまづ米英蘭の東亜侵略,敵側の対日圧迫年表から戦前の我国資材の対米依存状況なども展示され,ここで一転して逆封鎖を受けた敵の資源などが戦果と共に示される。
b
二日午前十一時頃,日本橋区三越本店へ学生風や労働者風の男が三々五々百名余集合不穏の形勢あるといふので所管堀留署員十余名で警戒中,この一隊は三井銀行寄りの一階休憩室から腕を組み雪崩れを打つて飛びだし『ワッショワッショ』の喚声と共に真向ひの三井銀行裏門へ殺到『国民生活を蹂躙しドル買ひに狂奔する奸悪の牙城を粉砕せよ』とか『三井財閥を膺懲(ようちょう)せよ』等印刷したビラを散布しつヽ受付へ現れ(中略)堀留署に検束された社会青年同盟員二十六名は(中略)単なる財閥に対する反感からこの挙に出たものとみられてゐる。青年同盟は社会民衆党内にある前衛分子からなるもので(中略)騒ぎが一段落ついたあとで同銀行の筆頭常務池田成彬氏は語る。(中略)銀行としてのまじめな商取引の上からドルを買つたもので金輸出再禁止を見越して買つたなぞといふことはない。
c
楽しい新入学を待つお子さん方や,目出度く進級の諸子諸嬢の為に,時節柄の新装を凝らした学用品がもう店頭に客待ち顔に並んでゐます。(中略)日章旗を持つた兵士と云つた軍国調の鉛筆削り(各十銭)と先頃(*)の日独伊防共協定に因んだ三国の国旗を配したナイフ(六十五銭)と爆弾型のナイフ(三十五銭)等事変の産んだ時世粧がはつきりとこんな些細なものにまで現れてゐます(三越にて)。
(*)先頃とは,資料cの記事が掲載された約3ヶ月前のことである。
(資料出所はいずれも省略する。)
1 |
張作霖が殺害された。 |
2 |
ニューヨークのウォール街で株価が大暴落した。 |
3 |
犬養毅首相が殺害された。 |
4 |
二・二六事件が起きた。 |
5 |
ドイツがポーランドへの侵攻を開始した。 |
6 |
日本軍が南部仏印に進駐した。 |
7 |
問9 下線部Dに関連して,三井家は,三井銀行設立以前に第一国立銀行の設立にかかわっていた。国立銀行の設立状況の推移について,国立銀行が発行する紙幣の性質に関連づけて,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
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問10 下線部Eに関連して,第二次世界大戦後の三井物産・三井鉱山に関する次の文章を読んで,以下の(1),(2)に答えなさい。
三井財閥の商社部門である三井物産は,財閥解体のなかで,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の指令によって一度解散させられ,多くの企業に分かれたが,その後,アメリカの対日政策の転換を受けて,旧三井物産系企業の合同によって,新しい三井物産が設立された。a エネルギー源の石炭から石油への転換がすすむなか,三井物産はインドネシアなどで石油開発に乗りだした。
一方,エネルギー転換によって石炭産業は人員整理を迫られた。三井三池炭鉱では労働者の解雇がおこなわれたが,労働組合はこれに反発して激しい労働争議が起こった。b 日本労働組合総評議会や,その傘下の日本炭鉱労働組合の支援もあったが,争議は労働者側の敗北に終わった。
(1) 下線部a に関連して,次の第1図は,20世紀後半から21世紀にかけてのある50年間における石油の国際価格および日本における石油供給量の動向をグラフ化したものである。図の横軸1~5は10年ごとの区分である。下のa~dの出来事が起きた時期を,図の1~5の中からそれぞれ選びなさい。ただし,1の時期より前の場合は0を,5の時期より後ろの場合は6を記入しなさい。(重複使用不可)
a.イラク復興支援特別措置法が公布された。
b.第1回先進国首脳会議が開催された。
c.PKO協力法が公布された。
d.プラザ合意によりドル高の是正がはかられることになった。
a―4 b―2
(2) 下線部b に関連して,日本労働組合総評議会の結成とその路線転換について,次の語をすべて用いて,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
産別会議 日本社会党 レッドパージ
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↑本学の出題傾向に合致した本格的な論述問題対策の必要性を実感できる難度の高い大問となっています。
☆2021年2月本試験 大問Ⅰ
アジアにおけるキリスト教の普及と貿易に関して述べた次の文章を読んで,問1~問4に答えなさい。解答は,設問で指定された場合を除いて,すべて番号で解答用紙の〔解答欄A〕の所定の欄に記入しなさい。
16世紀のアジアでは,ポルトガルやスペインなどの宣教師らによるキリスト教布教活動が盛んとなった。日本では1549(天文18)年に来日したAイエズス会宣教師フランシスコ=ザビエルらの活動を通じてキリスト教が普及した。B日本からもローマに使節が派遣された。また,ポルトガルやスペインはアジア域内の貿易に参入し,Cポルトガル商人は日明貿易の主要な担い手にもなった。D日本の大名や商人もアジア諸地域との貿易を行い,こうした活発な貿易は17世紀前半まで続いた。
問1 下線部Aに関連して,イエズス会宣教師らがアジアでの布教活動を積極的に展開した背景にある,当時のヨーロッパにおけるキリスト教の動向を,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。(世界史との共通問題)
添削します。ヒント:「当時のヨーロッパにおけるキリスト教の動向」なんて日本史じゃないと思う受験生もいると思うけど、ちゃんと教科書(山川出版)には書いてあります。
問2 下線部Bに関連して,次の文章を読んで,以下の(1),(2)に答えなさい。
1582(天正10)年に,a九州のキリシタン大名3名の名代として,伊東マンショら4名の少年が長崎港を出発した。日本からの使節は,bポルトガルの植民地の港を経てリスボンに入り,1584年にマドリードでスペイン国王フェリペ2世に,翌年にローマで教皇に謁見したのち,1590年に帰国した。その後,仙台藩主伊達政宗の家臣支倉常長が派遣され,ローマで教皇に謁見した。しかし,支倉常長が帰国した時には,キリスト教は禁教となっていた。
(1) 下線部a の大名の組み合わせとして適切なものを,次の1~4の中から1つ選びなさい。
1.有馬晴信,大内義隆,大友義鎮
2.大内義隆,大友義鎮,大村純忠
3.大友義鎮,大村純忠,有馬晴信
4.大村純忠,有馬晴信,大内義隆
3
(2) 下線部b に関連して,使節が日本とローマの往復の途上寄港した場所の位置として適切なものを,次の地図中の1~9から4つ選び,番号が小さい順に左から記入しなさい。
3-6-7-8 天正遣欧使節は、ポルトガルが開拓したインド航路を利用した。3はモザンビーク、6はゴア(ポルトガル政庁)、7はマラッカ、8はマカオ。
問3 下線部Cに関連して,ポルトガル商人が日本と明との間の貿易を中継するようになった背景について,取引された主な商品と,明の貿易政策に触れながら,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
添削します。ヒント:日本と明が、直接取引できなくなっていたことを想起しよう。
問4 下線部Dに関連して,徳川家康が征夷大将軍に任じられてから幕府が日本人の海外渡航を禁じる前までの,日本の大名や商人の貿易活動に対する幕府の政策について,〔解答欄B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。
添削します。ヒント:朱印船貿易について想起しよう。
↑本問は、本学部の世界史試験とリード文や問題が共通であった問題です。「歴史総合」分野からの出題をイメージさせる最重要問題です。
吉田塾では、「慶応大学経済学部」の出題傾向にピッタリ合った「日本史論述」特講を毎年開講しており、「苦手だった論述問題が書けるようになりました!」「得点源にすることが出来ました!」とのうれしい報告を受けています。
講座料は18000円(エッセンス版)~58000円(徹底指導)まであり、受験生の学力や要望などに応じた講座設定が可能です。
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日本史の基礎の確立がいまだ出来てない受験生におすすめ。
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上記のような受験生のお問い合わせに応えるべく「今から間に合わせる日本史」講座を開講しています。本講座は、まずは綿密なカウンセリングを行い、お試し講座を受講し納得いただいた上で開講しています。
②ライバルに差をつける「志望大学の日本史」特化型講座
本気の第一志望合格をめざした「志望大学」の傾向と対策に特化した講座です。
ライバルに差をつける(日本史を得点源にして合格!)ためのオリジナル講座を開講しています。過去に開講した志望大学(志望学部)特化型講座を受講した塾生の合格レポートが本サイトにはたくさん掲載してありますので参考にしてください。
③ ①と②をバランスよく配合したハイブリッド講座の設定も可能です。
「文化史」特講受付中!
吉田塾では、冬期に「文化史」特講を開講しています。文化史対策が遅れている人もここで「文化史」を覚えるための丸暗記ではない「つながりと対比」を重視したテキスト&板書を駆使した覚え方によって、一気にまとめることができた!合格の決め手の一つになった!と例年塾生からの評価がもっとも高い講座の1つとなっています。
その一部は、Zoomによるオンラインカウンセリング(無料)やミニ講座(無料)でも紹介しています。
日本文化史特講について、受講生の感想をいただいたので紹介します。
政治史を軸として文化史を理解するという考えに目から鱗でした。文化史単体だとどうしても暗記がしにくく困っていたのですが、面白いエピソードを思い返しながら、先輩の絵と共にもう一度復習し直すとすんなり覚えることができ感動しました!乾漆像についての時短裏技も他の教科や時代に時間をかけたかったので非常に助かりました。また、年号の重要さを身にしみて感じました。文化史と並行して復習していこうと思います。
文化史を習得するために必要なことについてよく理解してくれている感想文だと思います。
文化史は難関国公立や難関私大の日本史(特に早稲田の文学部や文化構想学部)を攻略する上で非常に重要であり、他の受験生と差が付きやすい分野であると吉田塾では考えています。
すでに講座を進めている吉田塾生は多くいますが、非常に重要な受験直前期のこのタイミングでも講座への参加を受け付けていますので、ぜひご相談ください。