「一生役に立つ」戦略的な思考力を養う日本史の実践道場

早稲田大学 教育学部の日本史

近年(2023年、2024年)の早大教育学部の過去問を分析しよう!

本学部の「傾向と対策」を読む前後に早稲田を複数学部受験する人は、ぜひ早稲田の日本史(全体分析)を読むことをお勧めします。とくに近年は、早稲田においても「共通テスト」を意識した問題や歴史総合を意識した問題作成が行われたものが散見されています。この新傾向(新形式)っぽい問題について分析したものを追加しましたので来年の本試験問題につながる可能性が高いです!

例年、大問5題で大問Ⅰ=古代 大問Ⅱ=中世 大問Ⅲ=近世 大問4=近代・大問Ⅴ=近現代からの各時代からバランスよく出題されている。難問の出題率は早大の他学部よりも高く、最も日本史のが教育学部と言える。

☆難度の高い教育学部の日本史攻略のポイントは、この3つにある!

①早稲田的正文誤文判定問題の克服!

教育学部においても、他学部と同様に早稲田的な正文誤文判定問題の出来が合否を左右する。正文誤文問題(選択肢文は5つ)において「正しいもの又は誤っているもの」を「2つ選べ」や「すべて選べ」という形式が採用されている。この場合「2つ」や「すべて」正解しないとゼロ点になるので、厳密に正文誤文判定できる能力が要求されている。この設問形式が実感できる問題を以下に公開しているので参考にしてください。

②「戦略的かつ効率的」な過去問研究を行おう!

毎年、難度の高い大問がズラリと並んでおり受験生を苦しめているが、そのような大問の多くが早大において教育学部や他学部で繰り返し出題されている頻出テーマである場合が多い。2023年の大問Ⅱは、「一遍上人絵伝」と「法然上人絵伝」の図版を題材にした問題が出題されたが、「一遍上人絵伝を利用した問題」は教育学部ではすでに2021年の大問Ⅱ、2016年にも出題されていた。

このような事例は、他学部まで広げると枚挙にいとまがないのが教育学部の日本史である。よって、「戦略的かつ効率的」な過去問研究が合格戦略上、最重要であると言える。これが実感できる問題を以下に公開しているので参考にしてください。

③早稲田の史料問題に強くなる学習法を確立しよう!

2023年年度のように大問5つが、すべて本格的な史料問題となっている年度もあるくらい史料問題が頻出する。近年は、共通テストの影響もあってか史料問題の難度が高くなってきているのでよ、史料文の読み取り(読解力)の能力を磨いていないと全く歯が立たなくなってきている。これが実感できる問題を以下に公開しているので参考にしてください。

 

☆教育学部に頻出する図版を知る!(2023年2月 大問Ⅱ)
2023年2月 大問Ⅱ

 

次の会話文は,写真12および史料を見ている高校の生徒と教師の会話である。これを読んで,下記の問18に答えよ。問16については,それぞれの解答を選び,マーク解答用紙の記号をマークせよ。問78については,解答を記述解答用紙に記入せよ。

 

教師     「浄土宗を開いた法然のことは知っているね。写真1は鎌倉時代後期に制作された,法然の生涯を描いた絵巻物の一場面だよ」

生徒A 「これはどういう場面でしょうか。何だか物々しいですが」

生徒B 「鎧に身を固めた武士たちが誰かの屋敷を襲っているようにみえます」

生徒C 「これはもしかして,法然の屋敷ですか? a法然は弾圧されて流罪になったと,授業で習いました」

教師     「お,いいところに気付いたね。ではこの場面がどんな場面なのか,詞書をみてみることにしよう。次の史料がその詞書の一節だよ」

 

<史料>

そもそも上人は,美作国久米南条,稲岡荘の人なり。父は久米のb押領使漆(うるま)の時国,母は秦氏なり。(中略)かの時国は,先祖を尋ぬるに,仁明天皇の御後,西三条右大臣光公の後胤,式部大輔源の(みのる),陽明門にして蔵人兼高を殺す。その科によりて美作国に配流せらる。こゝに当国久米の押領使,神戸の大夫,漆の元国が(むすめ)に嫁して男子を生ましむ。元国,男子なかりければ,かの外孫を以て子として,その跡を継がしむる時,源の姓を改めて,漆の盛行と号す。盛行が子・重俊,重俊が子・国弘,国弘が子・時国なり。これによりて,かの時国,いささか本姓に慢ずる心ありて,当荘のc預所,明石の源内武者定明伯耆守源長明が嫡男,堀河院御在位の時の d なりを侮りて,執務に従わず,面謁せざりければ,定明深く遺恨して,e保延七年の春,時国を夜討ちにす。

*字句を一部,書き改めた箇所がある。

 

生徒A 「法然の父は押領使であったと書いてありますね」

生徒C 「押領使?」

生徒B 「何か聞いたことある…,あ,武士の登場のところで出てきた用語だ!」

生徒C 「と言うことは,法然って,武士の家の生まれなの?」

教師     「そういうことになるね」

生徒B 「そしてその法然の父が夜討ちに遭ったと書いてありますね。ひどいなぁ。この場面では,鎧などを着ずに戦っているのが法然の父たちということですね」

教師     「そうなんだね。法然がまだ若い学僧であった時期に起こった保元の乱では,f源義朝が夜討ちによる先制攻撃を提案して貴族たちを尻込みさせたけれど,武士たちの間では,夜討ちは普通の軍事作戦のひとつであったことが分かるね」

生徒A 「ひとつの荘園に二つの武士の家があって,それらが争っていたというわけですね」

生徒C 「それにしても,明石定明の軍勢はいとも簡単に法然の父の屋敷に乗り込んできましたね。武士の屋敷というと,教科書などでも防御性の高さが強調されているように思いますけど」

教師     「いいところに気付いたね。今度は写真2の絵巻物を見てみよう。これは鎌倉時代後期に制作された一遍聖絵の信濃国佐久郡,大井太郎という武士の屋敷を描いた場面だよ。g写真12を見ながら,武士の館の特徴について考えてみよう」


1 下線部aに関連して,法然と同様に対立する勢力から弾圧されたものの,流罪には至らなかった僧は誰か。一人選べ。
ア 日蓮
イ 明恵
ウ 道元
エ 親鸞
オ 貞慶

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2 下線部bについての説明として,誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 平安時代に設置された令外官である。
イ 常置の職として当初から諸国に設置された。
ウ 平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷も押領使であった。
エ 盗賊の逮捕や反乱の鎮圧を職務とした。
オ 地域で活動する有力武士がこれに採用された。

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3 下線部cについての説明として,正しいものはどれか。一つ選べ。

ア 任国に赴いた国司の最上席者である。
イ 荘園や郷に設置され,現地における年貢徴収や治安維持などを任務とした。
ウ 国衙に駐在してその業務に従事した役人である。
エ 荘園の領主から現地の支配を委託された開発領主らがこの職に任じられた。
オ 荘園において,割り当てられた年貢の納入の義務を負わされた。

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4 下線部fについての説明として誤っているのはどれか。一つ選べ。

ア 後白河上皇の近臣・藤原信頼の働きかけにより平治の乱を起こした。
イ 保元の乱では父の源為義を斬首した。
ウ 鎌倉五山の浄妙寺は義朝の屋敷跡に建立された。
エ 保元の乱では後白河天皇方として戦った。
オ 平治物語絵巻には義朝が三条殿に火を放った場面が描かれている。

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5 下線部gについて,鎌倉時代の武士の館の特徴として写真12から読み取れることはどれか。すべて選べ。

ア 屋根に瓦が葺かれた複数の建物が立ち並ぶ豪壮なたたずまいであった。
イ 門には扉がなく,塀すらない場合もあり,防御性には多様な実態があった。
ウ 屋内の部屋には畳が敷かれ,障壁画が描かれた障子に仕切られた部屋もあった。
エ 主屋には廂(ひさし)も縁側もなく,きわめて質素な造りであった。
オ 簡単には飛び越えられない大きな堀や,人の背丈を越える堅固な土塁で囲われていた。

正解を表示するウ・オ

6 次のア~オの文章の中で,<史料>に述べられていないことはどれか。一つ選べ。
ア 法然の先祖は西三条右大臣と呼ばれた人物である。
イ 法然の先祖は,もともと源を名乗っていたが,後に母方の姓である漆を名乗った。
ウ 法然の父を襲ったのは受領の子であり,稲岡荘の荘官であった。
エ 法然の父が押領使であったのは,先祖の母方の官職を受け継いだからである。
オ 法然の父は,先祖が殺人の科により美作国に流罪となったことを恥じていた。

正解を表示する

7  d には,宮中の清涼殿北東の d を詰め所とし,宮中の警護を任務とした武士の名称が入る。 d に入る語を漢字で記しなさい。
正解を表示する滝口

8 下線部eの年,鳥羽上皇は出家して法皇となり,同じ年,子の天皇を強引に譲位させて,寵愛する美福門院が産んだ近衛天皇を即位させたことが,保元の乱の遠因となった。譲位させられたこの天皇は誰か。漢字で記せ。
正解を表示する崇徳(天皇)

↑本問は、教育学部で繰り返し出題されている「一遍上人絵伝」を題材にした問題です。
頻出テーマや史料文の読み取り問題の難度を知ることができます。

☆教育学部に頻出する史料問題!(2024年2月 大問Ⅳ)
2024年2月 大問Ⅳ

19世紀後半の民衆の思想や政治意識に関わる次の史料17を読み,問14に答えよ。問12については,それぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。問34については,それぞれの解答を選び,マーク解答用紙の番号をマークせよ。なお,設問のない空欄もある。

 

<史料1>

去年検地租額ノ事ニ就(つ)キ,農民ノ服セザル者多シ。然シ威厳ヲ以(もっ)テ之(これ)ヲ抑(おさ)ヘル。(中略)貢額従来ニ比シテ減ゼズ,(しか)シテ山辺ノ諸在ニ於テハ或ハ(これ)ヲ増ス。シカノミナラズ従来之レ(な)キ所ノ税ヲ収ム。

 

<史料2>

人家の軒下にて一人のチョボクレ(1)が大音張り上げ,彼の A が一身を犠牲に供して当時(2)の将軍に直訴する一齣(せき)の慷慨悲憤(こうがいひふん)のところを語り居る折から,通行の巡査が中止解散を命じて直にチョボクレを拘引(こういん)せられたりとか(後略)。

 

(1) チョボクレ:ここでは大道芸人のこと。

(2) 当時:ここでは江戸時代。

 

<史料3>

A は昔の民権家といふより,之を祈れば自由を得らるゝなどゝ誰がいひ初めけん(後略)

 

<史料4>

B 儀,朝敵タルヲ以官位被召上(めしあげられ),且(かつ)従来御預之(の)土地不残(のこらず)御召上ニ相成(あいなり),以後ハ天朝御領ト相成候。尤是迄(もっともこれまで) B 之不仁(ふじん)ニ(よ)リ,百姓共之難義モ不少(すくなからざる)義ト被思召(おぼしめされ),当年半減之年貢ニ被成下(なしくだされ)候(あいだ),天朝之御仁徳厚相心得可申(じんとくあつくあいこころえもうすべし)(後略)。

官軍赤報隊 執事

 

<史料5>

日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ,他ヨリ妨害ス可ラス,且国法之ヲ保護ス可シ。

凡ソ日本国民ハ族籍(ぞくせき)位階ノ別ヲ問ハス,法律上ノ前ニ対シテハ平等ノ権利タル可シ。

凡ソ日本国民ハ日本全国ニ於テ同一ノ法典ヲ準用シ,同一ノ保護ヲ受ク可シ,地方及(および)門閥若(もし)クハ一人一族ニ与フルノ特権アルコトナシ。

 

<史料6>

一 質地証文之儀は,拾ケ年賦にて相返し可申事。

一 質物之義は,夏入用之品は不残只今相返し可申事。

(中略)

右之通,当今世直と唱ひ,村々一円誘引被致(いたされ),無余義(よぎなく)書類差出(さしだし)申候間,此段御届奉申上(このだんおとどけもうしあげたてまつり)候。

 

<史料7>

我等ノ目的ハ当 C 郡中高利貸ノ為メ,身代限リヲ為ス耳(のみ)ナラス,目下活路ヲ失シ一家離散ノ場合ニ立至リ,其惨状(そのさんじょう)見ルニ忍ヒサルヨリ,我々有志者申合(もうしあわせ),貸金ハ十ケ年据置(すえおき),四十ケ年賦延期ヲ債主ヘ迫リタルモ不聞入(ききいれざる)ヨリ,債主ヘ御説諭ノ儀,再度警察署ヘ願出タルモ,御採用無之(これなき)ニ付,学校費ヲ省ク為メ,三ケ年間之休校,雑税ノ減少等ヲ強願スルノ目的ナリ,決シテ官司(かんし)ニ敵スル意ニアラス。

 

1 史料1はある事件の背景を述べている。その事件が起こる原因となった政府の政策は何か。漢字で記せ。
正解を表示する地租改正

2 史料23の空欄 A に該当する人物の名前を漢字5字で記せ。
正解を表示する佐倉惣五郎

3 史料4の空欄 B に該当する人物はだれか。一つ選べ。
ア 孝明天皇
イ 徳川家茂
ウ 徳川慶喜
エ 松平慶永
オ 明治天皇
正解を表示する

4 史料57が作成された時期を,時系列に正しく配列したものはどれか。一つ選べ。

ア 567
イ 576
ウ 657
エ 675
オ 756
カ 765
正解を表示する

↑本問は、設問数は4問と少ないので史料問題が苦手な受験生も頑張って解いて、史料文の読み取り問題を知る機会にしてください。

☆教育学部の正誤判定問題のレベルを知る!(2024年2月 大問Ⅳ)
2024年2月 大問Ⅳ

次の文章を読み,問19に答えよ。問12はそれぞれの解答を記述解答用紙に記入せよ。問39については,それぞれの解答を選び,マーク解答用紙の記号をマークせよ。

 

文学作品には,時代や社会を映し出したものが少なくない。三人の女性の作家と作品を通して時代や社会とのかかわりを考えてみたい。

1872年に山梨県で生まれた樋口一葉は,士族の娘として育てられたが,a身分制の解体は樋口家に大きな困難をもたらした。家計は急速に傾き,父と兄の死後,借金と家族の扶養を負った一葉は,b女戸主として小説の執筆で生活をまかなおうとした。

一葉が小説を書いた1894年から翌年は,近代文学が花を開く時代にあたっていた。貧しい暮らしのなかで庶民の生活をつぶさにみた一葉は,東京で暮らす,日のあたらない女性の生活を描いた。一葉の作品は,当時すでにドイツ留学を題材にした小説 A でデビューしていた森鷗外に認められた。それは,自らの人生を生きる女性の生き方,内面を描いたからであり,自我を対象にした近代文学に通じる面があったからである。ただし,一葉の執筆期間はわずか14か月であり,結核により24歳で夭折した。

1903年に生まれた林芙美子は,行商を営む両親と各地を転々としたが,10代のときに岡山県尾道市で生活が落ち着き,小学校を二年遅れで卒業,尾道高等女学校に通い,図書館の本を読みふけりながら夜は働き,卒業した。その後,上京して下足番,女給,女工,事務員などさまざまな職業で自活し,両親が上京してからは露天商を手伝った。c林が生きた時代は不況に次ぐ不況の時代だった。1930年に発刊した『放浪記』は,手記のかたちをとり,時代に先駆けて自由に生きる若い女性を描いた自伝的小説であり,一大ベストセラーになった。男性中心社会のなかで,林は女性の大衆小説家として名声を得た。

満州事変から日中戦争に至る過程でd言論と思想の統制が強まった。作家は,言いたいことを書かないか,戦争に協力するか岐路に立たされた。日中戦争が始まると,林は戦争に積極的に呼応し,1937年に新聞特派員として南京に赴き,漢口陥落後は男性作家に先駆けて漢口に一番乗りした。林がe日中戦争の従軍記である『戦線』を1938年に発表すると,『放浪記』に次ぐベストセラーになった。林は,大衆の欲望に応える大衆小説家として,戦争に向かう時代には,先頭をきって戦争を支持する小説を書いたといっていいだろう。戦後,林の全集が二回刊行された。理由は示されていないが,二回ともに『戦線』は収録されていない。

1926年生まれの茨木のり子は,昭和の時代をまるまる生きた詩人である。1958年発刊の第二詩集『見えない配達夫』で,茨木は,さっそうと戦後の詩壇にあらわれた。茨木のもっとも知られた詩である「わたしが一番きれいだったとき」が,そこに収録されている。

「わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった」

「わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」

「おしゃれのきっかけを落してしまった」と「ブラウスの腕をまくり」の表現にみられるように,f戦時と戦後の生活の変化が詩人の鮮やかな感性によってとらえられている。茨木は新しい感受性で詩の世界を表現した女性だった。

茨木は,その後もみずみずしい詩作を続けるとともに,1976年,50歳のときに朝鮮語を習い始め,朝鮮とのかかわり,人びとをよんだ詩をつくる。1982年の詩集『寸志』に収録された詩「隣国語の森」はそのひとつである。

「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く

B の明治四十三年の歌

日本語がかつて蹴ちらそうとした隣国語

消そうとして決して消し去れなかった」

茨木は,ハングルの「精髄」に「少しでも近づきたいと/あらゆる努力を払い/その美しい言語の森へと入ってゆきます」と書いた。戦後に初々しい感性で登場した茨木は,戦時と戦後だけを視野におさめて詩をつくっただけではなかった。昭和を生きた茨木は,g日本と朝鮮の関係を含めて時代を生きようとしたのである。

 

1 空欄 A にあてはまる語を,漢字で記せ。
正解を表示する舞姫

2 空欄 B にあてはまる姓名を,漢字で記せ。
正解を表示する石川啄木

3 下線部aの説明として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 明治政府は金禄公債証書を発行して,士族の家禄制度を全廃する秩禄処分を断行した。
イ 政府は身分制の解体による四民平等をおし進めることで,国民皆兵による軍隊の整備を進めた。
ウ 金禄公債証書で商売に手を出した士族は失敗する者が多く,士族の商法と呼ばれた。
エ 身分制の解体は容易に進まず,士族の反乱や徴兵逃れがあらわれ,徴兵逃れがなくなるのは,日露戦争のあとからだった。
オ 北海道の開拓のなかで,士族中心の屯田兵制度がつくられた。
正解を表示する

4 下線部bに関連して,戦前の民法について,正誤の正しい組み合わせはどれか。一つ選べ。

① 戦前の民法は,お雇い外国人ボアソナードが起草したものが施行され,戦後の民法改正まで存続した。
② 民法では,戸主権が強く,男性を優位におき,妻の権利はほとんど認められていなかったが,戸主には女性もなることができた。
③ 民法の制定にあたっては,日本の伝統的な家族制度の理解をめぐり論争があった。


①-正
②-誤
③-正


①-正
②-正
③-正


①-誤
②-誤
③-正


①-正
②-誤
③-誤


①-誤
②-正
③-正
正解を表示する

5 下線部cについて,正誤の正しい組み合わせはどれか。一つ選べ。

① 日露戦争後は,戦争による犠牲と負担,さらには重い税負担により,不況が続いた。
② 第一次世界大戦による大戦景気のもとでも,物価が高騰したので,労働者や小作農民が生活難におちいった。
③ 第一次世界大戦後,ヨーロッパ各国の輸出が再開されると,日本のアジア輸出が減少し,大戦景気から一転深刻な不況になった。


①-誤
②-正
③-正


①-正
②-正
③-正


①-誤
②-誤
③-正


①-正
②-誤
③-誤


①-正
②-誤
③-正
正解を表示する

6 下線部dの説明として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 治安維持法は,制定時から共産主義思想と自由主義思想を弾圧するためのものだった。
イ 学問の自由が政府に大きく統制された例として,京都帝国大学教授滝川幸辰が休職処分にされた滝川事件があった。
ウ 美濃部達吉の天皇機関説は,国体に反するとして軍部や貴族院で非難された。
エ 日中戦争開戦後,大内兵衛・有沢広巳らの経済学者が検挙された。
オ 津田左右吉の古代史研究の著作は,不敬罪にあたるとして攻撃を受け,発禁処分になった。
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7 下線部eの時期にあたる,以下の①~④の文章を年代順に並べると,正しいものはどれか。一つ選べ。

① 日本政府は,蒋介石の国民政府を「対手」にしないという声明を出した。
② 関東軍は,ソ連の機械化部隊に惨敗した。
③ 国民党と共産党の提携が実現し,抗日民族統一戦線が成立した。
④ 非戦闘員を含む多数の中国人が殺害された南京事件が起きた。

ア ②→③→①→④
イ ④→②→③→①
ウ ③→④→②→①
エ ③→④→①→②
オ ④→③→①→②
カ ③→①→④→②
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8 下線部fの説明として誤っているものはどれか。一つ選べ。

ア 戦時中は米が配給制になり,衣料は切符制になった。
イ 戦時中には「ぜいたくは敵だ」というスローガンが出され,生活のきりつめが強要された。
ウ 戦争末期には,日本本土だけでなく,大日本帝国の全域で生活水準が低下した。
エ 食糧の統制や配給は,戦後すぐに解除されたものの,食料難,物資不足,通貨の乱発による激しいインフレーションで,生活は苦しかった。
オ 戦後はGHQによる統制はあったものの,さまざまな雑誌や書籍が刊行され,解放感が広がった。
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9 下線部gについて,正誤の正しい組み合わせはどれか。一つ選べ。

① 1930年代後半の朝鮮では皇民化政策が進められ,日本語の使用が強制された。
② 戦後の日本本土に残った朝鮮出身者は,日本国籍を喪失し,日本人としての法的権利から除外された。
③ 韓国併合後の朝鮮では,土地調査事業と産米増殖計画によって農民が窮乏化し,日本に働き口を求める人が増えた。


①-誤
②-正
③-正


①-正
②-正
③-正


①-誤
②-誤
③-正


①-正
②-正
③-誤


①-正
②-誤
③-正
正解を表示する

↑本問は、教育学部の近現代の問題で、近年増加傾向にある3文連立正誤判定問題のレベルを知ることができる問題となっています。

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一橋大学社会学部志望のAさんの場合
数学がとても苦手な彼女には、まず夏期の前半・中盤は数学の基礎固めと得意な英語をさらに磨くことを最優先した方が良いとカウンセリングで提案しました。そして、満を持して8月20日以降に「一橋大学の日本史」に向けた夏期集中講座(全5回)を設定しました。一橋で頻出するテーマを「吉田の板書」とオリジナルテキスト(一橋大のための論述お作法を知る)を駆使した講座が彼女には余程合ったいて手ごたえを掴んだようで追加講座も行うことになりました。結果、11月の一橋のオープン模試や実戦模試でも高得点を取るに至り、受験本番では数学が大問1題しか解けなかったにも関わらず、日本史をすべて完答するパフォーマンスを発揮して見事、社会学部に合格してくれました。

早稲田大学文学部・文化構想学部合格をめざすBさんの場合
彼女は、英語はそこそこ出来て国語が得意なタイプで日本史について苦手意識がとても強かったので「お試し講座」(30分)を延長して本気の「流れをつかむ板書」講義を展開したところ「目から鱗」的な感動と手ごたえを掴んでくれたようです。
そのため夏期は、各時代の政治史の流れを把握するための板書講義に特化した夏期講習を受講したところ秋以降の模試では、どんどん点数を上げて行ってくれました。
河合塾共通テスト模試は8月が34点⇒プレテストでは77点、そして、日本史が苦手な受験生にとっては、とても難しい早稲田大学の日本史でも文学部において76%(自己採点)と凄い成長を見せてくれました。

早稲田大学法学部合格をめざすC君の場合
カウンセリング(打合せ)によって導き出された現状把握の上で、英語はまずまずだけど国語が苦手(とくに早稲田の国語)なので弱点の国語をある程度カバーできるくらいに日本史で得点を稼ぐという合格戦略に則した夏期計画を立てた。
扱う時代は、近現代を中心とした。その理由は、彼の高校の進度では11月や12月にならないと昭和をやらない。しかし、早稲田の法学部は近現代分野からの出題量が多く、この時代の大問は一般的な受験生にとっては手ごわい「早稲田特有の未見史料問題」が頻出する。吉田塾で近現代分野を夏期期間に履修しておけば、11月初めから本格的に始めなければならない早稲田対策の実戦演習にスムーズに入ることが可能となる。このメリット(有効性)を強く意識した夏期講習プランと言えます。

早稲田大学商学部合格をめざすD君の場合
彼は、とにかく早稲田の商学部が断然の第一志望であることがカウンセリングで分かったので「早大商学部の日本史」において最も高い点数をたたき出すことができるようなカリキュラムを一緒に作成して行きました。
早大商学部では、近現代史の中でもとりわけ経済史に強くないとハイスコアを得ることができない大問が頻出します。そのため、短文論述問題対策(詳しい添削指導付き)も含めた「近現代の経済史」中心の夏期講習(全7回)を行いました。この効果もあってか、本番の早大商学部の論述問題(80字)では、完璧な解答文を書くことが出来た!と嬉しい報告がありました。

慶応義塾大学文学部合格をめざすEさんの場合
大問4と大問5で出題される本格的な未見史料問題(史料の読み取り)にもとづく論述問題(100字)がとても自分で対策できる自信がなく途方に暮れていたところ、ネットで検索していたら吉田塾を見つけカウンセリングとお試し講座(史料対策と「論述のお作法」)を受けてくれました。
自分の弱点補強にピッタリ合った講座をいっしょに構築していく吉田塾のスタイルを彼女はとても気に入ってくれたので、「慶応の文学部」の傾向や出題形式の則した①史料の読み取り講座(全2回)と②論述の書き方講座(3回)を設定し夏期集中講座を行いました。これにより、秋以降の志望大学対策の指針が立って安心感が得られたとの感想をもらっています。

慶応大学経済学部が第一志望のF君の場合
論述問題がない私大型の入試問題にはある程度対応できる彼でしたが、カウンセリング(無料)やお試し講座(無料添削)において論述問題が全く解けない(書けない)ばかりか、設問に関係する教科書を読んでから解答文を書いてもらっても大幅に減点される解答文しか書けないことが判明しました。
「今の自分を知ったのです」
よって、「基礎からはじめる論述問題のお作法講座」(慶応大学経済学部の日本史)を受講することになりました。この講座によって論述問題に対応できる教科書の読み込み方法を体得した彼は、秋以降急速に日本史の得点能力を上げて行くことに成功しました。

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