近年(2022年~2024年)の商学部の問題をここで分析してみよう。
☆本学部の「傾向と対策」を読む前後に早稲田を複数学部受験する人は、ぜひ早稲田の日本史(全体分析)を読むことをお勧めします。とくに近年は、早稲田においても「共通テスト」を意識した問題や歴史総合を意識した問題作成が行われたものが散見されています。この新傾向(新形式)っぽい問題について分析したものを追加しましたので来年の本試験問題につながる可能性が高いです!
例年、大問が6題出題されており、大問1=古代 大問2=中世 大問3=近世 大問4・5・6が近現代からの出題はここ十数年変わっておらず、近現代史重視の傾向は一貫している。
☆商学部の日本史攻略の重要ポイントは、この3つにある!
①一つ目は、早稲田的正文誤文判定問題の克服にある!
その中でも、もっとも差がつくのが選択肢5つから「誤っているもの」「正しいもの」を「2つマークせよ」や「すべてマークせよ」の正誤判定問題です。これらの問題は「2つ」又は「すべて」正確に当てないと得点がもらえず0点となる。また、3文連立の正誤判定問題も出題され、難度が高いものが多い。よって、できるだけ早い段階から履修範囲内の時代(大問)だけでも、過去問研究しよう。早稲田的正誤判定問題にピッタリ合った勉強方法を確立した受験生がとても有利となることを実感してほしい。そのための早大商学部らしい過去問を以下に公開しているのでぜひこの機会に解いて体感しよう。
②二つ目は、史料問題の多さにある。
近年は、大問6題のうち、4題が史料中心の大問が出題されている。そのほとんどが受験生にとっては教科書などには掲載されていない未見史料となっており、近年は共通テスト(新課程)の影響もあって史料文を正しく読み取れてないと解答できない問題が増加傾向にあるので史料文の読み取り(読解力)能力は必須となる。早稲田の商学部らしい史料問題(中世と近代)を以下に公開しているので、ぜひこの機会に解いて体感してください。
③三つ目は、商学部特性を意識した問題です!
早稲田の各学部は、学部特性を意識した問題が出題されます。商学部の場合は、やはり近現代の経済史(金融史・産業史など)を重視していて、この分野の骨太な大問が繰り返し出題されている。また、定番の短文論述問題も近現代分野の経済関係からの出題が大半であることからも、商学部がいかにこの分野を重視しているかがわかります。よって、近現代の経済史は、万全の対策が必要です。
以下に商学部の経済史中心の過去問を公開しているので、ぜひこの機会に解いて体感してください。
☆中世の史料問題(2024年2月本試験 大問2)
次の史料Ⅰ~Ⅲと解説文を読んで,下記の設問(A~J)に答えよ。解答はもっとも適当なものを1つ選び,解答記入欄のその番号をマークせよ。
(史料Ⅰ)
一,悪党を籠め置き無沙汰の所々の事,
地頭・御家人等の領においては,子細を尋ね明らめ注申すべし,その左右に随い誡め沙汰あるべし,また イ ,件の輩を拘惜するの地に至っては,早く注申せらるべし,
一,好みて悪党を召し仕うる輩の事,
狼藉の基たり,早く交名を注申すべし,ことにその沙汰あるべきなり,
(式目追加)
(史料Ⅱ)
古の興廃を改めて,今の例は昔の ロ なり,朕が ハ は未来の ニ たるべしとて新なる勅裁漸くきこえけり,……次に関東へは同年(元弘三年)の冬,成良親王征夷将軍として御下向也,下御所ホ左馬頭殿供奉し奉られしかば,東八ヶ国の輩大略励し奉りて下向す,……ここに京都の聖断を聞き奉るに,記録所・決断所を置かるるといえども,近臣臨時に内奏を経て非儀を申し断る間,綸言朝に変じ暮に改まりしほどに,諸人の浮沈掌を返すがごとし,……また天下一統の掟をもって安堵の綸旨を下さるるといえども,所帯を召さるる輩恨みを含む時分公家に口ずさみあり,尊氏なしという詞を好みつかいける,
(『梅松論』)
(史料Ⅲ)
観応二年十一月
五日,天晴る,……一昨日宰相中将・忠雲僧正,賀茂親承坊において対面す,随分の饗応あり, ヘ 方の綸旨二通,忠雲随身して相公に与う,一通は勅免,一通は直義法師追討の事と云々,公家の事は一円 ヘ 方御沙汰あるべし,武士の事は召し仕わるるの上は,管領すべきの旨勅許と云々,……後日この和与世上に披露す,
(『園太暦』)
鎌倉幕府は,13世紀もなかばを過ぎて北条氏の得宗が権勢を強めると,それとは裏腹にさまざまな問題に悩まされることとなった。(史料Ⅰ)はそのありさまを示す一例で,ト反体制的活動を行い,勢力を拡大してきた悪党とよばれる人びとを,武士や荘園領主が抱え置いたり,召しつかったりしていることがみえる。つまり,反体制的な勢力に加担したり,取り込んだりする動きがうかがえるのである。
14世紀に入り,得宗の有力被官であるチ内管領の専横が強まると,幕府に対する人びとの不満はいよいよ高まった。これを好機とみたリ後醍醐天皇は悪党を含む反幕勢力を糾合し,鎌倉幕府を滅亡させた。(史料Ⅱ)は,それに関わるありさまの一部を示したもので,後醍醐の自信が示されているところや,後醍醐の親王の1人が関東に派遣され,有力な武士の補佐を得て鎌倉将軍府が設置されるありさまなどが描かれているが,ヌさまざまな矛盾が噴出していることも示され,結局後醍醐が展開した,いわゆるル建武の新政はほどなく瓦解することとなった。
その後,南北朝内乱が60年近く続いていくが,この内乱を長引かせた一因がヲ観応の擾乱である。(史料Ⅲ)はその一場面を示したもので,事態の複雑さを物語っている。なお,「宰相中将」「相公」とあるのは足利尊氏の子息義詮のこと,「忠雲僧正」は南朝の使者である。
問A 空欄イに入る語はどれか。
1.院近臣
2.守護
3.受領
4.本所
5.政所
4
問B 空欄ロ・ハ・ニに入る語の組み合わせとして,正しいのはどれか。
1.
ロ=先例
ハ=新儀
ニ=先例
2.
ロ=新儀
ハ=先例
ニ=新儀
3.
ロ=先例
ハ=先例
ニ=新儀
4.
ロ=新儀
ハ=新儀
ニ=先例
5.
ロ=先例
ハ=新儀
ニ=新儀
問C 下線部ホの人物はどれか。
1.足利尊氏
2.足利直義
3.足利基氏
4.楠木正成
5.新田義貞
問D 空欄ヘに入る語はどれか。
1.南
2.北
3.南北
4.将軍
5.幕府
問E 下線部トに関して述べた次の文X・Y・Zの正誤の組み合わせのうち,正しいものはどれか。
X 東国で多く活動し,やがて畿内・西国でも見られるようになった。
Y 名主や商人なども含まれていた。
Z 集団行動が多かった。
1.
X-正
Y-正
Z-誤
2.
X-正
Y-誤
Z-正
3.
X-正
Y-誤
Z-誤
4.
X-誤
Y-誤
Z-正
5.
X-誤
Y-正
Z-正
問F 下線部チについて,北条高時のもとでこの地位にあった人物はどれか。
1.安達泰盛
2.北条重時
3.長崎高資
4.金沢実時
5.平頼綱
問G 下線部リに関連して述べた文のうち正しいものはどれか。
1.足利高氏は幕府により畿内に派遣されたが,六波羅探題を攻め落とした。
2.伊勢で挙兵した楠木正成は,悪党の出自といわれる。
3.後醍醐天皇の皇子懐良親王は,吉野で挙兵した。
4.新田義貞は畿内から引き返し,鎌倉に攻め入った。
5.鎌倉に攻め込まれ,追いつめられた北条高時・時行父子は自害した。
問H 下線部ヌに関連し,(史料Ⅱ)の内容として正しいものはどれか。
1.記録所・決断所といった鎌倉時代からの役所は,そのまま存続していた。
2.天皇の近臣は,つねに役所を通して天皇に進言した。
3.天皇の意思は,近臣の進言によっても不変だった。
4.所領を保証する綸旨が下される一方,所領・官職を取り上げられた人びとは不満を抱いた。
5.貴族たちは,尊氏のような者は政権に不要だと天皇に進言した。
問I 下線部ルについて説明した次の文a~dのうち,正しいものが2つあるが,その組み合わせはどれか。
a 国々に国司のみを置いて守護を廃止した。
b 大内裏造営を計画した。
c 醍醐・宇多天皇の治世が理想とされた。
d 銅銭・紙幣を発行しようとした。
1.aとb
2.aとc
3.aとd
4.bとc
5.bとd
問J 下線部ヲに関連して述べた文のうち誤っているものはどれか。
1.抗争の過程で足利尊氏は南朝に降伏した。
2.抗争の過程で足利直義は南朝に降伏した。
3.足利直義は,実力による所領拡大を図る勢力を支持した。
4.足利尊氏の弟直義と尊氏の執事高師直との対立を契機として抗争が起きた。
5.足利直義が死去しても抗争は尾を引いた。
中世の問題(2024年)を解いてみてどうでしたか。吉田塾では、このような史料問題を効率的に攻略する方法(対策法)をカウンセリング(無料)やお試し講座においても伝授しています。
☆近代の史料問題(2024年2月本試験 大問2)
次の史料を読んで,下記の設問(A~J)に答えよ。史料は政治家3人による鼎談であり,空欄イ・空欄ホ・空欄トにはそれぞれ発言した政治家の氏名が入る。なお,史料はわかりやすくするために省略や変更を加えた部分がある。
(史料)
イ : 「熟々内外の形勢を観るに,実に今日は国家に取りて重大なる時機といふべし。即ち内にしては経済社会の状況,ロ政府財政の困難,ハ条約改正に伴ふ実際的関係,外にしてはニ東洋の形勢漸く迫まり,一たび此時機に処するの道を過まるときは,実に国家将来の進運を危殆ならしむるの恐あり。〔中略〕幸なるかな,両伯は積年の関係を捨てて,此に両者の会同を決行せられ,優に多数を議会に制せらるべきは,殆ど疑を容れざる所,〔中略〕今後の事,挙げて両伯に一任するに於て議会なる関門を通過するを得るべきこと亦深く顧慮するを要せざるべし。両伯幸に一諾せば,将来国政を挙ぐる,豈難事とせんや。」
ホ : 「貴意領せり。ヘ岩倉,木戸,大久保の諸先輩を助けて日本開国の種子を播布したるは実に イ 侯なり。而して其結果は異常の進歩発達を致し,就中帝国憲法の如き,侯の手に成りたるの偉功は,世人の識認する所,〔中略〕然るに侯が今忽然辞表を捧呈せられたるの事実は,余の殊に喫驚する所たり。」
ト : 「侯の辞表は実に意外なり。民間党は既に合同したりと云ふも,余は ホ 伯と宴席に唯々一回の面晤を得たるのみ。余は ホ 伯が果して引受けらるるならば チ を挙げて伯の手に委ね,老生は安んじて隠居たらんことが本来の願なり。」
ホ : 「余は去る二十一年入閣したるときも,偏に其調和を希へり。〔中略〕世人動もすれば薩長の専横を罵るも,国家に於ける薩長の功績は実は非常なりとす。〔中略〕凡そ国として何れにか実力の埋伏する所なかるべからず。但だ時勢の推移甚しければ,余が入閣したればとて,前日の如き威信を繋ぐを得べきや否。
ト : 「余がリ内務大臣たりし日と雖も,万事を慮(おもんばかり)勝ちにて意に任せざるもの少からざりし。薩長の勢力は政党の勢力に下らず,故に之を揺撼する所容易ならざるべきを悟りき。」
イ : 「薩長の党派は,最早実利なし。今日議会に於て立法上の目的を達せんとする党派とは,固より同日を語るべきにあらず。」
ホ : 「然り。事已に此に至りたる以上は, ト 伯とも熟議の上,何とか善後の計を講ぜざるべからず。其上ヌ聖天子の思食をも伺ひ,若し陛下の御信任を辱くするに於ては,相当の手段を取らざるを得ず。」
問A 空欄イに当てはまる人物について述べた文として,誤っているものを2つマークせよ。
1.初代内閣総理大臣である。
2.帝国議会開会時の内閣総理大臣である。
3.日清戦争開戦時の内閣総理大臣である。
4.日露戦争開戦時の内閣総理大臣である。
5.長州藩出身である。
問B 下線部ロに関連して述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.初期議会において民党は積極財政による支出拡大を要求していた。
2.日清戦争の戦費調達のために発行された外債の利子が政府財政悪化の原因であった。
3.毎年の予算案は衆議院が作成し,貴族院の承認を経て執行された。
4.日清戦争の賠償金の六割以上は軍備拡張に使われた。
5.米価の上下に応じて地租による税収は増減した。
問C 下線部ハに関して述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.大隈重信外相は,条約改正に反対する官吏に爆弾を投げつけられた。
2.岩倉使節団の派遣は近代化のための視察が目的であり,条約改正交渉を行う予定はなかった。
3.青木周蔵外相による交渉では,イギリスが改正に同意したが,外国人判事の任用問題で挫折した。
4.陸奥宗光外相による改正交渉は自由党によって支持され,領事裁判権撤廃に成功した。
5.小村寿太郎外相は,関税率の一部引き上げと,日英通商航海条約の調印に成功した。
問D 下線部ニに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.日清戦争後,ドイツは山東半島の威海衛を租借した。
2.日清戦争後,イギリスは新界(九竜半島と附属島嶼)を租借した。
3.日清戦争後,ロシアは旅順・大連を租借した。
4.日清戦争後,フランスは広州湾を租借した。
5.日清戦争後,アメリカはハワイを併合した。
問E 空欄ホに当てはまる人物に関する文として,正しいものを2つマークせよ。
1.進歩党を与党として松方内閣に入閣した。
2.土佐藩出身である。
3.長州藩出身である。
4.佐賀藩出身である。
5.自由党を与党として伊藤内閣に入閣した。
問F 下線部ヘに当てはまる人物に関する文として,正しいものを1つマークせよ。
1.摂関家に次ぐ家柄の出身である。
2.若くしてフランスに留学した。
3.八月十八日の政変で京都を追放された。
4.王政復古の大号令の発布に深く関与した。
5.倒幕の密勅に基づき将軍に対して大政奉還を促した。
問G 空欄トに当てはまる人物と同じ藩出身の人物は誰か。正しいものを1つマークせよ。
1.江藤新平
2.西郷隆盛
3.桂太郎
4.岩崎弥太郎
5.徳富蘇峰
問H 空欄チに当てはまる語句はなにか。正しいものを1つマークせよ。
1.大成会
2.憲政本党
3.進歩党
4.国民協会
5.自由党
問I 下線部リに関連して述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.鉄道の敷設や管理を担当した。
2.その権限を利用して選挙干渉を主導することがあった。
3.全国各地の教育制度や学校の管理を担当した。
4.帷幄上奏の権限を有していた。
5.宮中に関する事務をつかさどった。
問J 当時の下線部ヌに関して述べた文として,正しいものを1つマークせよ。
1.天皇は首相をその独断によって決定した。
2.天皇の輔弼者である元老は,憲法上にその存在根拠となる規定を持たなかった。
3.天皇は憲法の制定者であり元首である以上,憲法の条規に従う必要はなかった。
4.天皇は,憲法上国権の最高機関と規定されていたが,のちにこの規定は批判された。
5.帝国議会は天皇の協賛をもって立法権を行使すると憲法に定められた。
↑大隈重信の肉声が聞こえてくるような早稲田らしい史料問題となっています!
本問は、早大の史料問題としては易しめですので、史料問題が苦手な人も傾向を知るためにぜひ解いてください!「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」です。
☆近現代の経済史の問題(2023年2月本試験 大問5のⅠ)
次の文章Ⅰを読んで,下記の設問に答えよ。
Ⅰ
急速な工業化過程で,日本経済は繰り返し恐慌や不況を経験した。最初はイ企業勃興に続いて起こった1890年恐慌であった。以後,目立つ恐慌(不況)だけをみても,1900-01年恐慌,ロ日露戦後の経済危機,1920年の戦後恐慌,1920年代の景気の低迷期,ハ金融恐慌,世界恐慌を契機に始まったニ昭和恐慌など,激しい浮沈が繰り返されたことがわかる。
これらはそれぞれの時点における日本経済の弱さを示すと同時に,それを克服し続けた日本資本主義の強靱さを表しているともいえよう。特に,欧米の先進資本主義国が1929年に始まる世界恐慌の深く長い打撃に苦しみ続けている中,日本はホ高橋財政の下でいち早く恐慌から脱出し,さらに急速な成長を遂げたのであり,日本資本主義の強靱性を物語っている。
問A 下線部イに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.銀本位の安定した通貨制度が成立し,デフレが収束した。
2.紡績業などで機械技術を基礎とする大企業の設立ブームが起きた。
3.金利の低下と株式取引の増大が企業設立ブームを支えた。
4.鉄道会社設立ブームの結果,民営の営業キロ数が官営を上回った。
5.大紡績会社は2000錘紡績を経営モデルとして設立された。
問B 下線部ロに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.八幡製鉄所では生産が順調に進まず,設備の拡充も出来ない状況が続いた。
2.政府は増税と公債発行に基づき,軍備拡張を核とする戦後経営を推進した。
3.三井財閥は持株会社(三井合名)を設立し,傘下企業を管理する体制を整えた。
4.産業革命の進展に伴い鉄鋼や機械などの輸入が増加し,貿易収支の赤字が続いた。
5.外債の累積に伴う利払いの増大が国際収支を圧迫した。
問C 下線部ハに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.震災手形の処理問題をめぐって恐慌が発生した。
2.片岡直温蔵相の失言をきっかけにして銀行への取付騒ぎが始まった。
3.巨額の不良債権に苦しむ台湾銀行を緊急勅令で救済する案が枢密院で否決された。
4.震災手形を通じた日銀の特別融資を最も利用したのは3大財閥であった。
5.恐慌をきっかけに中小銀行の整理・合併が進み,金融機関の資金的基盤が強化された。
問D 下線部ニに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.緊縮財政と旧平価(円の切上げ)での金解禁によって日本経済は大打撃を受けた。
2.デフレに対して企業は産業合理化を進めたが,人員整理は失業者の増加を招いた。
3.政府は,重要産業統制法を制定し,大企業によるカルテル結成を取り締まった。
4.金解禁と世界恐慌下の需要縮小によって輸出は大きく減退し,正貨が流出した。
5.デフレ政策の目的は割高な日本の物価を下げ,国際競争力を強化することにあった。
問E 下線部ホに関連して述べた文として,誤っているものを1つマークせよ。
1.金輸出再禁止による大幅な円安は輸出の飛躍的な増加をもたらした。
2.低為替政策は,海外からソーシャル=ダンピングと批判され,国際対立を深めた。
3.インフレへの懸念が強まると,軍事費支出の増加に歯止めをかけようとした。
4.財政支出拡大の波及効果などによって,1933年には恐慌前の生産水準を回復した。
5.日銀と協力して低金利政策を採用し,景気の過熱を抑制した。
経済史の問題を解いてみてどうでしたか。
このような問題は、早大商学部からの問いかけ(ラブコール)であると認識してほしいところです。早大商学部には、本問を理解して答えることができる人材こそ来てほしいと思っているのです。ですから、早大商学部が第一志望の受験生なら、この商学部の呼びかけに真正面から堂々と答えることができる対策を立ててほしいと吉田は思っています。
吉田塾では、早稲田の商学部特性に対応した「同じ形式の過去問」を効率的に編集したテキストや「吉田のオリジナル対策問題」を利用して経済が苦手な人でも分かりやすい丁寧な説明付きの特別講座を行うことが可能です。
↑本問は、過去問とのつながりがとても深い問題となっています。
商学部が学部特性(うちは早稲田の商学部である!)を強く意識して問題作成している点や、過去問研究の意義(いかに大切かが実感できる!)がよく分かる問題となっています。
☆現代史の問題(2023年2月本試験 大問5のⅠ)
次の文章Ⅰ,Ⅱ,Ⅲを読んで,下記の設問(A~I)に答えよ。
Ⅰ
1955~1973年頃の高度経済成長期には,いくつもの社会問題が発生した。農村・漁村・山村では a が進む一方,大都市では人口の増加を主な要因として交通渋滞,騒音が発生し,住宅不足も起きた。経済を優先させたために公害対策は遅れ,一部の企業が廃棄した汚染物質によって環境破壊が起こり,各地でイ公害問題が深刻化した。
またこの頃には,部落差別などの人権問題も深刻になり,1946年に結成された部落解放全国委員会が1955年に部落解放同盟と改称し,さらに1961年には b 審議会が政府に設置され,1969年には b 事業特別措置法が公布された。
Ⅱ
ロ1971~1973年には,国際経済体制が大きく揺れ動いた。1971年にニクソン大統領が金とドルの交換停止などを発表すると,固定相場制は崩れ,イギリス,フランス,ドイツなどに追随して,日本も変動相場制に移行した。同年末には,ワシントンのスミソニアン博物館で10カ国財務相会議が開催され,いったんは固定相場制の復活がはかられた(スミソニアン体制)ものの,ドル不安が再燃し,1973年には再び変動相場制に移行した。
Ⅲ
1973年10月に第4次中東戦争が勃発し,ハOPEC(石油輸出国機構)加盟国の6カ国が原油価格を引き上げ,またOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が欧米などのイスラエル支持国や日本への石油輸出を制限した。これを機に安価な原油の安定的な供給という経済成長の基礎が崩れ,日本経済は大打撃を受けた(第1次石油危機)。世界経済が低迷し,経済成長率の低下, c (不況と物価の上昇)という深刻な事態に直面した。日本でも,ニ物価が高騰し, d 物価と呼ばれた。しかし世界経済が停滞する中でも,1978~1979年に起きた第2次石油危機を乗り越え,日本はある程度の経済成長率を維持しながら,ホ安定成長期に入った。
問A 空欄aに該当する語句を,記述解答用紙の解答欄に漢字3字で記せ。
問B 空欄bに該当する語句を,記述解答用紙の解答欄に漢字4字で記せ。
問C 空欄cに該当する語句を,記述解答用紙の解答欄に9字で記せ。
問D 空欄dに該当する語句を,記述解答用紙の解答欄に漢字2字で記せ。
問E 下線部イに関する記述として,誤っているものを1つマークせよ。
1.新潟水俣病は新日本窒素肥料(チッソ)の廃棄物が原因である。
2.富山県で起きたイタイイタイ病は,三井金属の廃棄物が原因である。
3.四日市ぜんそくの主な原因は,石油化学コンビナートが排出した硫黄酸化物である。
4.公害対策基本法(1967年制定)は,大気汚染・水質汚濁などの7種の公害を規制した。
5.政府は中央公害対策本部を置き,1971年に環境庁を設置した。
問F 下線部ロについて,この間の国際経済体制や国内の状況に関連する記述として,誤っているものをすべてマークせよ。
1.ニクソン大統領の経済政策は,朝鮮戦争の戦費調達による国際収支の赤字拡大が大きな原因である。
2.アメリカは,10%の輸入課徴金,90日間の賃金・物価の凍結なども行った。
3.この間の日本の首相は,田中角栄と三木武夫である。
4.スミソニアン体制では,1ドル=308円となった。
5.変動相場制への移行で,円高を武器とする日本の対米輸出は深刻な影響を受けた。
問G 下線部ハに関して,OPEC発足時に加盟していない国をすべてマークせよ。
1.リビア
2.イラン
3.クウェート
4.オマーン
5.サウジアラビア
問H 下線部ニに関して,記述解答用紙の解答欄に,この頃に物価を高騰させた石油危機以外の大きな要因について,「列島」という言葉を含めた30字以内の適切な文章を作成せよ。なお,句読点も1字として数えよ。
添削します。本問は、カウンセリング(無料)やお試し講座(無料)において対策法などを伝授しています。
問I 下線部ホに関連して,安定成長期の政治・経済・産業に関する記述として,誤っているものを1つマークせよ。
1.この頃の企業経営は,人員削減や工場・オフィスの自動化などを行い,「効率経営」と言われた。
2.産業構造が重厚長大型から軽薄短小型に転換していった。
3.国鉄,電電公社,専売公社が民営化された時の首相は,中曽根康弘である。
4.双子の赤字を抱えるアメリカへの輸出増大によって貿易摩擦が起こり,アメリカから内需拡大などを求められた。
5.1975年の山陽新幹線の全線開業に続いて,1982年に東北・上越新幹線が開業した。
論述問題の範囲は、近現代の社会経済史・産業史・金融関係史にほぼ限定されていることからも、商学部からの強い問いかけ(ラブコール)だと受験生は認識してほしいところです。このような問題に対して、真正面で答えることができる人材に早大商学部は来てほしいと思っているのです。
吉田塾では、早稲田の商学部特性に対応した「同じ形式の過去問」を効率的に編集したテキストや「吉田のオリジナル対策問題」を利用して経済が苦手な人でも分かりやすい丁寧な説明付きの特別講座を行うことが可能です。
↑本格的な現代史の問題が頻出します。近年は論述問題も現代史から出題される傾向にあり配点も高い。これらの傾向が実感できる問題です。
吉田塾では、上記のような「早稲田大の日本史」を攻略するための「戦略的かつ効率的」な指導を行っています。
さらに「早稲田大の日本史」を攻略するための詳しい内容を知りたい人は、「吉田塾とは何か」や「塾長 吉田健志のプロフィール」をよく読んで頂き、自身の合格戦略に合うとの手ごたえを感じたら、ぜひお問合せください!
また、無料カウンセリングやZoomを利用したお試し講座のお申込みも、お問い合わせページから承っています!
おかげさまで今年も早稲田大学、慶応大学、同志社大学、立命館大学、青山学院大学、中央大学(法学部)などに塾生たちが合格してくれています。
2024年度も志望大学の合格目指して意欲に燃える塾生を募集しています!
まずは無料カウンセリング・お試し講座から。お問い合わせください!
日本史「秋期講習」受付中!
①日本史の対策が遅れている人必見!「今から間に合わせる日本史」
日本史の基礎の確立がいまだ出来てない受験生におすすめ。
例年、この時期になると、夏期に英語や国語に力を入れすぎたあまり日本史がおろそかになり、志望大学の判定も日本史が足をひっぱっているという受験生がいます(特に、もともと歴史への興味が薄い女子に多い)。
上記のような受験生のお問い合わせに応えるべく「今から間に合わせる日本史」講座を開講しています。本講座は、まずは綿密なカウンセリングを行い、お試し講座を受講し納得いただいた上で開講しています。
②ライバルに差をつける「志望大学の日本史」特化型講座
本気の第一志望合格をめざした「志望大学」の傾向と対策に特化した講座です。
ライバルに差をつける(日本史を得点源にして合格!)ためのオリジナル講座を開講しています。過去に開講した志望大学(志望学部)特化型講座を受講した塾生の合格レポートが本サイトにはたくさん掲載してありますので参考にしてください。
③ ①と②をバランスよく配合したハイブリッド講座の設定も可能です。
「文化史」特講受付中!
吉田塾では、冬期に「文化史」特講を開講しています。文化史対策が遅れている人もここで「文化史」を覚えるための丸暗記ではない「つながりと対比」を重視したテキスト&板書を駆使した覚え方によって、一気にまとめることができた!合格の決め手の一つになった!と例年塾生からの評価がもっとも高い講座の1つとなっています。
その一部は、Zoomによるオンラインカウンセリング(無料)やミニ講座(無料)でも紹介しています。
日本文化史特講について、受講生の感想をいただいたので紹介します。
政治史を軸として文化史を理解するという考えに目から鱗でした。文化史単体だとどうしても暗記がしにくく困っていたのですが、面白いエピソードを思い返しながら、先輩の絵と共にもう一度復習し直すとすんなり覚えることができ感動しました!乾漆像についての時短裏技も他の教科や時代に時間をかけたかったので非常に助かりました。また、年号の重要さを身にしみて感じました。文化史と並行して復習していこうと思います。
文化史を習得するために必要なことについてよく理解してくれている感想文だと思います。
文化史は難関国公立や難関私大の日本史(特に早稲田の文学部や文化構想学部)を攻略する上で非常に重要であり、他の受験生と差が付きやすい分野であると吉田塾では考えています。
すでに講座を進めている吉田塾生は多くいますが、非常に重要な受験直前期のこのタイミングでも講座への参加を受け付けていますので、ぜひご相談ください。