近年(2023年、2024年)の早大文学部の過去問を分析しよう!
本学部の「傾向と対策」を読む前後に早稲田を複数学部受験する人は、ぜひ早稲田の日本史(全体分析)を読むことをお勧めします。とくに近年は、早稲田においても「共通テスト」を意識した問題や歴史総合を意識した問題作成が行われたものが散見されています。この新傾向(新形式)っぽい問題について分析したものを追加しましたので来年の本試験問題につながる可能性が高いです!
例年、大問が6題出題されており、大問Ⅰでは考古学分野からの出題が定番化している。大問Ⅱ=古代 大問Ⅲ=中世 大問Ⅳ=近世(幕末も含む) 大問Ⅴ=近現代 大問Ⅵ=図版を用いた文化史の出題が続いている。
過去問研究すれば、文学部においても早稲田的正文誤文判定問題の出来が得点を左右することがわかる。また、記述問題の個数も多いので歴史用語を正しく漢字で書ける訓練をしておきたい。知っていても書くとなると難しい漢字も毎年出題されているので注意が必要です。(2024年島津斉彬 2023年 林銑十郎 2019年伊治呰麻呂、2018年流鏑馬・山鉾など)
☆最新の文学部の日本史攻略の重要ポイントは、この3つにある!
①大問1は例年、原始時代(旧石器時代・縄文時代・弥生時代)から出題されている。
2024年は出題されなかったが、例年必ず考古学分野の問題が出題される。早大の他学部(法学部や商学部)では、まず出題されない分野なので文学部の強い意思を感じます。この文学部の意思をしっかり感じとるためにも、早大文学部の大問Ⅰの過去問を以下に公開しているのでぜひこの機会に解いて体感しよう。「百聞は一見に如かず」だ。
②大問6は例年、図版を用いた本格的な文化史(とくに美術史や工芸史)の大問が出題されている。
問題作成者の美術・工芸史に対する強い思いが、ストレートに表れたリード文や設問であったりします。図版も必ず出題され、全体的に難度が高い年度も多いので、腰を据えた本気の文化史対策が必要です。その必要性を実感するための大問Ⅵを掲載しました! 今ここで解いて実感してください。「彼を知り、己を知れば百戦危からず」です。
③文学部の近年の傾向として史料問題が出題されはじめている点に注意だ。
従来の文学部では、ほとんど出題されていなかったので今後は注意が必要だ。
その傾向を示す史料問題を以下に公開しているので参考にしてください。
☆文学部定番の大問Ⅰを知る!(2023年2月本試験)
次の文を読んで,問に答えなさい。
1877年6月に初来日したエドワード・シルヴェスター・モースは,横浜から新橋に向かう汽車の車窓から A 貝塚を発見した。太古の日本において貝類を捕食した原住民がいたことを直感し,同年9月から発掘調査を敢行した。発掘調査は日本人学生の佐々木忠次郎らを伴い,間欠的な調査であったが,土器や石器,骨器,土製品,動物骨など多数の遺物が出土し,太古の人民の生活の痕跡を科学的に明らかにした。その成果は詳細に報告され,1879年に英文報告書が東京大学から刊行された。その中で“cord marked pottery”と形容された焼き物が,今日の B の名称の語源になった。薫陶を受けた上記の学生は,その後,茨城県陸平(おかだいら)貝塚で独自に発掘調査をおこなったが,それは日本人による最初の学術発掘といわれる。モースは研究と教育の両面で優れた手腕を発揮し,後進を育てたといえるだろう。
モースは東京大学に初代の動物学教授として迎えられたが,本来,日本近海にすむ現生貝類(腕足類)の調査研究が来日の目的であった。はからずも偶然の発見が日本の考古学の発展に寄与したわけである。
発掘調査以外で,モースが多くの人々の注意を引いたものとして,ダーウィンの C の講義があったことはよく知られている。それに反対するキリスト教宣教師を兼ねた外国人教師との衝突も激しかった。しかし,浅草の井生村楼(いぶむらろう)や文部省修文館等で開催されたモースの公開講演会に,皇族をはじめ三条実美,岩倉具視,伊藤博文,大隈重信,山県有朋,西郷従道ら錚々たる政界のトップ,高級将校,高級官僚らが多数駆けつけ聴講したのは,彼らが C などの斬新な欧米の科学知識や西洋文明に深い関心を懐いた証拠である。
政界とのつながりから,モースは大隈重信とも親交を結び,大隈が1882年に創立した D の開校式に招かれたり,1883年新年の教授始め式で講演したほか,大隈私邸に何度か足を運んでいる。モースは人を説得する話術に長けていたらしく,大隈はモースの提言を広く受け入れている。大隈が所有する郷里 E 藩の陶磁器コレクションなどを所望されるままにモースに与えてしまったというエピソードが残っている。
それらの陶磁器類は,モースが関西,瀬戸内方面を中心に各地で収集したコレクションと共に米国のボストン美術館に引き取られた。ボストン美術館刊行の『モース日本陶磁器コレクションカタログ』には,多くの陶磁器類とともに A 貝塚から出土した土器破片10点余りと石膏の模型が収録されている。帰国後に自身が著したa日本滞在中の記録からは,動物学や考古学の学術を超えて,モースが日本文化や歴史を愛し深い関心を寄せていたことがうかがわれる。また,お雇い外国人教師として,b宣教師を兼ねない米国人科学者を東京大学に推薦・紹介したこともモースの科学者としての一面を示していると言えるだろう。
〔問〕
1 空欄Aに入る適切な貝塚名は何か。漢字2字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
大森
2 空欄Bに入る適切な用語は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
縄文土器
3 空欄Cに入る適切な用語は何か。漢字3字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
進化論
4 空欄Dに入る適切な用語は何か。漢字6字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
東京専門学校
5 空欄Eに関して藩名として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 熊本
イ 佐賀
ウ 薩摩
エ 福岡
オ 延岡
イ
6 下線aに関して著書名(日本語訳題)として正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 『日本史』
イ 『東洋美術史綱』
ウ 『考古説略』
エ 『菊と刀』
オ 『日本その日その日』
オ
7 下線bに関してモースが推薦した物理学の米国人教師はだれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア T. メンデンホール
イ E. ナウマン
ウ W. S. クラーク
エ J. ヘボン
オ G. フルベッキ
ア
↑本問は、文学部の大問Ⅰとしては易しめの問題となっているので考古学分野(少し細かい遺跡や遺物の知識が要求される年もある)が苦手な受験生もぜひ解いて傾向をつかんでほしい。
☆文学部定番の大問Ⅵを知る!(2024年2月本試験)
次の文を読んで,問に答えなさい。
日本絵画史の流れにおける女性表現をたどってみると,奈良時代の作例としては,a正倉院宝物の『鳥毛立女屛風(樹下美人図)』や薬師寺の『吉祥天像』をあげることができる。いずれも中国や西域からの影響が色濃い作例であり,この時代には,異国の女性像に理想的な人物イメージを求める傾向が強かったことがわかる。
平安時代前期においても,密教の影響により仏教彫刻にエキゾティックな女性イメージを見せる作品がある。法華寺の『十一面観音立像』はインド的な雰囲気すら漂わせる。この『十一面観音立像』には,光明皇后がモデルであるという伝承がある。その背景には, A や施薬院を設置するなど光明皇后がおこなった救済事業の記憶があずかっているのかもしれない。平安時代後期に入ると,国風文化の発展とあいまって,日本女性が絵巻物などに数多く登場するようになった。
江戸時代に浮世絵が誕生すると,描かれる日本女性は格段に増加した。その代表例がb菱川師宣作『見返り美人図』である。また,錦絵の開祖である B は華奢な体つきの女性を描き, C は顔と上半身を中心にクローズアップした大首絵の美人画を得意とするなど,バラエティにとんだ女性像が相次いで生み出された。しかし浮世絵の主眼とするところは,美しい人体表現よりも,むしろ衣装美にあった。
明治時代,フランスへ留学した洋画家c黒田清輝が相次いで全身ヌードの女性像を発表したが,公序良俗を乱す絵と感じる観客もおり,裸体画論争が起こる。1901年の白馬会展では,黒田が描いた全身ヌード像は下半身を布で隠して陳列される,いわゆる「腰巻事件」へと発展した。
大正から昭和初期になると,d最新流行の洋装と断髪で盛り場を出歩く女性たちが,グラフィックデザインの格好のテーマとなった。彼女たちの姿は,1927年に「東洋唯一の地下鉄道」として上野~ D 間に開通した地下鉄のポスターにも,杉浦非水によって描かれた。
〔問〕
1 下線aについて。駱駝に乗った異国風俗の楽人をデザインしているものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 紺瑠璃坏
イ 漆胡瓶
ウ 白瑠璃碗
エ 平螺鈿背八角鏡
オ 螺鈿紫檀五弦琵琶
オ
2 空欄Aに入る語句は何か。漢字3字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
悲田院
3 下線bについて。誤っているものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 師宣は安房国(千葉県)の出身である。
イ 師宣は18世紀の江戸で活動した。
ウ 女性は白い着物をまとい,黒髪を束ねて頭上でまとめている。
エ 女性は顔の右半分だけを見せている。
オ この作品は肉筆画である。
イ・ウ
4 空欄B・Cについて。正しい組み合わせはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア
B 喜多川歌麿
C 東洲斎写楽
イ
B 喜多川歌麿
C 鈴木春信
ウ
B 鈴木春信
C 喜多川歌麿
エ
B 鈴木春信
C 東洲斎写楽
オ
B 東洲斎写楽
C 喜多川歌麿
5 下線cについて。水辺で憩う日本女性を油彩で描いた作品はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 海の幸
イ 湖畔
ウ 天平の面影
エ 読書
オ ゆあみ
イ
6 下線dについて。彼女たちは何と呼ばれたか。カタカナ2字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
モガ
7 空欄Dについて。図1はこの盛り場の絵葉書である。正しい地名はどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい(図は一部加工してある)。
著作権処理の都合により画像差替
ア 浅草
イ 銀座
ウ 渋谷
エ 新宿
オ 新橋
ア
次の文を読んで,問に答えなさい。
日本絵画史上の作品のなかで,もっとも人々の心をくすぐる「ゆるキャラ」のひとつに,俵屋宗達の描いた『風神雷神図屛風』(国宝)があげられる。この作品は京都五山のひとつである A に所蔵されるもので,これを原本として,同じ図様の『風神雷神図屛風』(東京国立博物館蔵)をa尾形光琳が描き,さらにそれを継承するかたちで酒井抱一や鈴木其一が同じ画題を手がけた。血縁や師弟関係をともなわない「琳派」が流派の証しとした,いわば血統書のような画題であった。
この,風神雷神を絵画化することは,古くは6世紀の敦煌莫高窟壁画において,すでにおこなわれていた。奈良時代の作例では,釈迦の前世の物語を主題とし,絵巻物の先駆けといわれる『過去現在 B 』にも,風神雷神の姿が描かれている。さらに,鎌倉時代の絵巻物では『北野天神縁起絵巻』に,雷神の姿となった菅原道真の怨霊が清涼殿を襲う場面が登場する。また同じく鎌倉時代に作られた,彫刻作品として最古の風神雷神像の遺例が,b三十三間堂に現存している。
これらの図像を利用して,俵屋宗達は風神雷神の二神のみを組み合わせた独自の画面を作り上げたと考えられているが,そればかりでなく,まったく別の図像からアイデアを借用した可能性も指摘することができる。図版1は,修験道の聖地である大和国の C から出土した平安時代の『押出蔵王権現像』であるが,右腕と右足を振り上げて伸び上がるポーズは,宗達の風神雷神のうち D の図像ときわめて似かよっている。
京都で宗達が活動していた同じころ,江戸の周辺でも風神雷神の造形化がおこなわれていた。それが1635年ころにc日光東照宮の陽明門に安置するため作られた風神雷神の彫像である。この彫像は鎌倉時代の三十三間堂像を手本として制作された。また同じころ,江戸における庶民信仰の中心である浅草寺雷門にも風神雷神像が設置された。
現代でも,風神雷神の図像はあちこちに息づいている。たとえば映画監督 E が特殊技術撮影を手がけた『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年東宝公開)の宣伝ポスターなどには,やはり宗達の風神雷神に対する意識が強く見られる。今なお,宗達の図像は時を越えて継承され続けているのである。
(著作権処理の都合により図版1省略)
〔問〕
1 空欄Aに入る言葉は何か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 建仁寺
イ 相国寺
ウ 天龍寺
エ 東福寺
オ 南禅寺
ア 教科書掲載レベルの絵画は、その関連事項も含めて徹底チェックする姿勢が大切であることを教えてくれる問題だ。
2 下線aについて。光琳の代表作『燕子花図屛風』は,ある人物が三河国八橋で「かきつばた」の5文字を和歌に詠みこんだという故事にもとづく(折句)。その典拠である文学作品の題名は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
伊勢物語 これは難問、捨て問と考えても良いだろう。
3 空欄Bに入る言葉は何か。漢字4字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
絵因果経 現存最古の絵巻物として有名。図版(資料集)で丁寧に確認しておこう。
4 下線bについて。この仏堂の本尊である木造千手観音坐像の作者は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 運慶
イ 快慶
ウ 康慶
エ 定朝
オ 湛慶
オ 湛慶は、一般入試では難問の部類に入るが「早大文学部の文化史対策」の視点から言えば、得点は可能である。過去問研究をしながら教科書をベースに用語集でチェックする人とそんことしない人でちょうど差のつく問題である。
5 空欄C-空欄Dの組み合わせとして正しいのはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 大峰山-雷神
イ 葛城山-風神
ウ 金峰山-風神
エ 熊野山-雷神
オ 高野山-雷神
ア 空欄C(大峰山)を特定することは難しい。しかし、空欄Dは図版対策していたら雷神(風神はあり得ない!)とすぐわかるので、アとエの2択に絞ることはできる。
6 下線cについて。この霊廟建築はどこの本殿建築様式を受け継いだものか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 伊勢神宮
イ宇佐八幡宮
ウ 春日神社
エ 北野天満宮
オ 日吉神社
エ 日光東照宮(権現造)が、北野天満宮様式であることを問うのは難。
7 空欄Eについて。「特撮の神様」と呼ばれ,ゴジラをはじめ優れたキャラクターをいくつも生み出したこの人物は誰か。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 小津安二郎
イ 木下恵介
ウ 黒澤明
エ 円谷英二
オ 溝口健二
エ ゴジラ・モスラ・ウルトラマンと言えば円谷英二(つぶらやえいじ)というのは問題作成者世代の男子なら常識だが、今の受験生には酷かも。ウの黒澤明とオの溝口健二はこの機会にちゃんとおさえておこう。
☆吉田の視点
早大文学部の大問6(文化史)を2年分解いてみてどう感じましたか?美術史・工芸史を中心とした文化史に強いこだわりを持った人が、毎年大問6を作成していることが実感できたと思います。2018年の大問6は、とても難しいと感じたことでしょう。この大問を得点化するには、まず教科書掲載レベルの絵画・建築物・彫刻(仏像)を中心に図版(資料集)と用語集を利用しながら過去問研究をペースメーカーにして効率的にカバーして行く必要があります。
↑早大文学部の大問Ⅵに対するこだわりがよくわかる大問を2題あげておきます。
文学部が第一志望の受験生はぜひ解いて効率的な対策法を確立してほしいところです。
☆文学部の史料問題を知る!(2023年2月本試験 大問Ⅲ)
次の史料を読んで,問に答えなさい。
史料ⅰ
二品,家人等を簾下(れんか)に招き,秋田城介景盛を以て,示し含めて曰わく,「皆心を一にしてうけたまわるべし。これ最期の詞なり。故右大将軍,朝敵を征罰し,関東を草創してより以降,官位と云い,俸禄と云い,その恩,既に山岳よりも高く,溟渤(めいぼつ)よりも深し。a報謝の志,浅からんや。しかるに今,逆臣の讒により,非義の綸旨を下さる。名を惜しむの族,早く秀康・胤義等を討ち取り,三代将軍の遺跡を全うすべし。ただし,院中に参らんと欲するの者,只今申し切るべし」てえり。
(『吾妻鏡』)
史料ⅱ
二品禅尼,有勢の武士を庭中に召し集めて語らいていわく,「おのおの心を一にして聞くべし。これは最後の詞なり。故大将家,b伊予入道・八幡太郎の跡を継ぎて,東夷をはぐくむに,田園身をやすくし,官位心にまかする事,重恩すでに須弥(しゅみ)よりも高し。報謝のおもい大海よりも深かるべし。朝威をかたじけなくする事は,将軍四代のいまに露塵あやまる事なきを,不忠の讒臣等,天のせめをはからず,非義の武芸にほこりて,追討の宣旨申し下せり。なんじはからずや,男をばしかしながら殺し,女をばみな奴とし,c神社・仏寺,塵灰となり,名将のふしどころd畠にすかれ,東漸(とうぜん)の仏法なかばにして滅びん事を。恩を知り名を惜しまん人,秀康・胤義を召し取りて,家を失わず,名を立てん事をおもわずや」と。
(『六代勝事記』)
〔問〕
1 下線aに関連して,鎌倉幕府において将軍の御恩に対して御家人が果たすべき奉公のうち,内裏の諸門などを警備する役務は何か。漢字5字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
京都大判役
2 下線bについて述べた文のうち正しいものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 伊予入道は源義親で,房総半島沿岸部の海賊を鎮圧した。
イ 八幡太郎は源義経で,北陸から京へ迫り平氏を都落ちさせた。
ウ 伊予入道は源義朝で,保元の乱において平氏に敗れ処刑された。
エ 八幡太郎は源義家で,出羽の豪族である清原氏の内紛に介入した。
オ 伊予入道は源頼義で,陸奥守となり現地の豪族の安倍氏と対立した。
エ・オ
3 下線cに関連して,神を本地とし仏を垂迹とする立場から唯一神道を創唱した人物は誰か。漢字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
吉田兼倶
4 下線dに関して,中世の畑作について述べた次の文X・Y・Zの正誤の組み合わせのうち,正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
X 草戸千軒には,大規模な野菜畑がひらかれた。
Y 食用油の原料として,荏胡麻の栽培が西日本でひろまった。
Z 室町時代の畿内では,麦と蕎麦を裏作とする三毛作がおこなわれた。
ア
X-正
Y-正
Z-誤
イ
X-正
Y-誤
Z-誤
ウ
X-誤
Y-誤
Z-正
エ
X-誤
Y-正
Z-正
オ
X-誤
Y-正
Z-誤
ウ
5 史料ⅰの典拠である『吾妻鏡』は,13世紀末~14世紀初頭頃に成立したとされる鎌倉幕府の歴史書である。この時期の出来事について述べた次の文X・Y・Zを年代順に並べた組合せのうち,正しいものはどれか。1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
X 鎌倉幕府が,永仁の徳政令を発した。
Y 後醍醐天皇が即位し,親政を開始した。
Z 内管領の平頼綱が,安達泰盛を滅ぼした。
ア X→Y→Z
イ X→Z→Y
ウ Y→Z→X
エ Z→X→Y
オ Z→Y→X
エ
6 史料ⅱの典拠である『六代勝事記』は,後堀河天皇(在位1221~1232年)の時代に,京都の貴族により著されたとされる歴史書である。この時期に関白などとして貴族社会で権勢を誇り,息子が鎌倉幕府4代将軍となったことでも知られる人物は誰か。漢字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
九条道家(藤原道家)
7 史料ⅰ・ⅱに関して述べた文のうち適切なものはどれか。2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 史料ⅰと史料ⅱはいずれも,後鳥羽上皇が北条義時の追討命令を発したとの情報がもたらされた時の鎌倉幕府の様子について記した史料である。
イ 史料ⅰの典拠となっている『吾妻鏡』は鎌倉幕府みずから編纂した公式の歴史書であり,史料ⅱの典拠となっている『六代勝事記』より成立も古いことから,信憑性が高い史料である。
ウ 史料ⅰと史料ⅱはいずれも,北条政子が御家人たちに向けて演説する場面を描いており,内容に類似点が認められるが,史料ⅱは鎌倉幕府の歴史書である史料ⅰを参考にして書かれた可能性が高い。
エ 史料ⅰでは鎌倉幕府を創始した源頼朝の功績が語られているのに対して,史料ⅱでは源頼朝の功績の前提として源氏の先祖への言及も見られる。
オ 史料ⅰと史料ⅱはいずれも,1221年に勃発した戦乱に関する史料であるが,鎌倉幕府が編纂した史料ⅰでは後鳥羽上皇の政治が批判されているのに対し,貴族が著した史料ⅱでは北条義時の横暴が非難されている。
ア・エ
↑文学部においても、今後は本問のような史料文の読解を必要とする大問が出題される可能性が高くなっていくと吉田はみています。
吉田塾では、上記のような「早大文学部」特有の問題に対応した対策(指導)も行っています。解いてみるといかに早稲田合格のためには、「過去問研究」が大切かが分かったと思います。
「彼を知り、己を知れば百戦危からず」
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その一部は、Zoomによるオンラインカウンセリング(無料)やミニ講座(無料)でも紹介しています。
日本文化史特講について、受講生の感想をいただいたので紹介します。
政治史を軸として文化史を理解するという考えに目から鱗でした。文化史単体だとどうしても暗記がしにくく困っていたのですが、面白いエピソードを思い返しながら、先輩の絵と共にもう一度復習し直すとすんなり覚えることができ感動しました!乾漆像についての時短裏技も他の教科や時代に時間をかけたかったので非常に助かりました。また、年号の重要さを身にしみて感じました。文化史と並行して復習していこうと思います。
文化史を習得するために必要なことについてよく理解してくれている感想文だと思います。
文化史は難関国公立や難関私大の日本史(特に早稲田の文学部や文化構想学部)を攻略する上で非常に重要であり、他の受験生と差が付きやすい分野であると吉田塾では考えています。
すでに講座を進めている吉田塾生は多くいますが、非常に重要な受験直前期のこのタイミングでも講座への参加を受け付けていますので、ぜひご相談ください。